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比較対象があるから理解できるんだ
腕時計が壊れたので新しい物を買った。デザインが気に入ったものが複数あり、その中でもどうしても一つに絞れなかった二つを買ったのだけど、そうしたら偶然どちらもソーラー時計だった。
ソーラー時計は時たま充電の為に、光の下に置く必要がある。それで買った二つの腕時計を窓際に並べて置いていたら、どうにも気になってしまう事が有った。それは二つの時計の間の秒針のズレで、数日前にぴったり合わせておいたにもかかわらず数秒ズレている。
私はもともと腕時計はいくつか持っていたのだが、時計同士秒単位で時間が合っているかなんて気にしたことも無かった。そもそも腕時計の時刻は狂うものだし、それに何と言っても、時計を並べてじっくり見たことも無かったからだ。
人は差異によって世界を認識するという言葉を思い出す。
それそのものを見ても比較対照が無ければ、意味は分からず、それどころか意識に上る事すらないかもしれない。
そもそも、自分の中に絶対的な基準を持っている人はいるのだろうか? 絶対音感を持つ人のように。
それは羨ましい事だ。自分なんて生きる意味さえ相対的で他者の評価を欲している始末だ。
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