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リベラルアーツ指南其肆【狼王】

体性感覚の鋭敏さを挙げたら、野生の動物にはなかなか敵わないであろう。飼い慣らされたペットや家畜ではなく、野に生きる野生動物だ。
中でも印象深いのが、カランポーの王者と呼ばれ、シートン動物記にその名を残す狼王ロボだ。
あらゆる罠や追手を物ともせず、その情け故に捕らえられ、絶食し、王としての誇りを保持したまま果てた気高き狼を。
妻を捕らえられ、殺された狼王は悪魔に例えられたその明晰さに一瞬、狂いが生じ、遂に捕らえられてしまう。
しかし、おもうのだ。その妻や仲間を思う強い気持ちがもとより無ければ、人を凌駕する知恵などとうになく、そのはるか昔に既に捕まっていただろうと。
その深い情けこそ、狼王を王足らしめ、生かし又死に向かわせしめたのだ。
もとより頭脳で生きてきた動物であれば、捕らえられ、出された水や食料を口にし、生き延びて逃げる機会を狙うかもしれない。しかし、ロボはそれをよしとしなかった。知や利から考えるものには一生分からない、不合理が此処にはある。
そして、その不合理を生み出すのが、情であり、情を生み出す肚であり、肚に存する体性感覚なのだ。
不合理は時に合理を超え、生命の輝き、そして感動をもたらす。たからこそ、敵であったシートンの、そして100年以上の時を経てもなお、我々の心を撃つ。理屈や利益は感心をもたらしても、感動はもたらさない。感動は不合理な自由からこそ生じるのだ。狼王を思い起こす度にそう思えてならない。

流離へる心は飢えと悲しびを友とし愛を知る術知らん

人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光りあれ。