7つの循環⑤理解してから理解される
スティーブン・R・コヴィー博士の「7つの習慣」が素晴らしいのはいうまでもないが、その概念が行動に結びつき、習慣化するまでのプロセスが個人の意思の力に頼らざる得ない為、多くの人が実際に習慣化に挑んでみるものの、身につけるのが困難である事が実情ではないかと推測する。
習慣化に至るまでの過程が個々のライフスタイルによって異なるのだから、誰にでも当てはまる7つの習慣に基いた具体的な行動を提示するのが困難であるのは当然である。
しかし、自分なりに出来るだけ、多くの人が、しかも毎日取り組み、実践出来る7つの習慣に基づいたアクションプランの提示に本日より、1週間、挑戦していきたい。行動を循環させ、習慣へ。
7つの習慣改め、7つの循環。
今日は7つの習慣に対して、異論を唱える所から始めたい。
第5の習慣「理解してから理解される」であるが、特に他人とのコミュニケーションにおいて、他人を理解して、初めて自分を理解してもらえると語っているが、果たしてそうであろうか?
勿論、他人を理解するのは重要だ。
しかし、他人を理解する前に自分を理解することがより重要であり、自分をある程度、理解しておかなければ、他人が理解している自分と自分の理解しているギャップも埋められず、混乱を生じさせる可能性もある。
また、正しい自己認識があって正しい対話、傾聴が可能と考える。
「理解してから理解される」とあるが、まずは他人の理解よりも自己の理解が前提であると定義したい。
では、ここから行動習慣について述べていく事とする。
まず相手を理解するために、重要なことは相手の話に耳を傾けることである。
また、その話に深く耳を傾ける事は、質問、即ち問いを発することによって可能となる。
相手に興味、関心をもって、話が深まる問いを重ねてゆくのだ。
はっきりいって聞くだけであれば、馬鹿でも動物でも、誰であっても可能だ。
しかし、相手を理解する為に聴くのであれば、問いのスキルは必須となってくる。
ところが、この問いのスキルは一朝一夕で身につくものでもなく、また、毎日、四六時中、他人に対してできるものでもない。
そこで、提唱したいのが自分自身に対しての問いだ。
今、自分はどんな気分なのか?何に憤り、また、何に対して感動したのか、何が納得いかなかったのか、その時々の自分自身を内省し、問いを発してみるのだ。
今日は何を食べたいのかでもいい。そして、それは何故なのか?なぞ、その食べ物が好きになったのか、等々。
なんでもいいのだ。
これであれば、他人と異なり、気兼ねなく、質問を繰り返すことが出来、なおかつ、問いのスキルの蓄積も可能となってゆく。
自分を理解してから、相手も理解し、理解される。
毎日の行動習慣として「自分に対しての問いを発する」を始めてみるのは如何だろうか。
われわかつとひとこたへをくりかえしこころのとものこえをきかんや
人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光りあれ。