AIに関する随想録_1_1600x568

AIについて語る時 - (1)「AIって何?」と聞かれた時の若干の恥じらいと躊躇について

1990年代、僕は某大学院の修士・博士課程で人工ニューラルネットワーク関連の研究に従事していた。図書館にはAIバブル期に出版された豪華な本が並び、MITのマービン・ミンスキー教授やスタンフォードのジョン・マッカーシー教授など、AI分野の大物たちが登場した一昔前の専門誌が色褪せつつある時代だ。
 当時は「人工」なんて枕詞はなく、単にニューラルネットワーク、あるいは、ニューラルネット、もっと簡単にニューロと呼んだ。今ではニューラルネットワークは、複雑怪奇化してディープラーニングとか呼ばれてAIのど真ん中の技術になってるけど(元々、ど真ん中だったんだけど)、当時、この2つの間には壁というか、「AI君は、札付きの不良だから近づいちゃダメよ」的な雰囲気があり、「ニューラルネットワークの研究してます」と言うのは構わないけど、「あたし、AIと関係あるの」と言うのは世間体が悪かった。と言うのも、その数年前にAIバブルが弾け、世に言う二度目の「AIの冬」の時代の影響が残ってたからだ。二度目ということは、一度目もある訳で、つまり、また、やっちまったんだ。AI研究のリーダー達って、どう言うわけか、大ホラ吹きが多く(それは、それでカッコイイんだけど)、「あれもできる、これもできる」って、すぐ大風呂敷広げ、わんさか金を集めて大規模に研究始めるんだけど、後で考えるとトンデモない目標設定していて、「これが成果?言ってたことと全然違うじゃん、ショボ過ぎ〜」となって信用収縮、AIと名の付く研究にお金が付かなくなってしまう。そして、冬の訪れを繰り返した。
  あれから、随分、経った。再び何にはばかることもなくAIを語れる世になり、そして、狂騒の季節が再び訪れた。僕は、この十数年、シリコンバレーで会社を作ったり、閉じたり、コンサルやったりしていたが、再び、AIが狂騒を奏でる中、それをかなり冷静に見つめている、・・・と自分では思っている(好きなんだけどね)。

  故ジョン・マッカーシー教授によると、AIの研究は第二次大戦後まもなく、英米の様々な研究者によって始められたが、後世への影響の大きさから、英国のアラン・チューリング博士(1912〜1954年)をして『AIの父』と呼ばれるのが一般的だ。チューリング博士と言えば、技術系の人間ならコンピュータ・サイエンスのノーベル賞と言われるチューリング賞を思い浮かべるだろう。技術系以外の人でも、2014年公開の映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』をご覧になってご存知かもしれない(チューリング博士の伝記を基にした映画)。チューリング博士とAIと言えば、コンピュータが知的かどうか判断する方法として『チューリング・テスト』提唱で有名だが、『知的な機械(Intelligent Machinery)』への思いを示すエピソードとして、当時、既にチェスのアルゴリズムを開発していたという逸話がある。チェス好きの友人には負けたが、その奥さんには勝ったそうだ。もっとも、当時、チューリング博士のアルゴリズムを実装できるコンピュータは存在せず、博士自ら紙とペンでアルゴリズムに沿って次の一手を計算、一手に30分掛かったとのことで、そんな博士に付き合った友人やその奥さんに敬服(何日、掛かったんだろう?)。

  AI(Artificial Intelligence; 人工知能)という言葉は、チューリング博士存命中には存在しなかった。博士は『知的な機械(Intelligent Machinery)』という表現を好み、同時代のSF小説家、アイザック・アシモフ博士(専門は化学)は、その後、ロボット工学に大きな影響を及ぼす名著『我はロボット(I,Robot)』の中で、『陽電子頭脳』なる名称を使った。陽電子の存在が実験でも証明され、当時は「陽電子であれもできる、これもできる」とバズってたのだろうか。
  AIの名付け親は、後にスタンフォードの教授となるジョン・マッカーシー博士だ。チューリング博士亡き後の1956年、米国のダートマス大学で開催された、日本語では一般に『ダートマス会議』と訳されるイベントの『お題目』から来ている。「○○会議」というと堅苦しく、ネクタイ姿のお偉いさんが集まり、真面目な議論の末にAIという研究領域が定義された、とイメージするかもしれないが、イベントの原名は『The Dartmouth Summer Research Project on Artificial Intelligence』、会議ではなく『夏季研究プロジェクト』だ。なぜか、英文のコンピュータ・サイエンス史でも、workshopやconferenceという単語に置き換えられており、日本語訳は原名ではなく、そちらを参照したのだろう。

  で、この『ダートマス会議』、後にAI界のスーパー・スターとなるジョン・マッカーシー、マーヴィン・ミンスキー(後にMIT教授)ら、当時、まだ20代だった若手研究者が中心となり、『10人の研究者が夏休みの2ヶ月を使って、 ”Artificial Intelligence” のお題目の下、朝から晩まで勉強しよう!』という趣旨で有志に呼びかけた集まりだが、参加者は延べ11名(レイ・ソロモノフ博士のメモでは、学生も含めて19名列挙されているが)と規模は小さく、一方、期間は六週間(全期間参加したのは6名のみ)と長かった。参加者には情報理論を確立し、後にアラン・チューリング、ジョン・フォン・ノイマンと並びコンピュータ三大偉人の一人と称されるクロード・シャノン博士、後にチューリング賞とノーベル経済学賞の両方を受賞したハーバート・サイモン教授(政治学者でもある)、神経生理学者で外科医のウォーレン・マカロック博士(人工ニューロンモデル提唱者)、数学者で映画『ビューティフル・マインド』のモデルにもなったジョン・ナッシュ教授(この人も、後にノーベル経済学賞受賞)など、錚々たるメンバーが参加していた。ちなみに、ロックフェラー財団から支援を取り付け、大学からの参加者には給料も払われている(一般に米国の大学は夏休みを除く9ヶ月分しか給料出ないので)。六週間で千二百ドル、平均年収が三千五百ドルだった当時としては悪くない金額だろう。2名いた大学院生にも七百ドル払われている。

  で、歴史上、AIという学術領域を確立したとされる『ダートマス会議』で何が話されたのか?このイベントは、開催一年前から議論する内容が提示されており、参加者には前もって準備する時間が十分あった。主催者側は、
「本研究会では、学習の様々な形態や、あるいは、各種の知的な処理の特徴を、機械(コンピュータ)でシミュレートできるくらい細かく、綿密に述べてもらいながら議論を進めます」
という趣旨を提示し、さらに、より詳しい議題の説明がなされた。
  今なら、別段、驚く趣旨ではない。が、時は1956年。この年、世界で初めてキーボードを使って入力できるコンピュータが登場したばかり(それまでは、紙巻きオルゴールのように紙に穴を開けてパターンを作り、プログラムやデータを表現・入力していた)、2年前に初の高級プログラミング言語FORTRANがやっと開発されたばかり。LSI(IC)なんてものはなく、小さめのガラス瓶のような真空管を、足が3本ある画鋲みたいなトランジスタで置き換えて並べて作った巨大な原始コンピュータが登場してまもなくの時代。「コンピュータの市場なんて、せいぜい世界で5台だ」と否定的だったIBM会長兼CEOのトーマス・ワトソンSr.が6月に亡くなり、息子のトーマス・ワトソンJr.がCEOに就任した年であり、後にシリコンバレーと呼ばれるようになる地では、ロバート・ノイスやゴードン・ムーア(後にインテルを設立)、ユージーン・クライナー(後にシリコンバレーを代表するベンチャー・キャピタルを設立)ら、いわゆる『裏切り者の8人』が、まだ、ショックレー半導体研究所で所長にイビられていた時代だった。


  ダートマス会議では、『AIとは何か』の定義や目標を絞り込むのではなく、むしろ逆で、ブレイン・ストーミング的にアイデアを膨らませたそうだ。2016年にマービン・ミンスキー教授が亡くなり、『ダートマス会議』参加者全員がこの世を去ったが、この時の議事録や参加者のメモは、出席者で機械学習理論の開拓者の一人、ソロモノフ博士(故人)のウェブサイトで公開されている。何を書いているのか良く分からないが、朝から晩まで続いた会議、メモのそこここに落書きがあり、随分凝った作品も見られ、何となく当時の雰囲気が伝わってくる。
  話が逸れたが、同会議では、ある機能を実現するためのアルゴリズムの詳細まで議論される一方、そもそも、コンピュータで何が実現できるのか、そのために何が必要なのか、広範なトピックスが扱われた。知識を整理して「もし、○○なら□□」的構造でユーザーと対話して専門家のように振る舞う機械(エキスパートシステム)や、人間のように学習する機械(ニューラルネット、機械学習)、あるいは、人間と自然な言葉で対話できらた良いよね(自然言語処理)、とか、普通に口頭で話せたらクールだよね(音声認識/合成)、映像を理解できたら凄くネ?(映像処理/コンピュータ・ヴィジョン)、自動で分類したり、条件に合うもの見つけ出すのってどうよ(クラスタリング、探索アルゴリズム)、待て待て、そもそも、それを実装するにゃあ、もっと賢いコンピュータ言語が必要だろう(LISP等の言語)、いやいや、それだけでなく・・・、とアイデアが発散しまくったのは想像に難くない。そんな混沌としたイベントから生まれた領域がAIであり、誕生の瞬間から広大な研究領域をカバーしていた。というか、「それって、コンピュータ・サイエンスとほとんど同義では?」と疑問に思うかもしれないが、それは、それで正解かもしれない。

  1980年代後半に入り、それまでAIバブルを牽引していた何千万円もする高価なAI専用マシンより、AppleやIBMの数十万円の安価な汎用パソコンが性能的にも凌駕、二度目のAIバブルが崩壊し、二度目の「AIの冬」の時代が到来した。すると「AI=エキスパートシステム」として、エキスパートシステムを人身御供に、他の技術は、一斉にAIから距離を置くようになる。今日、各種ニューラルネットはもとより、自然言語処理や音声認識・合成、画像認識、クラスタリングやデータ・マイニングから、シミュレーテッド・アニーリング、IoT、量子コンピュータまで、「我こそはAIのメジャー・プレイヤー」という顔をしているが、冬の時代では、みんなソッポを向いた。そんな時代も知ってるので(自分もそうだったので)、だから、「AIって何?」って聞かれると、僕は若干の恥じらいと躊躇を感じてしまう。そして、最近のトピックスなんかも取り上げる時もあるが、最後はいつもアラン・チューリング博士の言葉を思い出し、「知的な機械」を作るという目標への技術的なチャレンジ全てがAIなんだ、という返答でお茶を濁す。だけど、これを繰り返すうちに、段々、この答えって、結構、的を得てるんじゃないかな、って、思うようになった。若干の恥じらいと躊躇を感じながら。

We can only see a short distance ahead, but we can see plenty there that needs to be done. – Alan M. Turing
(我々に見えるのは少し先の未来までだ。しかし、そこには、なされるべき、多くのことが見える)


(つづく・・・かも)

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その昔、AIの応用研究に従事していた。あれから幾年も歳月が流れ、随分、世の中が変わったと思う。ここ数年、AIに囲まれた社会での『人々の価値観』は、どう変化するのだろうと折を見て空想しているが、紹介する短編小説は、そんな空想を下地に綴った物語です。