見出し画像

カンボジアのムスリム

昨日、2024/1/26、金曜日のランチはプノンペンホテルの裏にあるモスク前のベトナム料理(チャム料理なのか?)でした。その店の前が渋滞、なぜこんなに混んでいるのと同行の方の発言、今日は金曜で礼拝ですよと。

プノンペンには数カ所モスクがあり少数ですがイスラム教徒がいます。カンボジア人口比で約1.6%(wiki)、約24万人、かつてベトナム中部に7-14世紀に栄えたチャンパ王国(中世インド化国家、ホイアン(チャンパの港)近くのミーソン聖域)の主要民族であったチャム族の末裔で現在ではカンボジアとベトナムの少数民族。チャンパ王国は中世インド化国で最初はヒンドゥー教、その後、アラブ商人がイスラム教を伝え10世紀に受容した。

日本との関係では、799年に幡豆海岸(三河国)に漂着して綿を伝え、一弦琴を演奏した崑崙(こんろん、インドシナ地域)人も、それらがチャム文化を代表するものであるため、チャム人だった可能性がある。朱印船貿易の頃、ホイアンには日本人街が形成され、チャンパ王国との交易関係があった。また、山田長政がアユタヤへの途中、滞在している。

クメール・ルージュ(ポル・ポト)政権(民主カンプチア)下(1975-1978)では毛沢東思想に影響された原始共産主義がモデルとされ、宗教が否定されイスラム教徒も迫害の対象とされ殆どのモスクが破壊されたが、1978年12月、ヘン・サムリン政権(カンプチア人民共和国)になり仏教とともに復活保護された。
このモニボン通りからモスクまでの通りにはハラール食堂が数店並んでいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?