先日、知り合いの医師の一言に私は驚かされた。 「生きる意味とか、死後の世界とか、若い時はとにかく考えがち。特に中学生から高校生の思春期にかけて」 この知り合いの言葉に漏れず、私も生きる意味とか、死んだらどうなってしまうのだろうかなど、答えの絶対に出ない事ばかり飽きもせずによく考えていたように思う。それは小説が小さい頃から好きだった事や、本を読むために夜更かしばかりしていたことときっと無関係ではないだろう。 驚いたのは、発言した医師の中で、それが思春期の一時の経験と
ベッドに入っても、全く寝付けないことがある。仕事が行き詰まっている時、嫌なことが会った時、時にはなぜ生きるのかなど、人には気恥ずかしくてとても話せないようなことを真剣に考え込んでしまうこともあるかもしれない。 そんな時は、散歩に出る。たまには、自分の中にとことん潜り、正面から向き合わないといけないような気がする。じっくり考え事をする時間が人には必要なのだ。気分によってイヤホンをつけたり、カメラを持って写真を撮ったりしながら、自分のことをじっくり考えるのだ。 夜
小説への「予感」 先日、今更ながら石田衣良さんの『娼年』を読んだ。名作だということはもちろん知っていた。しかし、性描写がすごい小説だということで、大学生の頃からなんとなく避けてきた小説の一つだった。 図書館で本を選んでいる時、古本屋で購入する本を物色している時、本屋で新刊本を買うついでになんとなく近くの棚の本を選んでいる時、様々な場面でなんとなく目に入ってくる本がある。「これはいつか読むことになるだろうな」という予感だったり、「名作だろうな」という予感であったり、本によ