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塀の中の残念なおとな図鑑

『塀の中の残念なおとな図鑑』美達大和 2021年4月刊 主婦の友社

本書、図鑑とありますが、実際の内容は18名の懲役囚の罪状や刑期、犯罪に至ったまでの経緯が記されたルポルタージュとなっております。

著者は記された18名の懲役囚たちと同囚でもあり、現在も獄の中で暮らす、無期懲役囚、美達大和さんです。

本書を読み、まず、一番はじめに思い出したのは10代の時分に読んだドストエフスキーの「死の家の記録」でした。

「死の家の記録」はドストエフスキーが思想犯として、実際にシベリア流刑となり、その地で様々な犯罪者との出会い、獄中での体験をもとに記された書ですが、本書、『塀の中の残念なおとな図鑑』も同様にバラエティーに富んだ様々な囚人たちが登場し、その等身大の姿から個性、考え方まで紹介されておりました。

「死の家の記録」と大きく異なる点は、本書が100年前のシベリアの刑務所ではなく、現代の日本の刑務所である点と著者である美達さんの語り口が、洒脱かつ軽妙で、大変読みやすい点でした。

「死の家の記録」は読むのに大変、難儀した覚えがあるのですが、本書はあっという間に読み終えてしまいました。

また、著者の人物観察眼はドストエフスキーもかくやという程のものでもあり、18名の懲役囚たちのキャラクター、犯した犯罪の背景にあったものの分析を本人以上に的確に行い、真に己を罪を悔いているのか、洞察している点でした。

著者いわく、現在の日本の刑務所はテレビも映画も見られ、医療も食事も充実しており、獄の外にいた時よりも健康に過ごしている者が多い、チョーエキ達の笑いが絶えない、一種の健康ランドともいえるそうです。

その中で、自信の犯した罪を心から反省し、再犯を繰り返さないように努める人は本当に稀で、数えるほどであったというのが美達さんの弁でした。

無期懲役囚として数十年を獄で過ごし、多くの囚人と暮らしてきた著者の言葉はそんじょそこらの刑務所・犯罪ルポとは比較になりません。

また、著者は現在も月100冊以上、これまでに8万冊の本を読破してきた読書家でもあり、社会にいた時は、会社経営者としての実績もあったまさに牢獄の超人ともいえる人物です。

コミュニケーション能力も抜群で、一癖も二癖もある同囚と仲良くなり、犯罪に至るまでの経緯や生い立ちを尋ね、その印象深いエピソードが本書ではてんこ盛りとなっております。

また、真に更生を願い、己を罪を悔いている同囚に対して、懲役後の社会に出てからのアドバイスを送ったり、自身の失敗や経験を真摯に語る著者の姿には胸を打たれました。

刑務所は、見方を変えれば、三食、住居、衣服などの心配をしないで、自己の反省、改善、向上のための勉強をする場にもできると著者は言いますが、現実は時間があれば、テレビを見続け、能動的に思考・行動することなく、何年もぼんやりと過ごす懲役囚が圧倒的多数を占めるそうです。

その理由は「テレビという空虚ながら、チョーエキにとっては圧倒的な影響力を持つ装置が、いともあっさり向上心や動機を吹き飛ばしてしまう」といいます。

「なんであんなものに、自分の未来を創るための時間を奪われてしまうのかと、不思議で仕方ありませんが、テレビさえ見ていれば、自分で能動的に思考・行動する必要もなく、楽に時間を過ごせるように洗脳されているのでしょう」と続きます。

「美達さん、これ、獄の中も外も、関係ないよ!獄の外にはテレビの他にもSNSや無料動画もあって、さらにタチが悪いかもしれないっすよ!」と思わず、突っ込みをいれつつ、納得でした。

本書の中で、印象に残ったのが、刑務所で暮らす、自己の改善や成長を顧慮せずに、枠内にはまって受動的に生きる、自己の非や悪をなんとも感じない懲役囚の生き方は、家畜というよう獣に近いものであると述べてあった部分でした。

確かに本書で紹介されていた多くの懲役囚の倫理観や価値観に驚かされ、人としての矜持や良識を疑うものばかりでしたが、わが身を振り返り、自分にもそのような因子が多少なりとも存在することにハタと思いあたったからです。

今まで、自分自身、多かれ少なかれ、自己のわがまま、我欲を先行し、家族や他者に迷惑をかけてきたことは疑いようもない事実であり、気が緩むと必要でないスマホの画面をのぞいていたり、テレビのスイッチを押している自分もいます。

自身を律し、顧みらなくなれば、獄の中も外も関係なく、家畜や獣に堕していく可能性は十分にあると感じてなりませんでした。

また特に昨今の世を見るにつけ、能動的に思考・行動する必要もなく、耳障りのよい情報が流れ、安穏と時間を過ごせるような暮らしへと拍車がかかっているため、注意せねばと襟を正す思いも同時に湧きおこりました。

著者は、刑務所というのは、己の心と問答を繰り返す「内的生活」をするには適した場であるといいます。

「本来の時分はどうありたいのか、どうあるべきなのか」

静かに深く己の心と語り合い、自らの過ちに気付き、道を開く「内的生活」ができるかどうかが、人生の大きな分岐点になるというのです。

これも獄の中、外、関係のない重要な行為であり、実践していきたいと思いました。

本書、「残念なおとな図鑑」と題されておりますが、残念なおとなを見続けつつも、自己の「内的生活」を重ね続けた一人の求道者の記した書ともいえます。

獄の外にも残念なおとなたちはたくさんおります。

しかし、獄の中にも、自己を超克しようと日々、努める著者のような「残念でないおとな」の存在があることも多くの人に知ってもらえれば、なによりです。

「深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」 ニーチェ







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