人生邂逅 ・まなび編 ◆体験談から -16
これぞ、構造改革?!
2008年10月 仙台で丸3年を過ごし、厚木のモバイルディスプレイ事業部に異動。
入社同期が事業部長を務める事業部。
業界では出遅れの液晶ディスプレイの開発、製造、販売を担う事業部でした
赤字続きの苦境をどう抜け出すか。
なにか役に立てるのでは、と志願しての異動でした。
ただ、現実はそう甘くはなく、時は丁度「リーマンショック」。
さらに事態は悪化の一途。
着任してからの半年間は、まさに怒涛の日々でした。
このままでは、船は沈没。
自前の技術による強い商品1本に絞る。
足りない技術は他社買収で補う。
組織を大幅にスリム化。
そのために、全組織を愛知県の製造事業所に集約。
これだけの重大施策を半年で実行したのですから、・・・。
これぞ、まさに構造改革。でしょう。
この間でのわたしの役割は、
・GTH(Go To Higashiura)プロジェクトの推進役(旗振り役)
・組織のスリム化で煽りを食う庶務・アシスタントの支援
・様々な事情で転勤困難な社員のための「なんでも相談」役
ここで、得意不得意があからさまに出ました。
「なんでも相談」役は、結果的には適任でした。
庶務・アシスタントの支援もそれ相応の成果はあったと言えます。
が、
GTHプロジェクトの推進役は、失格でした。
会社方針と社員の希望が真っ向から対立する中で、組織間の複雑な利害を 調整し計画に沿って、粛々とことを進めることは私の経験と能力では不十分でした。
結局は、事業部長が担当役員の後ろ盾てで、強権発令のような形でことを 断行することになるのですが、いろいろな意味で、なんとも苦い経験となりました。
後日談ですが、
このGTH断行の1年後には事業部長が変わり、東浦に異動した社員はほぼ全員が元の厚木に戻ることになったのです。
何が正しいのかは、今でもよくわかりません。
その時々で、智慧を振り絞ってことに臨んでいるのですが、状況の変化で 大転換することもあるのです。
この1年強で、ご家族を含めて怒涛の渦に巻き込まれた社員の方々のことを思うと、忸怩たるものがあります。
わたしは、この時東浦ではなく、1年後事業売却の対象となる野洲事業所に異動することになります。
なんとも、凄まじい変化のなかに身を投じた時期でした。
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