ラマレラ 最後のクジラの民
『ラマレラ 最後のクジラの民』ダグ・ボック・クラーク 2020年5月刊 NHK出版
インドネシアの孤島、レバンタ島にあるラマレラ村は人口1000人程度の小さな漁村ですが、この村では手にした銛一本とジャングルの木から切り出した先祖伝来の舟でクジラを追う伝統猟が行われています。
ラマレラの地は農作物が取れない痩せた土地の為、数百年に渡り、この伝統捕鯨により村人の命をつないできたそうです。
一年に10頭ばかり狩ることができれば、島民の命は十分に食つなぐことができ、それが出来なかった年は飢死者が出てしまうこともあったようでした。
村の子どもたちの多くが、クジラに一番最初に銛を撃ちこむ「ラマファ」と呼ばれる漁師にることに憧れており、また「ラマファ」となった者は村の仲間、一族から一目置かれた存在となるのです。
しかし、グローバリズム、近代化の波はこのラマレラ村にも押し寄せ、村伝来のクジラ漁も徐々に変化を見せ始めます。
本書、その変化及び、島民たちの葛藤を数年間追ったルポルタージュとなっており、変容、喪失を経て滅びゆく文化を記したかなしみの書でもありました。
本書では老若男女問わず、様々な村人たちの生活が描かれていたのですが、特に印象に残ったのが、父親、母親がおらず、祖父母に育てられ、ラマファ(銛手)を夢見る青年ジョンの姿でした。
ジョンの家は特に貧しく、老いて働けなくなくなった祖父母に変わり、ジョンは小学校を中退し、漁船に乗り込み働き始めるのですが、父親がラマレラの民ではなかったということから、仲間たちからの差別もあり、なかなか銛を持たせてもらえる機会を得ることが出来ません。
不漁期に都会での出稼ぎの機会も経て、ジョンの心はこのまま、ラマファを目指すか、労働者としてきらびやかな都市での生活を選ぶか、葛藤するのです。
折しも、ラマレラの地も携帯電話、SNS等の文明機器が入り込み、外部の世界の情報が夥しく流入し始めたのでした。
また、村中が認めた一流のラマファであり、船大工であった老イグナシウスの姿も忘れられません。息子たちに持てるその技術、技能を引き継がせようと奮闘するのですが、その甲斐なく、悲劇が彼を襲うのです。
ラマレラの民が主に狙うマッコウクジラは世界最大の肉食獣であり、成獣はゆうに60トンを超えるといわれております。
それを手漕ぎの木製の舟で追い、手製の銛を海に飛び込みながら撃ちこむという原始的な漁法であるのだから、命がけです。
クジラの尾びれや胸びれで叩かれ、舟が大破することもあれば、船員の骨が砕けることも少なくありません。
我が国、日本においてもかつて、クジラの突銛猟が行われていたというのですが、一体どのようなものであったのでしょうか。
一度失われてしまった文化、伝統の復活は生半可な労力では到底、成し得ません。
また、生物種もそうですが、現在、世界中で大量の文化、言語が死滅しているそうです。
ある学術推計によると地球上には約十万種類の言語があり、2016年の時点で残存している言語は7千種類程と言われています。それが2100年までには90%が死滅し、たった700種類になるであろうと予測されているのです。
言語と文化を一対とみなすのであれば、驚くべきスピードで世界中から多様性が失われ、淘汰されているのです。
クジラの民の滅びゆく姿に、我々、人類全体の滅びゆく姿も重ねて、見る様でした。
鯨魚取り海や死にする山や死にする死ぬれこそ海は潮干て山は枯れすれ(万葉集)
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