突破者の遺言
『突破者の遺言』宮崎学 2021年7月刊 K&Kプレス
本書、ちょうど読み終わった直後に著者の訃報を聞き、様々な想いが去来しました。
著者である宮崎学さんにはついぞお会いすることはできなかったものの、自分の中では貴重な恩人の一人であったからです。
両親の影響もあってか、幼少時より強く影響をうけていたリベラリズム、左翼思想から脱却できたのは著者の著作からによるところが大でもありました。
氏の大学在学中は学生運動に関わり、ゲバルト部隊に所属し、もっぱら武装闘争に明け暮れていたそうですが、右翼、左翼の二項対立に嫌気がさし、活動をやめ、以後、法の隙間を縫うアウトローとしての視点からの著書を数多く出版されてきました。
小学生の時より、赤旗、朝日新聞に親しみ、学校の入学式、卒業式等でも一人だけ「君が代」を起立、斉唱しなかった左翼少年であった自分でしたが、著者の著作に触れることがきっかけとなり、自分を取り巻く日本の左翼思想、リベラリズムの嘘臭さ、白々しさにしだいに気づきはじめ、距離を置くようになりました。
かといって、著者の思想、考えに全面的に賛同したわけでもなく、また現在の自分は右翼でも左翼でもありませんが、自身の考えに大きな偏りがあったことに気づかせてもらった恩ある人の一人なのでした。
自分にとって、氏の思想は「法に生きるな。掟に生きろ」の一言に集約されていて、法(国家)は論理の世界であるのに対し、掟(共同体)は情の世界であると説きます。
「人間は強く清く正しく美しいことを善とするのだが、それと同時に、どうしようもなく弱く醜く愚かだ。我々はそういう人間性を全部ひっくるめて背負って生きている(中略)法(国家)は論理の世界である。理とは、ことわりだ。非合理的な人間というものを、バサバサと割り切っていく。それに対し掟(共同体)は情の世界である(中略)ユートピアを目指した共産主義国が、どれだけ非人間的でグロテスクだったか思い出すがよい。人殺しや泥棒がいようとも、そういう人間的な社会の方が明るくて温かいだろう」
そして、現代は人々を抱きかかえる共同体が崩壊した「掟なき時代」だと本書では語られておりました。
天皇制の在り方、安倍政権の是非等、著者の考えに首肯できかねる部分は多々ありましたが、この「掟なき時代」に掟に生きる著者の覚悟は全面的に頷くばかりでした。
本書では「国家社会論」「暴力論」「右翼・左翼論」「沖縄論」「差別論」「反米独立論」「東アジア論」「中朝論」「社会主義論」「コロナ論」と10章にわたり、著者の考えが「突破者」の遺言として記されております。
特に終章の「コロナ論」は白眉で、ここ数年のコロナ騒動の背景にあるものを見事に喝破しており、また、氏の死生観を端的に表しておりました。
氏いわく(今回の一連の騒動は)「コロナショックというよりコロナヒステリー」であり、「癪に障るのは、今回のヒステリーがニューマニズムで偽装されていることだ」としています。
大して効きもしない治験段階のワクチンを「思いやりワクチン」とのたまい、接種を押し付けられ、我が身可愛さのエゴイズムが同調圧力によってヒューマニズムにすり替わってきたこの2年間の茶番をみていると頷く以外ありませんでした。
なお、突破者とは、氏の出身でもある関西地方で無茶者、突っ張り者のことを指すとのことです。
この突破者の精神、恩ある人の遺言として、生涯忘れずに生きていきたいと思います。
宮崎学さん、大変、お世話になりました。
本当にありがとうございました。
「人間は死ぬ。どんな時代でも、人間はその事実から生を立ち上げるしかない。そして、どうせ死ぬ人生をどう生きるかは自由だ。そこに人間の自由がある。私の遺言が読者にとって死を見つめ、自由に生きようとするきっかけになれば、それに優る喜びはない」 宮崎学
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