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さよならオルタナティブロック-4JC RECORDSから離れて-

さよならオルタナティブロック-4JC RECORDSから離れて-

6月1日に5th album "マグマくまくんのリトミック入門/第二童謡集"をリリースする。今回、NAVAROの4JC RECORDSではなく、個人レーベルTNKJKN RECORDSとしてリリースすることにした(名前は適当につけた)。

なぜか。

ここ一年半くらいか、たまに暇空茜の言説を支持するようなツイートをしていたことがどうやら主な原因で、「最近の田中とは意見が合わない」とJCに言われて道を違えることとなり、最終的には自分の決断だが、今回のアルバムからは4JC RECORDSを離れる事なったからだ。

田中事件はネトウヨであるつもりはない。自民党が特別に好きだと思った事はない。特別に超嫌いだと思ったこともない。ただし共産党が嫌いだと思ったことはある。インボイスには反対。イスラエルとパレスチナのことはイスラエルは酷いと主観的には思ってしまうが深くは知らないのでわからない。ウクライナとロシアは普通にロシアが悪いと思っているが複雑なのだろうと思う。選択的夫婦別姓はどちらかというと反対(ややこしいから)。同性婚に反対まではないけど積極的に賛成ではなく、少なくとも過激なLGBTQの一般化には反対。フェミニズムには全然反対ではなくアンフェであるつもりはないけど過激なフェミニズム推進活動は率直に嫌い。あれは異常としか思えない。フェミニズムという言葉が性差廃絶論みたいに語られるのは語源からしても根本的に間違いであると昔からたまに主張している。ただしこれはあくまでフェミニズムの語義、定義的な問題であって、フェミニズムの本質とは別の問題だと思っている。女性の社会的地位向上のためのフェミニズムなのだ。そう割り切ってどんどん進めれば良い。性差廃絶みたいな建前を取るから訳の分からないことになっている。コロナワクチンはコロナ禍の初期には平均的には社会の役に立ったと思っているが、もう今は一般の人はもう受けたくなければ受けなくていいと思っている。自分ではノンポリのつもりでいる。選挙には行くようにしている。保守も腐っている部分があると思っており、極端に異常な主張してなければカウンター側に入れようといつも考えている。

そんな自分の考えはあるのだが、音楽と関係あるようなないようなそんな人間性、社会性が、今回の童謡集のリリースにまで深く関わって来た。人間は社会的動物であるからして、それは全く仕方のない事だが、ここまで直接的に意図しないところでいきなり巻き込まれると心情的にはマジでポイズンと言わざるを得ない。以下はそれに関連して感じた事、考えた事をつらつらと更に続ける。

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田中事件は被害者として語りたいのではない。大局的にはJCが悪いのでも自分が悪いのでもなく、仕方のない訣別だと思っている。「いかに田中事件が酷い仕打ちを受けたか」について語りたいのではなく、事実を語りたいだけだ。あとは不満をぶちまけたいだけだ。なぜここで暇空茜が絡んでくるのか。まじで俺にはよくわからないしわかりたくもないが。そういう考え方もあるのだろうな人間だもの、と思ってしまうのが辛い。

田中事件は暇空茜の人間性を全面的に好んでいるわけではなく、性格が良いか悪いかで言えば良かろうはずも無くレイシスト的な側面が確かにあると思っているが、論理的には暇空茜の言説はほとんど(特に裁判で争っているような内容に関しては)正しいと思っているし、政治的な利害関係から暇空茜を黙殺するオールドメディアという構図は存在すると思っている(割とここは重要だ。オールドメディアは彼を黙殺なんかしてない、ニュースバリューがないだけだっていう人がいれば、お話をきいてみたい)。あと、直接的に言うとコラボのやってる事には多くの疑問を持っているが、それはアンチフェミニズムとイコールではないはずだと思う。正直アホらしい議論だったと思うので8割エンタメとして眺めていた。JCはそのスタンスが気に食わなかったのかもしれない。そのへんのツイートをたまにしていたらJCが最近の田中事件の考え方や発言に「ズレを感じるように」なっていて、(ここからは主観があるが)いつの間にか距離を置かれていた。それに最初はなかなか気付かず、昨年末ごろからなんだか自分と自分の音楽をないがしろにされているように感じて、半年経ってもその状況は変わらずむしろ悪化し、あまりにもないがしろにされていると感じたので田中事件としても今回のアルバムからは4JC RECORDSとして出させてもらうべきではなく、自分個人として(TNKJKN RECORDSとして)出すしかないと考えるに至った。

「田中事件の音楽をないがしろにされている」と思い始めた最初のポイントは4JC RECORDSのbandcampについてのJCとのやりとりだ。半年前くらいに4JC RECORDSでbandcampのリリースがあった?

ずーーっと前から4JC RECORDSの過去作もあげていこうっていう話はしていたので、なかなかあがらないなあと思いながらその時点で2年以上経っていた訳だが、JCも忙しいし、仕事の合間にやってくれている事なので、気長に待っていた。そんな10月7日のこと、JCから連絡が来た。

「田中のアルバム来月のbandcamp fridayで全部あげようかな」

自分はとても嬉しかった。ずっと待っていたし、本当に嬉しかったので

「よろしく。ついに準備できたのか。嬉しいな。」

と返信した。

だが、翌月11月のbandcamp fridayに田中事件の音源はあがらなかった。残念だった。
「間に合わなかった。来月かなー」というようなやり取りはあった。

その後、JCのところには「循環する生命のフォークロア」の音源が+2dBて書いてあるのとそうでないのがあって「どちらかわからないので確認しておいて」とのことで、確認していた。(今思えば3rdと4thを先にあげてくれることもできたはずなので、2dBの件も言い訳でしかないと思うが)

12月のbandcampにもあがらなかった。
その時も、間に合わなかったすまん!というようなやり取りがあった

1月も上がらなかった。2dBの件は「たしか、2dBのほうだったと思うんだけどー」くらいの話はしていたがこちらからもちゃんと答えていなかったので、一応2dBでいいと思う、と言って、念のため一応こっちからもう一度音源を送り直した。1月3日の事だった。

1月のbandcamp friday既に2日前とかだったので、まあ1月は間に合わないだろうから、来月かな、と送った。

だが2月にもあがらなかった。もはやそれについては何も連絡しなかった。

3月にもあがらなかった。正直いい加減にせーよと思ったが、忙しいんだろうなと思ってもはやこちらからは何も連絡しなかった。

まあ、Mul-Let-Ct2の音源もあがっていないので、本当に余裕もなかったんだろうけど。それでも、あげてくれると言ってから半年間そんな調子だと、流石に腹が立つものである。

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2019年にソロでやり始めてからというもの、アルバムをレコーディングしようと思うのは割といつも突発的だった。今年の2月に入った頃、第二童謡集をレコーディングしようと思い始めた。きっかけは1月31日の夜に、お子様の一歳の誕生日で、「一歳」という曲ができたことだ。それで、たまってた曲を書き出したりして、家で構成を決め直したりして少し準備をして、一日で骨組みをほとんど録ってしまった。すぐにJCにそれを送ったのが3/4だった。もちろん聴いて欲しかった。

4JC RECORDSで出すものとして考えていた。オルタナティブロックを主軸とするナバロのレーベルから童謡を出すなんてどうなんだ?っていうのは自分の中でもないわけではなかったが、前作「マグマくまくんの誕生/童謡集」を聴いてもらえればわかるように、一般的な童謡とはどうやっても異なる田中事件流だと思うし、オルタナティブ童謡もしくはアシッド童謡のつもりでやっていたので、そんなやつがいても面白いじゃん?くらいに思っていた。

そして、5th album 「マグマくまくんのリトミック入門/第二童謡集」の録音は3月中に全て終了した。

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ここで、JCが田中の新しい音源を聴く気にならなかった理由として、彼が挙げたもう一つの理由がある。仕事として頼まれていないこと、3rd album以降、JCに仕事として田中事件のレコーディングを頼んでいなかったことである。金の話をほとんどしない彼にしては珍しく、ナバロに金が入っていないことも言及していた。基本的に金は二の次だけどな、と言いながら。

基本的に金は二の次だと彼が考えていることはよく知っている。若者のレコーディングはかなり安くサービスしてやっているようだし、自分のレコーディングも、1stと2ndのレコーディングに関してはかなり安い値段でやってくれていた。2ndまでお願いしていたドイサイエンス清田さんのミックス、マスタリングに関してもそうである。友人・知人価格的なところでやってもらっていた。そんな中で、Cline RecordsのKarさん(熊本で昔活動していたSINVAというユニットの方)と偶然知り合って、Karさんのレコーディングに関する意識と技術に感心した。基本的にプロである。自分ももうとっくに学生ではないし、JCや清田さんの善意に甘えるのではなく、相応の対価を払って、これからは仕事としてプロに依頼するべきなのではないかと思い始めていた。コロナ禍でナバロが暇な間はまだよかったし、その空いている時間を活用してJCにその分の金を払おうとしていた部分もあったのだが、折しも新型コロナによるライブハウスの抑圧された状況は幸いに終息に向かっており、ナバロのスケジュールが加速的に埋まっていっていた。4JC RECORDSの名前の由来は、「4人いるかのごとく仕事をするJC」という意味ではあったのだが、JCは実際には4人いるわけではないので当然体が空かなくなった。その状況の中、若手バンドのレコーディングも彼は行っていたし、それなら自分は引くべきだと思った。スケジュールが過密して頼みにくくなると自分のレコーディングも予定を組みにくくなるし、JCの善意と能力と少ない時間は若手バンドのために使ってあげるべきだと思ったのだ。もちろん背景にはKarさんの技術への信頼は前提としてあったが、別にJCに見切りをつけてて乗り換えたわけではない。もしかしたらそんな風に思われていた部分があるのかもしれない。乗り換えられた、と。残念だがそう思えてならない。

自分はどこで録音したって田中事件の音楽は4JC RECORDSのつもりでいた。だが、JCとしてはそうでは無かったと言うことか。他で録音するなら他でやれば?と思われることは普通に考えれば別に不思議なことではないのだが、音楽性で繋がっているから、と自分は普通に繋がっているつもりでいた。そうでは無かったと言うことなのだろう。

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3月31日、久しぶりにbandcamp fridayについてJCに連絡してみた。もちろん第二童謡集ではなく過去作の話。

「4月のbandcamp fridayいけそう?」
「いけるとおもう」
「まじ」

そんなやりとりをした。普通に間に合わないだろうと思っていたので驚いた。「まじ」しか返さなかったのは。あんまり喜んでると思われたくなかったのかもしれない。ハテナもつけなかった。あんまり嬉しさを前面に表すと、できなかったときに失望が大きいから。

そして4月のbandcamp friday

田中事件の音源はまたしてもあがらなかった。それについてJCからなにも連絡はなかった。もはやこちらからも何も言わなかった。流石に、ああ、もう俺の音楽に興味ないんだなと思った。

そして4月後半、第二童謡集のミックス、マスタリングが終了した。JCに送った。聴いて欲しかった。聴きやすいようにサウンドクラウドにまとめた。

4/29 「マグマくまくんのあいうえお」のMusic Videoが完成した。多くの人に絵で協力してもらい、自分でもたくさん下手な絵を描いた。パワーポイントで録画しながら手動ページ送りをするという思いつきの方法は、結構面白いと思っていた。


この時点では4JC RECORDSから出すつもりでいたので、このMVもデータをJCに送った。

ミックスマスタリングも終わったので、次はいよいよ、音源の登録作業となる。

4/28
田中「終わったので明日か来週か、登録にいきたいんだけどどう?」
JC「無理」 「明日はマジ無理」
田中「オーケー、来週以降で」

5/2
田中「今日登録行っていい時間ある?」
JC「大分に行きます」
田中「あ、練習か。いってら」

5/3
田中「ワンダーの曲作ったけどこれはナバロ関係ないから自分で出すね」
JC「全然オーケー。アルバムもそうしたら?冷静に聴けてもいないので、すまない。」
田中「アルバムは4JCで出すつもりで作ったしできればそうしたいんだけど。」
JC「考える」

5/5
田中「(仕事が)大変そうなのでMVは田中のアカウントでアップしようかな。音源のアップロードは明日か明後日の夜でやりにいっていい時間あるか。。?深夜でもいいけど。」
JC「真面目に無理ごめん。仕事が単純に多い」

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きれた。

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田中「自分と同じで興味のあるものにしか気が向かない性質ってのは知ってるし色々言っても嫌な気持ちにさせるだけで響きはしないだろうが、半年前のバンドキャンプの件から続いて流石にないわ。今回の音源も録り音は3月に送ってるわけだし。聴いてちょっと違うって言われたら傷つきはするけど殆ど聴いてなくて何も言わないのは普通にひどいわ。今回は自分でtunecoreで出すわ。日程も忙しいだろうけどその中で普通にこの日どうとか言ってくれればいいけど先月から言っててそれすらないとか普通にないわ。そんなに興味ないんだなって思うbandcampの件から引き続きよ。

最近行けなかった俺も悪いとは思ってるけどよ。返信はいらぬ。もし返信くれるなら明日くれ。当直なので。こんなメンヘラ女みたいなライン俺も送りたくなかったんだ。童謡など出して悪かったな。とりあえず今後自主レーベルの形にする。」

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以上が今回のリリースが4JC RECORDSではなくTNKJKN RECORDSとなった件に関する経緯である。

つまり今回のアルバムの件だけではなく、bandcampの件が先にあった訳だが、これについては、こうだ

5/6
JC「Bandcampの件はマスター送ってくれ」

1月3日に送った。その前から持ってたはずだ。+2dBっていうやつ。

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また、

JCが言うには、コロナ初期のころの、弱者やはじかれた人たちの声に耳を傾けていた田中事件はいなくなってしまったのかもしれないと思った。

と言うのだ。それも聴く気になれなかった理由の一つだと。

無観客配信とかいっぱいやっていたけど、そのころの自分はライブハウスと一緒に弾かれていたので、耳を傾けていたんじゃない。一緒に戦っていたんだ。

自分の音楽がカウンターカルチャーであるかどうかは結果でしかない。もともと性格的にどうやっても多数派に馴染めないから、自分は自分を貫いているだけであって、それは積極的に多数派に反抗する立場とはことなる。マスメディアを極端に嫌う姿勢、多数派に対する積極的な忌避をJCからは昔から感じている。自分にはそういうのは全くない。結果としてファズノイズ弾き語りの田中事件はカウンターカルチャーに見えていたかもしれないが、それはただ自分を貫いていた結果でしかない。いまだってそうだ。自分を貫こうとして童謡のアルバムを作っている。

それで、田中は変わった。と言われても、もともと積極的なカウンターカルチャーのつもりではやってはいない。自分は自分としての音楽をやっているだけで。かと言って当然メジャー志向というわけでもない。どこまでもマイノリティのメンタルではある。

自分は自分のやりたいことをやる。それがカウンターカルチャーに見えることもあるかもしれない。多数派にいくらか迎合して見えることもあるかもしれない。しかし、そんなことはどうでもいい。自分は自分でしかない。

直接的には田中事件とJCの個人的な問題であるはずだから、主語を大きくするべきではないし、目的語も大きくするべきではない。つまり、話自体を大きく捉えるべきではないと、思おうとはした。でも我慢ができなかった。話を過度に大きく捉え過ぎている。たなかくんもJCにレッテルを貼っていると思う。そういう問題に積極的に口を出して行ってもいい事はない、と数人の人に忠告された。それでもやはり我慢ができなかった。

なんで4JC RECORDSじゃないんだろうね、今回、と思う人も少しはいると思うのだ。そこで、なんか、噂によると最近の田中事件って暇空支持者で、アンフェでネトウヨでレイシストだかららしいよ、なんて流布する人がいないとも限らない。それは違うつもりだ。だから陰で言われる前に公言しておく。但し、暇空茜の言説の論理的な部分に関しては、ほとんどの内容を支持する。それはアンフェでネトウヨでレイシストであるということとイコールではない。と思う。

こんなめんどくさい事をわざわざ言わずにおられないのは、これがどう取り繕っても根源的な主義思想の問題であるからだ。根源的な主義思想の問題であれば、自分のアーティスト性にも関わり、特に、レーベルやライブハウスのような「居場所」に関わる。その主張は明らかにするできではなかろうかと田中事件は思っている。言わずに何食わぬ顔顔して意見のあわない空間にいることはできない。アーティストとしてできない。一流のプロは笑うかもしれないが、これでもアーティストのつもりでいる。

大事なことだ。友達をなくしても明らかにしておきたい。

先日、「建設的な議論の外で正論を吐き捨てる事は平和とは最も遠いところにある行為かもしれない。」みたいなツイートをしたら、それについてもJCからは「SNSで正論言わない方がいいとか田中が言ってたのもよくない」と言われた。なんかそれについては完全に誤読されてる気がするんだけど、つまりJCとしては、正しいと思う事は発信していくべきだ。というスタンスなのだろうと思う。正論言わない方が良いなんてことは言ってない。論理的に間違っていると思うものごとを発信する人に対して正論で一人一人叩きに行ったって何も解決はしないって言いたかっただけだ。そこで、正論を言う事はよくないなんて言う事はよくない、というJCからの言葉だったけど、それは、誤読じゃなければそれこそが言論封殺だと思う。誤読ならそれでいい。だから自分は自分の正論だと思っている事を述べる。

「音楽に政治を持ち込むな。」と言うつもりはサラサラない。強固な主義主張に根差したアートはその分の強さを持つし、かっこいい。受け手がその前提となる主義主張に全面的に賛同しないとしてもアートとして感動を生むものだと思う。全てのアートは個人の思想に関連したものとして存在せざるを得ない。発信し誰かが受け取った瞬間から、発信者の社会的スタンスと関連付けて評価され始めるだろう。それも理解できる。だが、音楽に政治を持ち込むよ、と言う人たちはもはやアートの界隈ではほとんどマジョリティに近く感じる。声の大きさをポイントとしてカウントすれば自分の主観としてはほぼマジョリティである。ここでは持ち込まない人たちは逆にマイノリティでアンダーグラウンドかもしれない。ノンポリである事は人として恥ずかしいのだろうか?正直居心地が悪い時が昔からあったが今ここに極まっている。2024年。39歳。逆にリベラルである事は、コンサバである事は人として恥ずかしいのだろうか?選挙には行った方が良いと思う。でもあとはなんでも良くはないだろうか?

全てのアートは個人の思想に関連したものとして存在せざるを得ない。今回の第二童謡集であってもそうだ。発信し誰かが受け取った瞬間から、発信者の社会的スタンスと関連付けて評価され始めるだろう。それは理解できる。だが、いかにアートが政治性的思想や主義主張と不可分であろうが、積極的にそれを関連付けて表現していきたいかどうかは発信する側のスタンスに依存して良いはずだ。意図しないところで、思いっきり、思想に関わってしまった。自業自得でもあるのだろうが不本意でありポイズンと言わざるを得ない。これだけは主張したい。今回制作した田中事件5th album"マグマくまくんこリトミック入門/第二童謡集"には、いかなる政治性も全く関係させたくなかった。しかしそれは手遅れである。

私にとってオルタナティブロックとはブランキージェットシティでありCoccoでありスマッシングパンプキンズであった。アヴァンギャルド、DIY、反骨精神、そう言ったものとは本来無縁だった。オルタナティブと呼ばれた音楽は時代と共に少し形を変えている。最初からその定義にはいくつかの論があったと思う。その事に違和感は都度憶えながら、シーンの中を生きていた。本来自分の中のオルタナティブは、サークル活動や部活とか協調性とか、もっというなら努力とか反骨精神からももっとも遠いところにあって、言うなれば、自由と弱さとフラストレーションと内省の音楽だった。

オルタナティブロックと思想を関連づけて考えたことはほとんど無かった。自分の好きだったオルタナティブロックは変わってしまったなあ。今はそう感じる。

自分も変わってしまった。久しぶりに1st albumの"Requiem for.My Generation"を聴き直すと、ものすごい所在のなさ、不安定さ、弱さを感じた。そう言ったフラストレーションの感覚、絶望の感覚を、次第に失っているのかもしれない。

だが、人は変わっていくものだ。その中で今、できることをやっていく。

ある種の音楽は本質的にユースカルチャーであると知りつつ、田中事件はそれでも音楽を続けている。4JC RECORDSからいまは離れて、できることをやっていく。

田中事件5th Album
「マグマくまくんのリトミック入門/第二童謡集」
2024年6月1日リリース
フォーマット: デジタル、およびCD付き歌詞コードブック(B5)
価格: 税込2,000円
型番: TNKJKN-02
レーベル: TNKJKN RECORDS

収録曲
1.お子様の歩み
2.もぐもぐもぐも
3.いけない
4.マグマくまくんの12音階
5.ともだち
6.マグマくまくんのあいうえお
7.右手左手
8.バナナナババ
9.一歳
10.お子様の歩み(リプライズ) feat.ニシムラナオ

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以上は、5/26の日曜日までに書いた文章だ。書いてから、流石にこれは公開しないでおこうかなと思った。それで、JCにこの文章を送った。

JCはちゃんと読んでくれた。直接お話をしなければならないと思ったので5/28火曜日の夜にナバロに行って、直接話した。mychairbooksのクラハラくんも来て、3人で3時間くらい話した。

結果としては、お互いの考えている事には、平行線のところがどうしてもあって、どこにも行き着きはしなかった。最終的に相当酔った。

「この文章を公開するつもりはない。無視されたら公開しようと思っていた。」ナバロでお話ししながら伝えたら、彼は、公開してもいい。と言った。音源の件については自分に非があるのはわかってるし。と言った。まあ、それはそうなんだけど、俺は暇空茜とフェミニズムについてなんで君と言い争わないといけないのかねって事の方があれなんだけど。

ナバロで三、四時間お話したあと、バスで来ていた自分を彼は車で家まで送ってくれた。優しい人間だ。常にインディペンデントで、マイノリティに寄り添う。正義がある。ありがとう。。

俺は正義の話なんかしていないんだけど。

帰りの車の中で彼が言った。

「わざとわかるようにそっけなくLINEの返信をしていた。」(おそらくここ半年程」

自分は

「なんとなくそんな気はした。そんなことされたら傷付くだろうが。」

と言った。

その時はそれだけだったが、それから二、三日経って、その言葉が何度も頭の中で繰り返される。反芻する度に怒りが増してくる。それは彼自身への怒りである以上に、社会への怒りだと思う。

15年以上の付き合いだ。親友だと思っていた。

「わざとわかるようにそっけなくLINEの返信をしていた。」

は??

そして自分がこの文章でポイズンだと書いた事に対して彼が言った事で印象的だったものがもう一つある。これはナバロに行く前のラインでのやりとりだ。

JC「インターネット上の発言とはいえ、こんなことになるとは思ってもいなかった、ポイズンである、とか言われても自分の発言には責任持とうよ、とは思った」

何言ってるかわからなすぎて見た瞬間に動悸と吐き気がした。文字通りに。

田中からの返事はこうだ

「インターネット上の発言について間違ったことを言ったつもりはないし、その発言が招いた予期しなかった結果をクソだなと思う事は責任逃れではないよ。クソだなと思った上で負ってしまった責任というか代償というのは別にあるだろう。」

代償は明らかじゃないか。友人を失う事、居場所を失う事、不特定多数の人間に嫌われる事だ。

甘んじて受けよう。(だからすいません。無理だと思ったらブロックしてください)

他にどんな責任が???(それを尋ねても明確な答えはなかった)

どう考えてもこの経緯はポイズンだと思うのだが、それがわからんのか?言いたい事も言えないこんな世の中で責任を取るという事が何なのかもわからない状態でありながら、発言に責任を持てなどというよくわからん論理で言論封殺か?ポイズンでダメならクソでも良いんだけど、ポイズンが適切なんじゃねえのか。

親友だと思っていたからこそあえて言わせてもらう。

右も左も善も悪も関係ない。

そんなイデオロギーなど全部まとめてクソ喰らってくれ。

こんな内容を公にしてしまう自分が誰よりもイデオロギーから逃れられない事を自覚しながら、もう一度言う。

そんなイデオロギーなど全部まとめてクソ喰らえ。

JCの事は本質的には今までもこれからも自分は好きであるはずだし尊敬できる。昔はもっとクズだったと思うのだが最近クズ要素が見当たらなくてびっくりする。それは置いといて、人と人であれば主義主張が別れる事は当然あるだろう。仕方ないと思っている。それで嫌われるる事も、悲しいけど仕方がない。

マグマくまくんのリトミック入門/第二童謡集

そんな牧歌的な作品のリリースに合わせてこんな呪いのような文章を書いている俺の気持ちがわかるかね?

俺は自分の発言が招いた君との行き違いを本当に悲しいとは思うが後悔はしていない。君も後悔はしていないと思うが多少は悲しんでいるといいなと思っているよ。

何度でも言う。

そんなイデオロギーなど全部まとめてクソ喰らえ。

令和六年五月三十一日
明日正式にリリースとなる5th Album
マグマくまくんのリトミック入門/第二童謡集
のリリースに寄せて

田中事件


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