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シーンとしたいとき

 関係ないけど、
シーンとしたいときと打ち込むと
後半のしたいときの変換が「死体とき」になるとー
何度見てもヒョエッって思う。



 TVもつけず、ぼんやりしたい。本も読まない。
家事もやる気はない。ご飯、昼ごはんに限るが食べなくてもいい。お菓子は食べる。体操もしない。歩こうなんて思わない。

 書いてみたら、贅沢。ぷぷっ やりたいことやってるね。

 体のことに興味あります。学びに行った。必要だった。心のことに興味あります。学びに行った。
しりたいから繋がった、枝葉のように伸びていった。必要だった。

 ただ。それらがすぐに自分のものになったかというと、そーでもないの。頭でそうなんだろうと思っても、腹落ちしない。
 すると、今までの慣れたやり方に戻るのよ。素晴らしい考え方や方法を「知っている」に留めてしまう。その時のワークや仲間の中では使える気がするんだけど、もちろん一生懸命だしね。

 でね、いろんな学びを縦横無尽に使いたい。使い倒したい。役立てたい。認めあって腹落ちさせて笑いあいたい。

 そんなこと 思って シーンとしてます。うん。

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