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さいはて(アイドルオタク人生録 vol.5)

 新宿、歌舞伎町の奥深く。エレベーターもないような古いビルの3階に、とあるバーがあった。
 狭いカウンターに、座席は詰めて10席程度。一人暮らしの大学生の部屋と同じような広さだった。しかし、その中に15人程度の人が溢れかえっていた。座れずに、立っている人もいた。
 カウンターの中にいたのは、メイド服を着た小さな女性と…メイド服を着た大きな男性だった。

「乾杯しよう!」
 どこからともなくオタクが叫ぶ。
「じゃあ、トントン!挨拶!」
 トントン、つまり、そのメイド服を着た男だ。


カウンターにいるトントン


 彼はグラスを掲げ、少し恥ずかしそうに話し始めた。
「えー・・・本日は私のためにおまつ、、お集まりいただき・・・」
「おいっ!嚙んでんじゃねえよ」と、どこからか突っ込みが入る。
「何緊張してんの?」と狭い店内にはどっと笑い声が響いた。

「本日は私のためにお集まりいただきありがとうございます、私もいよいよ30歳ということですが…これからもよろしくお願いします!」

 これは、オタクの誕生パーティーだった。主役は「トントン」だ。
 彼は、知り合いが営んでいるバーを貸し切り、自分の生誕パーティーを主催していた。

「かんぱーい!」
 思い思いにグラスを合わせる。だが、狭く身動きが取れないので、私がグラスを合わせられたのはトントンを含めほんの3人程度だった。

 カウンターの頭上には、大きなスクリーン。
 流れていたのは、YouTubeだったが、彼が推してきた根本凪や虹コン関連の動画が延々と再生されていた。

 その日は、1時間程度で、ほとんど彼と会話することもなく、私は歌舞伎町をあとにした。
 ただ一つ会話したのは、日を改め、来週の日曜日にインタビューをさせてほしい、ということ。彼は快くそれを引き受けてくれた。
そして、その時には彼が車で温泉に連れて行ってくれるということだった。

 関東甲信越の梅雨入りが発表された翌日だった。6月22日の22時頃。駅までの帰り道は、ぽつりぽつりと、小雨が降っていた。

 結局その宴は深夜か朝までは続いたようだ。私は翌朝、SNSで、その宴が延々と繰り広げられているのを見た。

 それから一週間後。私は、彼の車の中にいた。
 実家の車を出してきてくれた彼は、20分かけて、私が出やすいであろうJRの駅まで迎えに来てくれたのだった。

生い立ち

 よく、遠回しに「家庭環境が複雑」と言ったりするが、文字通り、彼の家庭環境は複雑だった。

 彼は1994年6月22日に生まれたが、父親はわからない。母が19歳の時の子供で、母親は男性と付き合っては別れを繰り返していたそうだ。

 彼が生まれた後もそれは変わらず、彼は東京都東村山市でほぼ祖母に育てられた。そんなある日、彼が小学校5年になるときに何を思ったか、突然母親が彼を「引き取りたい」と言い出した。彼は母親に引き取られることになり、母親との生活を始めることになった。

 新しい生活拠点は東京都江戸川区。母親はそのときもまだ男と付き合っては別れ、という生活をしていた。これは、彼が家を出るまでずっと変わらなかった。そして生活は、ほぼ男性との同棲がメインだった。
 つまり、知らない男性と、母と、3人で暮らすということを短いサイクルで繰り返していたということになる。したがって、交際する男性が変わるたびに引っ越しをしたという。江戸川区、葛飾区のあたりをグルグルと回っていたそうだ。

 一般的に言って、男女関係が終わりを迎える際、どのようになるのかは想像がつく。やはり想像通り、家で起こる喧嘩の数々を見るのは辛かったということだった。ストレスを避けるため、彼は家に帰らなくなっていった。事情を知っている友達の家に遅くまでいたりしても、親はそれを咎めることはなかった。

 そんな彼に転機が訪れたのは高校に入学する前のタイミングであった。
 祖母が母と話し合い、「どうせあんたはこの先も付き合っては別れを繰り返す。苗字だってコロコロ変わるかもしれない。子供をそれに巻き込むのはかわいそうだ」と言って、祖母が彼を引き取ることになったのだった。
 引き取る、と言っても、住むだけではない。その時、彼は正式に祖母の養子となったのだ。

 と、ここまででも複雑なのだが、さらに複雑なのが、彼の家の住人である彼以外の4人だ。
 彼にとっての祖母(法律上の母)、その内縁の夫、叔母(法律上は姉)、叔母の娘(いとこであり、法律上は姪)である。
 祖母は良いと思うが、まず、祖母の内縁の夫。祖母は離婚したあと、一緒に暮らす人を見つけており、その人ともう20年程度住んでいるそうだ。それが、この内縁の夫である。
 そして叔母。こちらも離婚している。
 その叔母の娘。彼からすると血縁上はいとこであるが、物心ついた時から一緒に住んでいたため、何と表現していいかわからない関係性だ、と語る。彼の10歳下で、今20歳だそうだ。
 ここまでが、彼の「複雑な」家庭環境である。

 彼は今でも母親とはほとんど連絡を取っていない。どこで何をしているのかもわからない。20歳になった時に多少連絡を取ったし、LINEはあるが、それ以外の連絡手段はないそうだ。
 ただ、彼はそれを特段さみしいと思ったりすることはないと語る。同時に、自分の父親についても、全く気にならない、と語った。

学生時代

 彼は中学生の時からずっと剣道に打ち込んでいた。
 勉強は結構できる方だったそうで、中学校で180人いれば、20番台に乗る程度であったが、勉強というものがあまり好きではなく、どちらかというとスポーツのほうが好きだったと話す。

 そんなときに、スポーツ推薦の話があり、剣道推薦で行ける高校がある、という話を聞き、剣道推薦で高校に行くことに決めたのだった。

 オタクに目覚めたのは、2008年頃。つまり彼が中学生だったときだ。「しゅごキャラ!」というアニメのテーマソングを担当していたのがBuono!で、曲に惹かれて調べてみると、嗣永桃子というかわいい子が歌っているということを知る。それから彼はハロプロに傾倒していくようになった。
 クラスのアイドル好きの男子と、CDを買ったり、ハロプロショップ(ハロショ)に行き生写真を買ったりしていた。
 初めて行ったライブは、Berryz工房のライブだった。写真やテレビで見ているアイドルが目の前にいてキラキラしている、そのことに感動し、楽しかったと語る。

 2010年に高校生になった彼は、スポーツ推薦で入った剣道に打ち込みながらも、オタクを続けた。しかし、高校2年になるタイミングで彼は怪我をしてしまう。それを機に彼は剣道に対するやる気をすっかりとなくしてしまう。
「剣道推薦で入ったんですけど、じゃあ退学しろみたいな圧力は別になくて。一度やめるとやる気がなくなるんですよね。あと、顧問とも反りが合わなかったんです。一年から二年になるときに顧問が変わったんですけど、どうもやり方が好きじゃなかったんですよね」

 そうして彼は中学生から打ち込んできた剣道を辞める。しかし、ここで「相撲部に入らないか?」との誘いを受け、相撲部に入ることになる。

「トントンってスポーツ得意そうだけど、結構実績残したほう?剣道とか相撲とかで」
「うーん、両方とも関東大会まで出たくらいですね」
「それってすごいの?」
「まあ、中の上くらいですかね。相撲に関しては競技人口が少ないんで、一回勝てば関東大会には出られるんですよね」

アイドル戦国時代

 高校になってからもオタクは続く。彼が衝撃を受けたのは2010年5月30日放送のNHK「MUSIC JAPAN」だった。この番組のこの回は、アイドリング!!!、AKB48、スマイレージ、東京女子流、バニラビーンズ、モーニング娘。、ももいろクローバーの計7組が一挙に集まる「アイドル戦国時代」のスペシャルだった。
 彼はそこに出ていたももいろクローバー、つまりももクロに衝撃を受け、そこからももクロのオタクになる。推しは、あーりんこと佐々木彩夏。
 2010年。まだももクロがデパートの屋上でライブをしていた頃の話だ。
「当時僕の高校は立川のほうだったんで、ライブ会場に近かったんですよ。で、毎週ライブがあったので、授業が終わったら自転車でライブ見に行って、ライブが終わったら即学校に戻って、それから部活に行くってことをしてました」
「接触は行ったことないの?」
「全くないですね。高校生だし、バイトもできなかったんでお金もないですし」
「現場での友達とかは?」
「全くいなかったですね。高校の友達と2人で行ってたんでそれだけです。ライブ終わったらすぐ帰っちゃうんで、友達はできなかったですね」

 後に国民的なアイドルグループに成長し、サクセスストーリーの第一歩として語られることの多い、ももクロのデパートの屋上ライブ。彼は、多くのモノノフが羨ましいと思うほどの「古参」である。しかし、彼は2011年夏の野外ライブ「サマーダイブ2011 極楽門からこんにちは」を経て、2011年秋冬の労働讃歌ツアーであっさりとももクロに飽きてしまう。

「なんか、曲の方向性が変わった気がしたんですよね。狙いすぎっていうか」
「あー、ココ☆ナツとか・・・そっち系かな」
「労働讃歌とかのあたりですね。Z伝説もあんまりハマらなかったんです」
「ももクロがその後すごい勢いで売れたと思うんだけど、ああ、応援しときゃ良かったみたいなことは思わなかった?」
「いや、それは特に思わなかったですね。でも、クラスでも有名になってくると、CD貸して、って言われて、CD貸したりできたんで、そういう点では嬉しかったですよ」
「結局、あーりんからは認知あったりするの?」
「いや、認知は全然ないですね。接触に行ってなかったので。あー、でも、よく考えたら1回だけ接触は行きましたね。ココ☆ナツかなにかのイベントで、集合チェキかなんか撮りました」

 その時、背後からサイレンが鳴り響いた。後ろを見ると救急車が来ているようだった。
 彼は3車線の真ん中で信号待ちにて停車していたが、「真ん中を通してあげないと」と言い、緊急車両が通りやすいように右側に寄った。
 後ろを見ていると皆、徐々に真ん中を通れるように開け始める。しかし、救急車はなかなか前に進まない。
 「後ろのベンツのおじいちゃん、気が付いてないですね」
 我々の後ろにいるベンツは全く動かなかった。
 やがて信号が変わり、私たちも前進した。それに伴い、救急車はどこかへ行ってしまったが、この出来事は彼の「頭の回転の良さ」のようなものを改めて感じた。

 ももクロの後は、「おはガールちゅ!ちゅ!ちゅ!」に夢中になった。
「わかります?平祐奈っていう、長友の嫁の平愛梨の妹とかがいるんですけど」
「あー、なんとなくわかるかも」
「曲を、ジュディマリのTAKUYAが作ってて、それがめちゃくちゃカッコ良かったんですよね。あと、ゆっふぃーにも行きました。寺嶋由芙です」

 その後、彼は2013年に大学に入学する。これもスポーツ推薦だった。
「僕が通ってた大学って相撲部がほんと人いなくて、とりあえず入ってくれみたいな感じでした。で、一応最初の1年だけ寮で暮らさないといけなかったんです。でも、そのあとはもう人数合わせのためだったんで、全然部活行ってなかったですね。まあ、大会の時とかは人数足りないからって言われて仕方なく行くだけ行ったりしてたんですけど」

 それからもオタクをしていたが、その時に出会ったのが「つくドル!」のオーディションである。
「面白そうだなって思ったんですよね。制作陣が良くて」
「あー、もふくちゃんとか?」
「そう、あと竹中夏海とか、岸田メルとか見て、面白そうだなって」
「なるほどね」

「で、オーディションが終わってメンバーが出たとき根本凪を見て、この子いいな、って思ったんですよね」
「つまり一目惚れだったんだ」
「そうですね。僕目が丸くて大きい子が好きなんです」
「なるほど。で、そっからは虹コンのオタクになるわけね」

根本凪の9年

「虹コンって昔はリリイベひたすらやってて、トントンも結構お金使っていたと思うんだけど、最初からすごくお金を使ってたわけじゃないと思うんだよね。どう?」
「そう、最初は使ってないですね。学生なのもあったんで」
「ちなみに虹コンって、昔はイベントに行けるのは各メンバーごとに上位1名だけだったって聞いたことがあるね」
「そうなんですよね。最初とかはもう、1人しか行けないんで、別に自分が行こうとは特に思わなかったんです。やっぱ社会人には勝てないですからね。そのときは、Xさん(根本推しのオタクの具体的な名だ)が行ったんですよ」

 少し解説する必要があるだろう。虹コンには昔「ポイント」というものがあった。このポイントはCDなどを購入することでもらうことができるもので、このポイントを貯めることで、色々なイベントに招待されることができるものである。CD1枚に1ポイントが原則付帯していることから、500ポイント特典に参加したいと思った場合、だいたい500枚CDを買う必要がある。
 なお、このポイントはリリース期間ごとにリセットされる。つまり、シングル1枚ごとにリセットされるということである。ちなみに、実際に500ポイント特典などは当たり前のように存在していた。
 つまり、裏を返すとこのポイントは、ポイントを貯めない一見さんにとっては何の価値もないものだった。だから、声をかければ無償や、安価でポイントを譲ってくれる人も珍しくはなかった。(ポイントを譲渡したり、売買したりするのは、厳密に言うと本来はNGなのかもしれないが)

「じゃあ、どうして、どこで火が付いて大量にお金を使うようになったの?」
「やるっきゃ(やるっきゃない!2015)のリリイベですね。全部で確か36回ぐらいあったんですけど、僕は35回行ったんです。行かなかったのも、根本が欠席した回だけで、根本が出るときは全通したんです。で、コツコツポイント貯めてたんですけど、Xさん(前イベントでポイント1位のオタク)が当時忙しくて、2回ぐらいしかリリイベ来なかったんですよ。でも、その人がその2回で大量にお金使って、ポイント貯めて、結局1位になったんです」
「あー、なるほど」
「それがなんかすごく悔しくて…それからですね、お金を使うようになったのは」
「その後の有頂天(「THE☆有頂天サマー」。次のシングル)からは僕も虹コンのオタクになってトントンと知り合うわけだけど、根本界隈って強い人が何人かいて、誰か絶対的存在がいるって感じじゃなかったよね」
「そうですね」
「僕の記憶だと4人ぐらい強い人がいて、そのうちの1人がトントンだと思うんだけど、他の3人はみんな社会人じゃん。財力ではかなわないと思うんだけど、そこの部分をどう向き合ってきたの?」
「そうなんですよね。だから、ポイントとかを融通してもらえるように人脈を広げて仲良くしたりしてましたね。あとお金はできる限り稼ごうと思って、夜中は倉庫のピッキング作業したり、昼間は日雇いをしたりして働きましたね」
「そうすると、虹コンがポイント制じゃなければ、こんなに友達を増やすことはなかった?」
「そうでしょうね。その影響は大きいですね。虹コンがポイント制だったから、自分の利益を考えて知り合いを意図的に増やしたというのはあります」
「ポイントが人間関係にまで影響したのはなんだか面白いね」


「あと、財力で足りない部分をどう埋め合わせるかですけど、Twitterで名前を売ってました」
「尖ったことを言うみたいな」
「そうです」

 彼のTwitterは毒舌というか、煽りのようなこともよく言っており、良くも悪くも目立つ存在であった。

「僕は根本凪ガチ恋だったんですよ。なので、行動できちんと示したかったんですよ。それは具体的には、イベントに行く、チェキを撮る、っていうことです」
「なるほどね。なんとなく今でも覚えてるんだけど・・・虹コンのおまいつ(常連)が他のアイドルにみんなで行ってあんまり虹コン行かなくなったときに根本が、ブログで他のグループ行ってる人に向けたコメントを出したときにトントンがすっごく凹んでた気がするんだけど、あのときは結構凹んだの?」
「ああ、ありましたね。まあ確かに凹んだんですけど、一番病んだのは別であって」
「どういう?」
「Xさんが忙しくて、半年ぶりぐらいに根本のところに来たんですよ。そしたら根本がそれを見て泣いたんです。あれは相当病みましたね」

 それが西暦2015年、2016年頃の話だ。この頃は私も虹コンに通っていたので、当時の現場の雰囲気やオタクのことまでよくわかる。

「トントンってその頃ぐらいから、最前にこだわり出したじゃん、あれってどうして?」
「あれは、もともと別のオタクがいて、その人が最前文化を持ち込んだんです。最前で見るライブって、やっぱり特別というか、確かに良いじゃないですか。後ろでわちゃわちゃ友達とライブ見るのも良いんですけど、やっぱり、最前で見るライブっていうのは格別で。あと、やっぱガチ恋だったんで、他の推し被りの頭が自分と推しメンの間にあるのが不快だったんです。あと、レスですね。特典会は当たり前に1対1だと思うんですけど、ステージ上の推しメンから、ライブ中にレスもらうのって、特別だと思うんですよね、自分だけに来てるってことなので」
「なるほどね。ちなみに、最前系の人ってさ、めっちゃ発券してるけど、どこからお金出てるの?」
「あれは、結局はチケット、結構捌けるんですよね」
「とは言っても、捌ききれないものとか、転売できないものもあるじゃん?」
「そうですね、そういうのは単純に金持ちとかだと思いますね」
「でも最前管理みたいのって若い人多くない?大学生とか」
「そういうのは、アパレルの転売とかそういうので稼いでるんだと思いますよ」
「ああ、そうなんだ」
「スニーカーとか、服とかですね」
「あとはプレステ5とか?」
「そうです」

 2016年、2017年、2018年と時は過ぎて行く。
 私は徐々に虹コンから離れていた。同時に、多くの知り合いもこの時期には虹コンを多く離れていた。

「根本はガチ恋だったんです、ただ、だんだんそれがなんだかわからなくなってきて」
「どういうこと?好きな気持ちがわからなくなってきたということ?惰性で通っているというか」
「そうですね。だんだん、オタクの居心地が良すぎて、アイドルを見に行ってるのか、オタクと会いに遊びに行ってるのかわからなくなってきたんです。根本がでんぱ組に入って、でんぱのライブとか行くと余計にそれを感じました」
「それは、でんぱ組のライブがあんまり楽しくなかった、っていうこと?」
「そうですね」
「やっぱり、虹コンのオタクの居心地の良さとか、自分の地位みたいなものにあぐらをかいていた部分はあったと思いますね」
「2018年ぐらいになって、みんなどんどんオタクが他に行ったと思うんだよね。根本のオタクも、トントンが一強になったように見えたよ」
「そうなんですよね、そういうのもあって余計に居心地が良かったんですよ」

「去年だっけ、トントンが主催してくれた虹コンオタクのバーベキューかなんかやってるとき、トントンが新規も古参も全員と仲良く話してて、みんなに囲まれてるのを見た時、トントン総合TO(グループ全体のTO)じゃんって思ったんだよね」
「ああ、ああいうのもみんなと仲良くしておけば、いいことがあるからなんですよね」
「でも実際、虹コンの総合TOだったんじゃない?」
「うーん、それはわかんないですけど」

「トントンチルドレン、っていうのがいるんですよ」
「ああ、らしいね」
「昨日もちょうど、この辺(秋川渓谷)でバーベキューしたんですけど、みんな来てくれて」
「写真見てた。あれは誰だろうって思ってたんだけどトントンチルドレンなんだね」
「そうなんですよ、みんな元々は根本推しで」
「トントンを慕って集まって来てくれたと」
「そうです。かわいいですね。でもみんな、僕のこと最初は怖かったって言うんですよね」
「まあTwitterで尖った発言繰り返してるもんね、それは怖いでしょう」

「ちなみにトントンって、わりとメンタル強いように見えるけど、結構寂しがり屋なの?」
「めっちゃ寂しがり屋ですね。僕全然メンタル強くないですよ。そう見えますか?」
「うん、わりとそう見える」
「そうですか。わりと結構すぐ病むんですよね。例えば仲良しが遊んでる写真アップしてて、僕だけ誘われないとすごい、なんで誘ってくれなかったのってなりますよ」
「なるほどねえ」

 寂しがり屋な彼にとって、虹コンとそのオタクという居場所はとても居心地が良かったのだろう。中学校の時、家に帰りたくない、と友人の家で時間を潰していた彼は、虹コンというアイドル現場で、自分が本当に心地良いと思える場所をついに見つけたのだった。
 だからこそ、最後まで推しを見届けることができた。

「2022年4月に根本がアイドルを卒業するまで、全部推し切ったってことだよね、デビューから、引退まで完全に。他のアイドルに行こうと思わなかった理由ってどこにあったの?どうして根本凪にそこまで惹かれたの?」
「さっきも言ったように途中からはオタクに会いに行ってるのかというのはあったんですけど、でもなんだろう、最後まで何を考えているかわからない子でしたね。僕にとってはそれが逆に良かったのかもしれないです」

原田珠々華の1年

「根本凪が卒業してからは本格的にオタクしてなくて、虹コンも誘われれば行く、という感じでした」
「乃木坂だっけ、しばらくゆるく坂道のオタクしてたよね。川﨑桜だっけ」
「そうですね」
「そうしたら、原田珠々華が6月に虹コンに加入したと。その時すぐに行ったの?」
「加入後すぐには行かなかったんです。初めて接触に行ったのは、2022年12月の栗原田(栗原舞優と、原田珠々華)でした。面白そうだなって。アイドルネッサンス時代の曲もやるっていうし」

 解説しておくと、虹のコンキスタドールの栗原舞優は、過去にアイドルネッサンスの姉妹グループのAISに所属していた。そして、原田珠々華は過去にアイドルネッサンスに所属していた。よってこの2人は、前世からのつながりがある。持ち歌も前の事務所で共通しているものがあるのだろう。

「アイドルネッサンスのころから知ってたんだ?」
「ですね。当時、2015年とか2016年って、虹コンのオタクがみんなで別の現場行くって言うのをやってたと思うんですよ」
「あったねー。むすびズムとかもみんなで行ってたよね」
「そうそう、僕はむすびズムは行かなかったんですけどね」
「そうなんだ」
「原田珠々華は当時から顔がめっちゃ好きで、顔が好きっていうことは度々言ってたんですよ」
「じゃあ認知もあったと」
「そうですね、昔からありました」

「栗原田で接触行ったら、『えっ来ちゃいなよ』『来ればいいのに』みたいなこと言ってましたね」
「でもそのときは本格的に通おうとは思わなかった?」
「はい、決定打になったのはその2週間後ぐらいの、(2022年)12月頃の予科生4人のライブですね。これを見て、すごく良くて、これは通うべきだとなりました」
「そんなに良かったんだね。それで本格的に原田珠々華を推し始めたんだね」
「はい。ちなみに・・・原田珠々華を推した1年間は、それまで根本凪を推してきた9年間よりも充実していたと思いますね」
「それはどうして?」
「オタクとしての集大成を発揮できたというか」
「それはつまり?」
「チケの取り方、信頼関係の作り方とか、いろいろ、根本凪で9年間やって来てるんで、僕にはそれまでの学びが蓄積されてるんですよ。言わば、”強くてニューゲーム”状態なんです
「あー、なるほど」
「なので、全然本気出さなくてもオタクの中ではダントツで強くなれましたし、2,3か月経つだけで、1年間通ったくらいの信頼関係を構築できていましたね」
「すごいな。ちなみに信頼が構築できた、っていうのはどういう時に感じるの?」
「相手が、自然に自分のことを話し出したときですね。いろいろ心の病気のこととか話してくれましたし」
「なるほどね。ちなみにその信頼関係の作り方っていうのは具体的にどういうものがあるの?」
「うーん、僕の場合は、”相手の求める自分になる”っていうことを心掛けてましたね。例えば、当時コロナ禍だったんで、騒ぎまくるみたいな楽しみ方ってできなかったじゃないですか。まあ、主流としてはペンライトを振るみたいな流れになっていたと思います。でも彼女はどっちかっていうとそういうのよりも、コロナ前の楽しみ方を求めていたんです。だからそういう意味では、わりと僕は素でいられたんです。最前マサイとかそういうのを肯定的に捉えてくれる子だったんで」
「なるほど、じゃあ、推しメンが逆におとなしく見るのを求める子だったら、それになるんだ」
「そうですね。ペンライト振っておとなしく見てほしい、っていう子だったら、それに合わせます」

 そうして、彼は原田珠々華からの信頼を獲得していった。そしてジェットコースターのような速度で、ガチ恋の沼に沈んでいく。

 いつしか車は拝島を超え、JR五日市線沿いを走っていた。
 JR武蔵増戸駅。私はこの風景に見覚えがあった。
 大学で上京して初めての夏。私はこの道をペン回しの仲間たちと共に歩いていた。コテージを貸切っての10人での合宿。それが、私のあきる野、五日市の貴重な思い出の1つだった。

「信頼はされていたんですけど、一方で、特典会で泣かれたりもしたんですよ。『トントン私のこと嫌いになったんでしょ』って。全然こっちは態度変わってないのに」
「ああ、それは多分相手のメンタル的なものだろうね・・・」
「そういうことは何回もありましたね。とにかく、僕が離れるということをものすごく怖がっているように見えました。でも僕の”好き”も、どんどん大きくなっていきました」

「マルシェ(メッセージ入りの写真データ)と、栗原田とかのイベントでは相当買い占めたみたいなイメージがあるんだけど、どう?」
「マルシェに関しては、くらさんならわかると思いますけど…昔の感覚で言ったら手に入れる難易度が高かった"手紙特典"のようなものが3000円で手に入るお得感がありました」
「確かに、虹コンで手紙貰うのはめちゃくちゃCD買う必要あったよね」
「はい。あとマルシェってただ一方的にメッセージをもらって終わりではなくて、こちらが投げかけた物事に対しての回答がそこでもらえるんです。例えば重要なライブの前後にそのライブに対しての想いや感想、あるいは特典会中の何気無い会話から生じた疑問なんかを備考欄に書いてそれに返事を貰うというある種文通のような形になっていたわけです。伝えたいことも多くなると、それだけ枚数も増える、ということで、多く買っていた部分もありました」
「確かに文通と考えれば3000円は安いね」
「けど、例えば中々売り切れないと本人も気にしてしまったり、周りの他のオタクからも「原田のマルシェ売り切れてないんだ〜」ってなんとなく下に見られてしまうような気がしたんです。それがすごく嫌だったので、そんなに買うつもりじゃなくても多めに買って枯らすこともありました」

「なるほど。イベントのチケットは?」
「チケットに関しては、最前で観る事に拘ってた過程で、大量にチケット買った方が良い番号出る可能性も高くなりますよね、って感じでいっぱい買ってました。キャパが50の会場なら15~20枚くらいは買って他のオタクに捌いてました」

「なるほどね。ちなみにガチ恋が加速した瞬間みたいなのってある?今思えばあれでスイッチ入ったな、っていう瞬間とか」
「そうですね。通い始めて半年くらい経ったくらいですけど、チェキ撮る時に人差し指を一本立てて、『このポーズで撮ろう』って言ってきて。『なんの1なの?』って聞いたら『1番好きの1』って答えが返ってきたんです」
「おお」
「『僕がずーちゃんを1番好きなのか僕のことをずーちゃんが1番好きなのかどっち?』って少し意地悪な質問したんです。そしたら、『どっちもに決まってるじゃん』って言われて…。その時になんとなくガチ恋スイッチが入った気がしてます」
「なんかいいね、それ」


「もう1つ。それから2ヶ月くらい後に虹コンの9周年ライブがあって、僕はホールコンサートがあまり好きじゃないので1番安い3階席みたいなところで観てたんです。そしたら、僕の隣に彼女のお母さんが座ってたというのを後日特典会で聞かされたんです」
「うんうん」
「彼女から、『(母親から)どんなオタクなの?』って聞かれたから『1番好きなオタクだよ、って言っておいた』って言われたんです。しかもそれがメンバー全員参加のお見送り会みたいな所だったんで周りにいるメンバーからも歓声が上がって、あれは嬉しかったですね」
「強すぎる。圧倒的に好かれてるね」

「あとは・・・彼女、大人とか目上の人とかに"珠々華"って呼び捨てされるのが苦手だったらしくて、その話を覚えてたので積極的に"ずーちゃん"って呼んでたんです。ある時特典会で『ずーちゃんって言いにくいし、いっその事"姫"とかでもいい?』って言ったら『姫は嫌だけどトントンなら珠々華って呼んでもいいよ』って言われたんです。その後、珠々華とお互いの下の名前で呼び合ってニヤニヤするみたいなこともありました」

 上のやり取りをアイドルオタクでない人に見せると、アイドルを相手に何本気になっているんだよ、と言われるかもしれない。しかし、アイドルオタクであれば、上記のような対応をされて本気になる人を誰も否定はできないだろう。
 それどころか、どうも彼は推しメンと両想いだったのではないか、とさえ思える。
 両想い同士。会えば会うほどに膨れ上がっていく想い。どんどん加速していくガチ恋。

 しかし、この恋は意外な結末を迎える。


 やり取りから伝わっていると良いのだが、私は彼をクレバーな人間であると考えている。
 ここでいう「クレバー」というのは、勉強ができるとか、高度な専門職についているとか、そういう意味合いとは少し違っている。どちらかというと、先ほどの一幕で、救急車にいち早く気が付き、道を開けることができるといった、周りが良く見えているところや、ポイント目的など打算的な損得勘定があるにしても、様々なオタクと打ち解けて仲良くすることができるといった、シンプルな行動力である。
 これらは、勉強ができるという頭の良さとは全く違うものだ。また、オタクをするノウハウというものを確立して、推しメンとの信頼関係を構築している。
 彼は物事をシンプルに考え、自然に実行していくことができる。

 そんな彼が最終的にたどり着いてしまうのは、出禁という結末であった。

「僕の好きはどんどん大きくなっていって、で、最終的には、出禁になるんですよね

 私は既に彼が出禁になったことを知っていた。だが、どうして出禁になったのかという理由は知らなかった。

「まあ、特典会でちょっとした喧嘩になって、僕もちょっと冷静じゃなかったんで、どうしても話したいって思ったんです。で、待ち伏せしたんですよね。だいたい、住んでる場所ってわかるじゃないですか」
「まぁ、大抵は噂でなんとなく、っていうのは結構あるよね」
「そう、あとは近所の話とかを配信とかでするじゃないですか。家帰る前にドンキ寄って、中本でタンメン食べて、とか言うと、1つ1つはどこでもあるチェーン店なんですけど、全部を満たす条件になるとどんどん絞られていくんで」
「そうだね、そういうのも確かに、本気出したらわかるかもしれない」
「で、駅で会ったんです」
「相手はどうだったの?」
「驚いていましたし相当拒否されました。警察呼ぶとかいろいろ言われて、結局すぐ帰りました」
「なるほどね」
「その次の日のイベントで、スタッフに呼ばれて、『あなた、昨日メンバーを待ち伏せしましたよね』と。素直に認めました。そうしたら、出禁になりましたね」
「そういうのって、出禁です、って言われるの?」
「いや、正確には『今後、当社の主催するイベントへのご参加をお断りします』みたいな、そんな感じでした」
「どういう気分だったの?」
「もちろん相手には今思えば悪かったなと思います。ただ、もう正直原田も辞めるってわかってたし、出禁になったこと自体はもういいやって感じでした」

 繰り返すが、彼はクレバーな人間である。その彼がどうしてこのような行動を取り、このような結末を迎えてしまったのか。
 「好き」という気持ちを押し付けすぎた、と彼は言う。しかし、本当にそれだけなのだろうか?
 2人の間で何かあって、どうしてそのリスクを取ってでも会いに行こうとしたのか、それは最後までわからなかった。

総括:原田珠々華というアイドル

 原田珠々華というアイドルは何者だったのか。
 アイドルオタク人生録 vol3、4、5で原田珠々華推しの3名を連続して取り上げた。半分は計画して、半分は計画せずして、「原田珠々華三部作」が出来上がったわけである。
 ここで改めて、彼ら3人の目を通じて、彼女が何者だったのかを振り返ってみたい。

感情を吐露するのが上手い子でした。ブログの文章とかすごく上手いんです。自分の感情を伝える能力がすごく高い子でしたね

かわもと ―ガチ恋、オタ卒、結婚した元オタクが今思うこと(アイドルオタク人生録 vol.3)

 かわもとさんの評では、「感情の吐露能力」、つまり感情の言語化能力が極めて高い、ということだった。確かに、彼女のブログ(noteである)を見ても、上手い。例えば、曲が書けないことを「私の部屋は呪われている」と表現するセンス。とてもじゃないが、私には真似できないような詩的な境地にたどり着いている。
 何といっても、かわもとさんがオタクを辞めてからは、彼女はシンガーソングライターとして作詞作曲をしているのだ。これは並大抵の能力で出来ることではない。まさに、かわもとさんの指摘は正しく、その才能が遺憾なく発揮されたのが彼女の作詞作曲の数々なのだろう。

「上へ上へ行こうとする負けん気っていうのは自分にないところなので、すごく惹かれましたね」

けもやま ―再び誰かを愛するために。関西在住大学講師の想い(アイドルオタク人生録 vol.4)

 けもやまさんの評では、「負けん気の強さ」に惹かれた、とあった。これに関して、トントンがアイドルネッサンスに関して話していた。
「過去の(アイドルオタク人生録)読んだんですけど、ルネが人間関係に問題を抱えていたのは本当だと思いますね。というか、6対2じゃないですか。2のほうからすると、ほとんどいじめみたいに感じたみたいです」
 確かにそれはそうかもしれない。

 その中で掴み取った『前髪』の歌い出し。もちろん歌割はレコード会社のスタッフが決めることなのだろうが、もしかすると彼女がぐいぐいと前に出て行った結果なのかもしれない。だとすれば、確かに並大抵の執念ではないだろう。
 そして、vol.4の文章中にも出てくるが、コンカフェでも1位を取ろうと頑張っている姿、この負けん気の強さは確かに彼女に備わった特質であろう。

 そしてトントン。

「結局、トントンは、原田珠々華の何が好きだったの?」
結局は顔ですね。初めて会ったときからそうなんですけど、全アイドルの中で一番顔面が好きなんです。あとは、すごく賢かったですね。色んな場面で物事を冷静に客観的に見て自分が求められてる役割に徹することが出来たり、今自分に足りないものを考えて、それを補うためになにをすればいいかとかを常に考えてました」
 顔。そして、賢さ。

「でも、綺麗ごとを抜きにすると、一番は自分に対して明らかに他と違う対応してくれてたところかもしれないです。実際他のオタクがどうだったか分からないし、彼女にそんなつもりがあったのかも分からないですが、でも僕は自分で明らかに他と違う対応してもらってたと思ってます」

 特別扱い。これは、vol.3のかわもとさんの「夏の間はレスが7割来た」という話にも共通するものだろう。

 3人の目を通して原田珠々華という人間の存在が理解できてくる。

「ちなみに、シンガーソングライターって突然活動終了してましたけど、コンカフェのバイトがばれて契約解除になったらしいです」
 2022年3月31日、彼女はシンガーソングライターとして契約している事務所との契約を突然終了していた。

 一流のアイドルとはなんだろうか。私は今まで色々なアイドルを見てきた。
 ステージに真剣なアイドル。
 ダンスに真剣でレスしないアイドル。
 ダンスをさぼってオタクとコミュニケーションを取り続けるアイドル。
 歌姫のポジションにこだわり続けたアイドル。
 リーダーとしてメンバーを支え続けたアイドル。
 デビューから全然人気がなかったのにアイドルでい続けたアイドル。
 オタクとつながってクビになるアイドル。
 未成年飲酒でクビになるアイドル。
 彼氏がばれてクビになるアイドル。
 品行方正で傷一つなく辞めて行くアイドル。
 かわいいだけで何も出来ないアイドル。

 数えきれないアイドルの姿がある。アイドルが100人いれば100通りのアイドル像がある。
 では、この中で一流とそうでないものを分ける境界線はどこにあるのだろうか。

 私が思うに、一流のアイドルとは、ファンのことを心から愛しているアイドルのことだと思う。

 極論、彼氏がいるが、オタクのことは大好きというアイドルでさえ素晴らしいと思う。もちろん彼氏がいるからダメ、という考えもわかる。だが私はそう考えるにはあまりにもオタクをしすぎた。

 どんな品行方正なアイドルよりも、世界が終わるときにオタクのことを思い出してくれるアイドルこそが一流のアイドルだと思う。オタクとつながっていようと、彼氏がいようと、それが表に出ようと、そんなことは私にとって関係ない。
 
「これは、良い話かもしれないんですけど・・・。原田って飲みすぎたりして酩酊状態になることよくあるらしいんです。そのとき支離滅裂なことを言うらしいんですけど、オタクのことを本当に愛しているっていうことをすごく言うらしいんです。どんな酩酊状態になっても・・・」

「ある時、『トントンね、私が嫌いになったら、いなくなって良いんだからね、私のことなんて忘れて、遠いところで幸せになってね』って言われたことがあります。僕は『どこにも行かないよ』って答えるんですけど」


 心の病気を抱えながらアイドルを続ける。そこには想像を超える苦しみがあっただろう。だが、彼女はその病気の中でこそ得られる感性を研ぎ澄まして曲を書いた。詩を書いた。そして、それを愛するオタクに届けた。病気にただでは負けない心。オタクを本気で愛する心。
 それだけあれば、彼女を一流のアイドルと呼ぶには十分だろう。

 原田珠々華。彼女は少なくとも3人の人生に大きな影響を与えたアイドルだった。
 この3人の記事を読んでいただいた貴方には、アイドルという職業の尊さがわかるだろう。
 人に一生の思い出を与え、人に生きがいを与え、人を進化させる存在。それがアイドルである。

本当にありがとうと、楽しかったっていう感謝の気持ちです。ああいう終わり方にはなってしまったけど、楽しい時間をくれたことに本当に感謝しています

かわもと ―ガチ恋、オタ卒、結婚した元オタクが今思うこと(アイドルオタク人生録 vol.3)

 離れてしまったオタクたちからの深い感謝の言葉。
 そしてそれは、トントンからも同じであった。

「珠々華にとって、僕は正直めんどくさいオタクだったと思いますけど、それでもいろんなワガママに応えてくれる珠々華が好きでした」

 
 アイドルネッサンス時代のTOであるかわもとさん。
 アイドルネッサンス時代からシンガーソングライター時代、虹コン時代、現在のコンカフェ時代もずっと通い続けたけもやまさん。
 そして、虹コン時代のTOであるトントン。
 「原田珠々華三部作」はこれでフィナーレを迎える。
 
 今回、私は3人のオタクライフをインタビューという形で残したが、これにより、原田珠々華というアイドルの存在が少しでも理解されたなら嬉しい。

 アイドルが教えてくれるのは「最高の時間はずっとは続かない」ってことじゃなくて、「最高の時間ってのは少なくとも存在する」ってことだからな

 この言葉を、トントンの名言だと思っている人もいるが、実際は彼によるパクリツイートである。

 ただ、私が3人の話を聞いて思ったのは、原田珠々華が、「最高の時間」を作ることができるアイドルだったことは間違いない、ということだ。


さいはて

 車は、いつしかJR武蔵五日市駅にたどり着いていた。新宿、立川、拝島と東京の西側へ行く路線の終着点、それが武蔵五日市だ。

「もうちょっとで温泉に着きます。武蔵五日市駅、結構立派なんですよ」
「ああ、そうだよね。何回も来たことあるよ。もうちょっとだよね」
「あ、瀬音の湯、行ったことあるんですね」
「うん、ペン回しの時、何回かね」

 車は坂道を登りながら、日本のどの景色にも似ていない街道沿いを走っていく。決して広くない道路だが、その脇にはたくさんの住宅街が広がっている。街道沿いには、警察署や、小さなスーパーマーケットや、小さな電気屋さん、歴史的な佇まいを残した飲食店があった。
 山道であった。だが、決してオシャレな箱根のような雰囲気でもなく、全体的に、どこか人気が無く寂れている。しかし、寂れていると呼ぶには不釣り合いの立派な建物が突如出現する・・・。不思議な街並みだった。

「瀬音の湯から奥へ行くと、もう山しかないんですよね」

 目の前には坂道と林が見えるばかり。
 車は上へ上へ、ついに住宅地のない奥地へ向かって行く。

 私の頭にある言葉が浮かんだ。
 
 さいはて。

 不思議とこの言葉には、寂しさと安らぎが同居している。

 もうこれ以上の楽しみは何もないという寂しさ。そして、もうこれ以上の悲しみは何もないという安らぎ。

 2014年の虹のコンキスタドール結成から10年、同じグループに通って、オタクの頂点まで上り詰め、そしてそのアイドルグループを出禁になる。
 これ以上のことはもう、彼のオタク人生にはないだろう。もうこれより先には、何もないだろう。

 中学生のころ、ハロプロのオタクになってから16年が経った。
 そして、彼はついに、アイドルオタクのさいはてに到達した…。



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