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自分がいまどこにいるのかを把握していたい。

母名義のAmazonアカウントを乱用して、最近、自己啓発本を読んでいる。

私のなかで自己啓発系の本は優先順位が低いので、図書館で借りがちなジャンルのひとつだ。
関連本を何冊も読むことの大切さは、卒業論文を書くときに嫌というほど味わったのでよくわかる。けれど、それ以上に自分の経験で蓄えられたものを信用していきたいタイプが故、読んで知ったつもりになってる感があるので得意ではない。

この手のジャンルの本は、どれを選べばいいのか分からないくらい種類があるが、根本的なものは一緒だ。
言いたいことは共通していて、それをどう組み立てて説明するか、どんな言葉を使うか、そしてそれを誰が主張しているか。そこらへんが差異だろう。
誰が言っているのか、ではなく、何を言っているのか、に重きを置くならば、正直読まなくてもよくないか、と屁理屈が浮かぶ。
タイトルと帯と説明文とで大体推測できてしまう。

同じことを注意されたとしても、見知らぬ相手に言われたほうが納得する人もいるし、信頼している相手から言われないとダメな人もいる。
こういうのは結局、発信者がその人をどこまで動かす立場にいるのか、による。

そういう結論を自分のなかで導き出してしまっているので、似たようなことを親が言ってたな、授業で先生が口酸っぱくして言ってたような気がするな、という記憶と結びついて、ああ、ためになったというより、こういうことを言われずに何年も何十年も人間をやってきて、ここで初めて目の当たりにする人もいるのか、と普通に感心してしまう。そういうこと思ったことなかったんか、と。

こういうことを考える自分は、捻くれているとちゃんと思う。
でも、そう思える自分を、誇らしくも思う。その本のなかで主張したいことが、すでに自分のなかに取り込まれていて、それが当たり前になっているのだ。恵まれていると捉えることもできる。

そして、それを常識だとか、知らないなんてあり得ないとか、そういう方向には持っていかないように気をつけなければならない。
同じものを吸収したとしても、そこから取捨選択をして何を自分のものにしていくかは人による。だから個性があって、人生がある。

自分にどのような形で取り込まれているのか。
それが入った引き出しはスムーズに開くのか。
そんなことを確かめるために本を読んでいる。そんな気分だ。

だから自己啓発系の本の優先順位は低めになるし、投資額も少ない。
そういうわけで、母名義のAmazonアカウントを有効活用している。開き直り。

ついでに言えば、電子書籍に慣れるためでもある。
本は紙派だが、意固地になっているわけにもいかない。世の中の流れというものがある。乗らなくてもいいけど、勝手を知っておいて損はない。

そうしていまの私がいる。考え深い。

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