「ロヒンギャへの道」でつながる「絆」。
大学生新聞の記者としてロヒンギャ問題と向き合う鶴くんが京都から来てくれたので高田馬場のミャンマー料理屋で久々の再会を乾杯。
これまで多くの人たちと様々な出逢いがあったが、彼との出逢いほどパンチが効いたものはない。
去年3月のある日に表参道の雑踏を歩いていると、ミャンマー ラカイン州ミャウーのロヒンギャの村の友人からメッセンジャーで電話が掛かってきた。彼は英語を話せないので不思議に思いながらも電話に出ると、「ハローブラザー!!」とテンションが高い様子に心が和み、ラカインの自然豊かな美しい光景が頭の中に広がった。そして続いて電話口に登場した「謎の日本人の青年」。それが鶴くんだった。お互いに「..誰ですか?」という感じで、自己紹介から始まると云う、現地の友人の無茶ぶりで知り合えたご縁である。
(その出逢いの様子を彼自身の記事にも綴られている)
しかも去年9月にバングラデシュ コックスバザールのロヒンギャ難民キャンプを訪れた時には、事前に連絡をしていた訳でなく彼も偶然に現地に滞在していて、そこで直接会ったのが「初めまして」だった。そのシチュエーションも強烈だった。
その後は鶴くんが東京に来る時は一緒にご飯を食べたり、館林へ行ったり、ありがたくも取材してもらったり。彼の方がうんと優秀で最新型だが、たぶんお互い同じようなセンサーが積まれてるのだと思う。
彼が連載中の記事「ロヒンギャへの道」は必読。広く報道されるロヒンギャの記事とは一線を画している。彼の「真実を知りたい、伝えたい」という熱量は半端ない。「世界〇ヵ国訪れました!」とアピールしてる人よりも、こんな不器用な旅を続けながら自分自身と向き合っている人が私は好き。これからも応援しています。
立命館大学新聞「ロヒンギャへの道」《連載》
https://www.ritsumeikanunivpress.com/features/rohingya/
今回は久々にヤマニャさんへお邪魔しました。ミャンマー料理屋が多い高田馬場ですが、モン料理を扱っているお店は珍しい。ちなみにモン州といえばミャンマー第3の都市モウラミャインや、水上寺院の在るチャイッカミ、素朴なサッセビーチへ訪れたことがあります。とても美しいエリアです。
スパイシーな海鮮サラダはラカイン州でもお馴染みのメニュー。美味しくないハズがない!!
ミャンマー料理としてお馴染みの「ダンパウ」。南アジアではビリヤニの名で有名です。在日ロヒンギャの人たちも大好きな料理ですが、現在ラカイン州のロヒンギャが隔離される地域では彼らがこんなご馳走を食べられる機会はありません。現在は外国人の立ち入りが厳しく制限されているラカイン州北部マウンドーは、かつて観光地としても栄えラカイン族とロヒンギャが平和に共存していた時代、比較的に裕福だったロヒンギャは町のレストランでダンパウを味わっていたそう。
ヤンゴンの屋台街でよく見かける豚のホルモン串(ワッタードット)。味はクセがありますが、これを食べてるとミャンマーの雑踏へトリップしてしまいます。
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