私と父が勇者だった話。

本日5月27日はドラゴンクエストの日らしい。

RPGの代表格と言っても過言では無いドラゴンクエスト通称ドラクエは、私も通った道で、その道を私に示したのは父親だった。この父、私が母親の腹の中にいる頃から胎教代わりにゲーム音を聴かせるような父で、お陰で私は物心ついた頃には絵本より先にファミコンのコントローラーを握っていた。

そんな私が最初にドラゴンクエストに出会ったのは、ゲームボーイカラーで発売された「ドラゴンクエストIII」だった。記憶はあやふやだが、恐らくは父がひとしきり楽しんだ後のを与えられたのだと思う。そして、それは非常にすんなりと、まるで最初からドラクエを知っていたかのように私の中に馴染んだ。後から気付いたが、胎教の中にはドラクエも入っていたので当然だと言えよう。

何にせよ、ドラクエIIIは私をあっという間に虜にしたのだ。子供でも分かる面白いストーリー、簡単に覚えられる操作性、かといって手抜きは無い。のめり込むのは早かった。順番的におかしいが、その後プレイした初代ドラクエとドラクエIIも非常に楽しんだ。ムーンブルクの王女が好きだった。

と、ここまで言っておいて、実はドラクエⅣからドラクエⅦまで私は未プレイだったりする。知識はあるが、全て当時買っていたドラゴンクエスト4コマ漫画劇場からの知識だ。父は全部プレイしている。ビアンカ派らしい。

そして、そんな私と父が共にリアルタイムでドラクエをプレイする時が訪れた。プレイステーション2で発売されたドラゴンクエストⅧである。当時は我が家には任天堂ハードしかなかったので、父が中古でプレステ2を買ってきた。ソフトを入れて、起動して、映像にびっくりした。鳥山明先生の絵が動いていた。あの初見の感動には今のところ、ブレスオブワイルドの初回タイトルくらいしか追いついていない。

それからというもの、私と父はひたすらテレビに向かった。当時の私は腎臓の治療の為にステロイドを大量服用していたので、感染予防の為に外にあまり出られず、それも重なって本当にずっとドラクエをやっていた。私が操作して、父はマップと情報係だった。フィールドを駆け回るのは私の方が上手かったが、カジノでグリンガムのムチが欲しいとなった時は、父は会社のパソコンを使って、カジノで勝つ方法を調べてプリントアウトして持って帰ってきた。初めてスリーセブンをスロットで当てた時は二人で大騒ぎして、母親にやかましいと叱られたりもした。

ストーリーの途中、好きだったおばあちゃんキャラがいなくなった時、大泣きして「もうやだやめる!」と喚く私に、父は「やめたらまた誰かがやられるかもしれない。勇者が戦わないと平和は訪れないぞ」とコントローラーを握らせた。二人して真剣だった。それほどのゲームだった。そうして、苦難乗り越えて悪を討った時、私と父は万歳してきゃーきゃー喜んだ。また母親にうるさいと叱られたが、あの頃の私は本当に世界を救ったような心地だった。

それから時は経って、ドラクエⅪが発売となった時、私と父はプレステ4とソフトを割り勘で買った。私も大人になって、Ⅷの頃ほど集中してやれなかったけど、それでも楽しくプレイした。父も別のセーブデータでプレイしていて、ちゃっかり進めていたのか、私より先にエンディングを迎えた。流れるスタッフロールを眺めながら「やっぱりドラクエは面白いなあ」と父は言っていた。

私と父は、ドラゴンクエストがなかったら、今ごろもう少し距離があっただろう。私が大人になっても仲良くいられたのはきっと、二人で勇者になって世界を救った思い出があるからだと思うのだ。

ありがとう、ドラゴンクエスト。

「今日ドラクエの日だって皆お祝いしてるよ」と言った私に、定年を迎えた父は操作を覚えたスマホで、星のドラゴンクエストをやりながら「ドラクエは面白いからなあ」と答えたのだった。

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