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ソ連邦抑留者埋葬地とカザフスタン、ウズベキスタン等

第2次大戦後のソ連邦による旧満州や樺太・千島列島などでの日本軍の戦争捕虜、通常は抑留者、シベリア抑留者という言葉が用いられている、が存在した。
この抑留者を明確に認識したのは、1996年にウズベキスタンへ出張した時に訪れたタシケント抑留者日本人墓地からだ。同じ、調査団に満洲からの引き揚げ者がいて、その方が是非とも墓参したいと要請したからだ。その後、ウズベキスタンにおける抑留者についてまとめ、wikiにも記載した。

数日前の2022年5月31日、カザフスタンのスパスク(カラガンダ市近郊)にある日本人抑留者埋葬碑に、山田大使が献花した。これは、カザフスタンの「政治的抑圧・ホロドモール犠牲者追悼日」に際して現地で行われた追悼式典に出席したことによる。同地には27か国・民族の慰霊碑群が建立されている。

https://www.kz.emb-japan.go.jp/files/100351255.pdf

それで少し調べ直したら、厚生労働省のHPに収容所と埋葬地の情報がヒットした。
ソ連邦及びモンゴル抑留死亡者埋葬地別名簿索引(厚生労働省)

カザフ共和国(現在のカザフスタン)

カザフスタンにおける収容所と埋葬者数は以下のとおり、合計で344名が埋葬されている、そのほとんどがカラガンダ州の第99収容所第1支部であり262名が埋葬されている。抑留者の配置は土木建築工事や炭鉱・鉱山が多く、カラガンダ州は鉄鋼産業が盛んな土地であり、石炭も鉄鉱石、マンガン鉱なども産出する。
カラガンダ州、6収容所、262名
クスタナイル州、1収容所、1名
ジャンブイル州、1収容所、34名
タラディコルガン州、1収容所、38名
東カザフスタン州、2収容所、4名
南カザフスタン州、1収容所、5名

ウズベキスタンSSRにおける抑留者埋葬者数は17収容所、合計で1008名の埋葬者数である。10年ほど前に調べた時より増加している(876名→1008名)。また、フェルガナ盆地のコーカンドが最も多いのは鉱山なのか、次いでアングレン、カガン(ブハラ)と続く。ウズベキスタンではタシケントのオペラハウス建設、チュルチュク運河などの土木工事に多くの抑留者が従事していた。アングレンはフェルガナ盆地の手前、炭鉱があり、都市そのもののインフラが建設された。



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