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人生邂逅 ・まなび編  ◆仏教読書会から -40

正法眼蔵随聞記 六節 8項 「真浄の文和尚」より


もし真実に学道の人有りて法を問わば、惜しむべからず。
ために開示すべし。然れども、なほ其れも三度問われて一度答ふべし。
多言閑語する事なかるべし。

【口語訳】
真剣に仏道を学ぼうとする人がいて、法をたずねるならば、法を惜しんではならないが、それでも、3度問われて1度答えるくらいでよい。
多くしゃべってむだを言うことのないように。

道元禅師の「無駄を排除せよ」の説法ですが、わたしは3度に1度の部分が なぜか頭に残り。

不謹慎にも、高校時代の友人のコイバナに思いが飛びました。

高校3年の時だったと思いますが
友人には同学年に好きな人がいて、気持ちを打ち明けようとして、私に相談してきたのですが。

このとき、わたしが心構えとして、かれに伝えたのは、

1度断わられても、これは平然として受け流す。 

全く意に介すことはない。

2度目に断られたら、ココで引くのが普通だと思うが、
決してココで引き下がってはならない。

勇気を振り絞って、もう一度挑戦する。

ただし、3度目でも断られたら、潔く(?)諦める。

という戦法です。

結局は、この作戦を実行し、なんとか思いは成就しました。

3度に1度。 道元禅師の教えを引用するのはどうかと思いますが。

願い出るひとの本気度を確かめられれている。と考えれば、共通しているのかもしれません。


この教訓から仕事においても、どうしても自分の意思を通したいと思ったときは、
この作戦を取り入れるようにしました。

少なくとも、1回で諦めることだけはしない。と誓いました。

もちろん、全てに通用したわけではありませんが、それでも比較的勝率は高かったように思います。

とはいえ、記憶は書き換えられ、良い想い出だけが残るから。とも言えます。


かっこよく言えば、こちらの覚悟のほどを見せて、相手の心を動かす。

違った見方をすると、面倒くさい奴だから。と根負けを誘う。


ただ、最近はこの気力がすこぶる減退していることに気づかされます。

3度はおろか、2度目も突っ込むエネルギーがないのです。

淡白になった。執着心がなくなった。

仏教では、つねに執着を捨てるように! と説かれますが。 

どうなのでしょうか。


ところで、先ほどのコイバナですが、

受験期であり、時期が悪かったせいか、

結局は長続きはせず、受験とともにフェードアウトした1年弱の淡い想い出になったようです。


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