見出し画像

少しずつ戻ってくるお祭りの狂乱。久しぶりにお祭りを覗いてきた話。

プロボノのマツリテーターとしてゆるく関与しているマツリズムを通じて、7月末と、そしてこの週末、2つのお祭りの現場取材に行ってきました。

コロナ禍によってここ2年ほど日本におけるお祭り(特に御神輿や山車など密な部分)は雌伏の状態にありましたし、現在もなお都内のお祭りでは「中止」「御神輿は中止」といったポスターが目立つところです。
しかし、主観的な感覚ではありますが、お祭りを元通りに戻すための動きが、地方では着実に起こり始めているようです。
実際、これら2つのお祭りともに、マスクの着用強化(実際はバラバラでしたが)や回し飲み禁止など最低限のルールはあったようですが、それでも感じられる、活気、担い手の方々の生命力というものを久しぶりに感じることができました。

それぞれ簡単に紹介してみましょう。

向田の火祭り

一つ目は、石川県七尾市に浮かぶ能登島、その中心部である向田という一つの町で開催される「向田の火祭り(伊夜比咩神社例大祭)」です。
7月の最終土曜に開催されてきましたが、2020年と2021年はコロナの影響により開催されず。今年は3年ぶりの開催となりました。

夕方、神社出発前の神事。主に年長者がこれに臨んでいたように見える

7月30日土曜日の夕方。能登島・向田町の鎮守・伊夜比咩神社の境内には、今か今かと出発を待つ、大小のキリコが6基が整列しています。
各キリコでは既にお囃子が始まり、ちびっこや若者を中心にソワソワとした雰囲気が広がっていました。

神社から出発するキリコ(御神輿は遥か先頭を進む)。周辺一面田んぼで、遠くまで見渡せる

神社本殿での神事が終わると、神様の御霊を載せたと思われる御神輿が境内に降りてきます。
神輿はそのままキリコに先行して鳥居を出て、火祭り広場への一本道を進んでいきます。この、田んぼの一本道を進むキリコの美しさと荘厳さ。

火祭り広場に到着し、点火された大松明

火祭り広場では、既に準備されていた大松明を中心に囲みます。
まずは御神輿とキリコが大松明の周辺を7周まわり、続いて火を灯した手松明を持った町民の方々が周辺を回ります。
例年は一般来場者もこの手松明を持って回ることができたそうなのですが、今年は町民に限定されていたという点はコロナ対策でしょう。

その後、大松明に火が点けられます。
漆黒の空に立ち上っていく炎を見ながら、大松明の倒れる方角によって、豊漁または豊作を占うのでした。
人生で見たことのない大きさの火柱による熱気が、その場の一体感を演出していたように思います。

片貝まつり

山の上に打ち上げられる奉納煙火

そしてもう一つは、新潟県小千谷市北部の町、片貝で開催される「片貝まつり(浅原神社秋季例大祭)」です。
ここでは、毎年9月9日と9月10日の二日間に、地域の住民・事業者からの祈りを込めた花火が(大量に!)奉納されます。

全国的にはお隣・長岡市の花火の名が知れているところですが、打揚花火をメインとするお祭りの異質さや、世界一である四尺玉が唯一出される地域として、コアな方々からの注目度が高いお祭りです。

浅原神社

日中は街のメインの通りに露店が立ち並び、い組・に組・三組・て組・五部・ま組という6つの氏子グループが祭屋台を曳きながら町内を巡航します。
祭屋台とともに歩くのは、小学生から20代くらいまでの若者ばかりで、非常にフレッシュな空気。(他に厄年や還暦の方々のグループもあります)

"に組"の祭屋台。

そして夜は、その大半が尺玉(一尺以上)となった花火の打ち揚げ。
山の上で打ち上げられるという特徴や、その近さから、フレームに収まりきらないほどの花火が揚がります。
その全てに奉納者がおり、出産や結婚、還暦、場合によっては追悼の祈りが、打ち上げと共にアナウンスされます。

正三尺玉。桟敷席ではこの距離で花火が見られる

注目度と地域の誇り

取材したこれらのお祭りは、何か共通点をもって選択したというわけではありません。
華やかな側面を持つ"火"がいずれも奉納のメインであるというこじつけは可能でしょう。
さらに言えば、それゆえに地域外から大勢の来街者を集めているということも共通点と言えます。

向田も片貝も、町内に宿泊施設も飲食施設もほとんどないので、集まった方々のお金が町に落ちることはなく、経済効果など算出できるものではないでしょう。(露店は・・・ねえ)
むしろ、余計に警備や安全対策が必要となるため、来街者はコストとも言えるものかも知れません。
それでも、多くの方々が自分の町に駆けつけてくるという事実が、「注目度の高いことをやっている」という意識、町民である担い手のプライドにつながっているのではないかと感じます。
その証拠か、キリコや祭屋台とともに進む半纏姿の方々は、マスクの下でもとにかく楽しそうだった。これが印象的でした。
きっと幼少期にこれを体験した方々は、住み続けるかどうかはともかく、大きくなっても地域を愛するのだろうな。

お祭りがすべて楽しいということを言うつもりはなく、地域によって本当に様々なお祭りの形があり、人によってはお祭りにポジティブな印象を持てない方がいることも事実でしょう。
(それがゆえに淘汰されて良いかは別の話として)見世物としての性格が薄いもの、観光の文脈に位置付けることも難しいものもあるでしょう。

今はただ、お祭りはコミュニティづくりの道具になり得る、ということがわかればよいな。
さて、次はどこのお祭りに行こうか。
(本当は参加したいが)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?