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Jeff Rosenstockインタビュー

KKV Neighborhood #181 Interview - 2023.08.25
インタビュー、構成:与田太郎

ジェフ・ローゼンストックの新作『HELLMODE』がまもなく発売となる。90年代中旬から2000年初頭にかけてティーンネイジャーだった彼はUSインディーが大きく花開き、同時にグランジ、オルタナティブがメイン・ストリームになった時代にバンドを始めている。その後も華やかなシーンを目指すというよりはもっとローカルでアンダーグラウンドな、よりDIY色の強いスカやパンク・シーンでの活動が中心だった。その時グリーン・デイやNOFXはすでにビッグネームでありフガジやディスコードはもはや伝説になっていた、ちょうどストロークスやホワイト・ストライプスが登場し、程なくMGMTやヴァンパイア・ウィークエンドがデビューする。そういう流れの中でDIYパンクとして飾ることなく、しかし悪戦苦闘してきた時期の彼を取り巻くシーンは、デビューまもないゴーイング・ステディーが同世代の仲間達と集って西荻ワッツでライブをやっていた時期の姿に重なる。純粋に自分達の好きな音楽を一緒に楽しむことのできる仲間を探しながら、正直に手の届く範囲から歩もうとする感覚はどちらにも共通している。それはこのインタビューを読んではっきりと伝わってきた。
ソロになってからのジェフはもっと自由になっているが、自分が歩んできた道も忘れることなく正直に気持ちを音楽に乗せている。そしてもうひとつのユーモアという大きな武器でこの狂った世界に殴りかかっている。

彼の知り合いから今作の日本盤を出さないかというオファーをもらった時、最初に思ったのは、流石にこのCDの売れない時期に無理だろうということだった。しかし彼の作品を聴き込んで、彼のパーソナリティーが伝わってくると、キリキリヴィラがこのアルバムを出さないでどうするという気持ちになってしまった。伝えようとすることやそのやり方がキリキリヴィラから音源をリリースしている多くのバンドと同じものがあったのだ。実際のサウンドはシンプルなパンクというよりは、例えばフレーミング・リップスのようなポップでユーモアと毒のあるロックだし、時折インディー的な側面も見せる。それは彼が『クレイグ・オブ・ザ・クリーク』というアニメのサントラを手がけたことでより音楽的な幅を獲得したことも大きな理由ではないかと思う。日本盤にはボーナス・トラックを収録したCDRと訳詞も付いているので、まずはサブスクでいいので聴いて欲しい、それで気に入った人はぜひCDを買ってもらえたら嬉しい。

Jeff Rosenstock

ー子供時代はどこで過ごしましたか?始めて音楽と出会った時のことや楽器を手にしたときのことを教えてもらえますか?

僕はニューヨーク州ロングアイランドのボールドウィンという町で育った。幼い頃、夜にこっそり部屋を抜け出して、MTVをつけていて、それが音楽を見たり聞いたりした最初の記憶だ。一方はヘビーメタルが好きで、一方ではラップが好きだった。小さい頃、家で"ラ・バンバ"という曲が流れているのを聞いて、父のアコースティック・ギターを手に取って始めて耳コピしてみたんだ(とても下手だったけど)。僕は子供の頃からピアノ、サックス、ベースも弾いていて、練習やレッスンは決して得意ではなかったけれど、他の人と一緒に音楽を演奏したり、自分で曲を作ったりするのはいつも好きだったよ。

ーはじめて『これは僕の音楽だ!』と思った曲を覚えていますか?

正直なところ、おそらくWhite Lionの "Wait "というとても安っぽいヘアメタルの曲だと思う。デビー・ギブソン、マドンナ、ティファニー、そしてガンズ・アンド・ローゼズ。よく裏庭を走り回っては、町のレンタルビデオ店について作ったポップソングを歌っていた。でも、はじめて聴いたロックの曲は、フェイス・ノー・モアの "Epic "だったと思う。マイク・パットンがステージ上で魚のようにバタバタしているパフォーマンスも大好きだった。

ーあなたは10代で最初のバンド、The Arrogant Sons Of Bitchesを結成しました。当時の状況や、お手本にしたアーティスト、同時期に共感したバンドなどを教えていただけますか?

僕たちはみんな高校生で、スカンキン・ピックルからビギー・スモールズ、ベラ・フレック、NOFXまで、さまざまなお手本や影響を受けた。僕たちの高校にはスカやパンクのバンドが数組いて、確かに僕たちは一番クールだったけど人気がなかった!90年代後半、ロングアイランドには素晴らしいシーンがあり、毎週金、土、日曜日には島中の様々な会場やホール、DIYスポットで全年齢対象のショーが開かれていた。僕たちはできる限り演奏し、同じようなショーに出演する他のバンド、特に仲間のスカ・バンドたちを含め多くの気の合う仲間と出会った。

ーBobm the Music Industry!のアイデアはどのようなものでしたか?何か特別なきっかけや理由がありましたか?

ASOBはツアーや作品作りに奔走していたけれど、お金は稼げなかったし、安定した仕事ができるほど家にはいなかったし、スタジオに入ってレコーディングするための資金を貯めるのも大変だった。ある時点で、そのストレスが僕たちを狂わせ始め、うまくいかなくなった。ある日バンの中で、もうマーチャンダイズやCDを売りたくない、別の方法を考えたいと思ったんだ。今思えば、100万分の1のキャリアを手に入れるためではなく、ただ仕事を見つけて、楽しむためだけにバンドをやりたかったんだ。ツアーに出るために仕事を辞める必要もなくて、音楽が自由で、ライブに行ってもショッピングモールに行くような気分にならないようなバンド。それはすべて音楽を作るというプレッシャーから解放されるためのものだったんだ。

ー2015年にソロアルバムを出す前に活動していたシーンやコミュニティについて教えてください。一緒に演奏したり、ツアーをしたバンドはありますか?

Bobm the Music Industry!はハウス・ライヴ(通常のライブ会場ではなく、誰かの家やガレージで行うライブ)で多くのものを見つけることができた。そこで繋がったコミュニティーのメンバーはみな音楽が好きで、自分の家でライヴをやりたいというキッズたちだけだった。もちろん、うまくいかないこともたくさんあったし、ある時期には地下室に入りきらないほどの人数を相手にしたこともあった。ザ・サイドキックス、ローラ・スティーブンソン、グッド・ラック、レムリア、AJJといったバンドは、現在も僕の良き友人であり続けているし、さまざまな都市で演奏する中で出会った人々もたくさんいるよ。

2015年に『We Cool?』がリリースされたとき、Bobm the Music Industry!は解散していて、僕はジョン(両方のバンドでベースを弾いていた)や大学時代のルームメイトのティムとよく演奏していた。ブッシュウィックにあるSuburbiaという地下のライブハウスで何度か演奏したんだけど、あの場所は本当に好きだったし、またあのようなライブができるのは間違いなく楽しかった。ブルックリンのChumpedというバンドや、Cryingという眠ったようなゲーム音楽風のインディ・ポップ・バンド、フィリーのThe SuperweaksやThin Lipsともよく演奏したし、Chris Gethard Showのクルーもよく来ていて、バンドで演奏することもあった。クールなことがたくさん起こっていたんだけど、ブルックリンの他の2つの伝説的なDIY会場(Shea StadiumとSilent Barn)が閉鎖されたのと同じ頃にSuburbiaも閉鎖された。それ以来、ニューヨークのDIYショーはほとんど21歳以上のバーで行われるようになったので、僕はそれとは縁がなくなってしまったんだ。

ーアジアン・マン・レコードのマイク・パークは日本でもよく知られています。彼と知り合ったきっかけを教えてもらえますか?

僕はもともとアジアン・マン・レコードの大ファンで、ワープド・ツアーでPlea For Peaceのテーブルを運営していたマイクの友人たちと友達になったんだ。それから数年後、僕は『Bomb the Music Industry!』のレコード『Get Warmer』を作る準備をしていた。それまではすべてDIYでやっていたんだけど、フルバンドでレコーディングすることになったから、僕にとって夢のレーベルであるアジアン・マン・レコードに挑戦してみようと思ったんだ。友人のクリス・キャンディに、マイクが一緒に仕事をすることに興味があるかどうか聞いてくれるよう頼んだら、驚いたことに興味を持ってくれたんだ。僕たちはすぐに、音楽に対するパンクな理想を共有していることに気づいたと思う。

何年もかけて、僕たちはとても親しくなった。僕はブルース・リーのレコードを聴いて育ったから、彼が僕と一緒にブルース・リー・バンドを作りたいと言ってくれたことにとても興奮した。そして今、ブルース・リー・バンドのレコードを5枚も作ったんだよ!狂気の沙汰だ!彼はパンクを通して僕の兄弟なんだ。僕のバンドの音楽を出してくれたり、失業していた僕にグラフィック・デザインの仕事を振ってくれたり、最も安い方法でレコードをプレスする方法を教えてくれたり、数え上げればきりがないほど、彼はいろいろな面で僕を助けてくれた。彼は素敵で、陽気で、奇妙で、本当にユニークな人間だ。

ースカ・パンクはあなたにとって特別なもののように感じますが、スカ・パンクとの出会いや影響を受けたバンドについて教えてください。

スカとの本当の出会いは、雑誌の広告で見た電話番号に電話したことだった。その電話番号では、マイティ・マイティ・ボストーンズの『クエスチョン・ザ・アンサーズ』から3曲が1分ほど流れた。その直後、友人の家の地下室で『Operation Ivy』のCDを聴き、それを借りて返さなかった。マイケル・キーン、ごめんなさい(笑)。僕がボストーンズが好きだったのは、ディッキーの叫び声が、僕がキッズの頃に好きだったメタルやハードコアからそれほど離れていなかったからだ。そして『Operation Ivy』は多くの面で僕の心に強く響いた、アルバムを聴くことで誰かが僕を理解してくれているような気がしたんだ。

ーあなたはソロ活動を始めてから、音楽的に自由になったように思えます。自分の中で音楽的な変化はありましたか?

どのアルバムも自分自身のものとしてアプローチするようにしているから、音楽的には常に少しずつ変化しているんだ。正直に言うと、『Bomb the Music Industry!』でも同じことを感じた。年齢を重ねるにつれて、音楽的に特定のことに挑戦することに抵抗がなくなってきたんだと思う。『クレイグ・オブ・ザ・クリーク』(ジェフがサントラを手がけたアニメ・シリーズ)の音楽を作っているとき、クルーは本当に僕を励ましてくれたし、静かな、あるいはもっと美しいものを書いてみてもいいと思わせてくれた。逆に、そのおかげでメタルや速い音楽をまたたくさん聴くようになったし、どこにでも行ける可能性があると思えることでとても楽しい気分になったんだ。

ー同時に、表現はよりユーモラスになりましたが、社会へのメッセージはより辛辣になったように思えます。この変化をご自身ではどう捉えていますか?

毎回、より良い作家になろうと努力している。このユーモアは、今世界がいかに馬鹿げているかということから来ていると思う。「ハハハハ」という笑いではなく、頭を抱えて「フゥフゥフゥ」と叫ぶような、どうにもならない時の笑いなんだ。

ー新しいアルバムのタイトルは『HELLMODE』ですが、これはCOVID-19による混乱と行動制限を反映したものですか?それとも、今日のアメリカ社会のあり方についてですか?

いろいろなことが描かれていて、行動の制限を除けば、それらすべてのことが少し描かれているのかもしれない。人類が自分自身をむさぼり食うのを見ているような感じがする。タイトルは、多くのことが同時に襲いかかってきて、それをすべて引き受けることは不可能だということを反映していると言える。これは、ビデオゲームの難易度が最大値を超えていることを表しているんだ(笑)。

ーこのアルバムを作るにあたって、何か特別なインスピレーションを得ましたか?

いくつかあるよ。1年半の間、隔離されていたことは確かにその一部だったけれど、パンデミックについて直接書くことは避けたかったんだ。HELLMODEを書き始めたとき、僕はニューヨークからカリフォルニアに引っ越した。長い間住んでいた家を離れたことが、このアルバムに収録されているいくつかの曲に憧れを感じさせる理由かもしれない。

Jay Somの『Anak Ko』には大きな影響を受けたし、ディア・ノラの『Three States』のボックスセットもそうだし、フィービー・ブリジャーズの『Punisher』もよく聴いていた。1980年代のパワーポップのコンピレーション『Strum and Thrum』もよく聴いていた。それから、大音量の速い曲もよく聴いていた。Slantのレコードは本当に好きだったし、Soul Gloも好きだった。レフトオーバー・クラックやメガデースの『ラスト・イン・ピース』も再発見した。そしてMFドゥームが亡くなった時、久しぶりに彼の音楽を聴いたんだけど、彼がわずかな時間に詰め込める言葉や韻の量がとてもすごいことに気がついた。それと、このアルバムの多くはロサンゼルスの街をランニングしながら携帯電話に入っている歌を歌いながら書いたものなんだ。走りながら前進する勢いがこのアルバムに大きな影響を与えたんだと思う。

ー今回のリリースのためにあなたの作品を注意深く聴きました。そのすべてに共通していたのは、ユーモアが全面に出ているということでした。この感覚は今の日本社会に最も欠けているものだと思いました。
アメリカでは多くの人があなたのユーモアを受け止め理解しているのでしょうか?深刻な政治的・人種的分裂の多いアメリカで、あなたのようにユーモアを失わないために必要なことは何でしょうか?

実のところ僕にもよくわからないんだ。ユーモアは僕が深刻な問題を処理する方法の一部なんだと思う。そして歌うのも話すのもまた難しいことだと思う。あまり真面目に話すと、バカみたいに聞こえたり、誰も僕の話を聞きたくなくなったりするのが怖いんだ。あるいは、ただ面白い人が好きなだけかもしれない。

ー日本に来たことはありますか?あなたの目から見た日本の印象を教えてください。

日本に行ったことはあるよ!ブルース・リー・バンドで3回。日本について最初に気づいたことは、アメリカでは見られないような方法で、人々が音楽をサポートしているということだ。東京にいたときは下北沢に滞在したんだけど、街角のスピーカーからはいつも音楽が流れていた。ブルース・リー・バンドと東京に行ったときに出会った人たちはみんな本当に親切で、特にKemuriの人たちは親切だった。彼らは本当によくしてくれて、僕らにとって日本をとてもポジティブな場所に感じさせてくれた。日本にはいいエネルギーがある!

ー最後に若い頃に戻れるとしたら、当時の自分にどんなアドバイスをしたいですか?

すぐにダイブ・ボム(ヘヴィーメタルでよく使われるギター奏法)を覚えよう!年を取ったら全くできないよ(笑)!

https://youtu.be/y8vJxLjnhBw?si=dGdrbdE5_x93Be1K


KKV-160

Jeff Rosenstock / HELLMODE
9月1日発売

CD+日本盤特典 4 demo songs CDR
歌詞訳詞付き
2,750円税込 2,500円税抜
予約受付中

ジェフの音楽は怒りも喜びも悲しさも、全ての気持ちを詰め込んで、驚くほど率直にそのままオーディエンスに届ける。この困難な時代を生き抜くために、毎日の不安をユーモア満載で吹き飛ばす!

US D.I.Y PUNKシーンの重要アーティストJeff Rosenstockのニューアルバムの国内盤をリリースすることになりました。発売日は9月1日、歌詞対訳付き 日本盤限定ボーナス・トラックとして4曲のでもを収録したCDR付き!
収録曲
1.WILL U STILL U
2.HEAD
3.LIKED U BETTER
4.DOUBT
5.FUTURE IS DUMB
6.SOFT LIVING
7.HEALMODE
8.LIFE ADMIN
9.I WANNA BE WRONG
10.GRAVEYARD SONG
11.3 SUMMERS

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