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エリック・スピッツネイゲル「レコードは死なず」僕はこんなおじさんになるのか、きっとなるだろう

KKV Neighborhood #83 Book Review - 2021.4.14
エリック・スピッツネイゲル著、浅倉卓弥訳「レコードは死なず」(ele-king books)
review by  サイトウダイJurassic Boys


僕はこんなおじさんになるんだろうか。
いや、なりたくはないし、きっとならないだろう。
これが、エリック・スピッツネイゲル著 浅倉卓弥訳 「レコードは死なず - OLD RECORDS NEVER DIE : One Man’s Quest for His Vinyl and His Past」を、読み始めた頃の感想。

そして、100人のうち100人がこのおじさんのことを理解出来なくても、僕にはこの本に閉じ込められたおじさんの気持ちが痛いほどわかってしまい、なんとしてもその気持ちを伝えたくなった、というのが読み終えての感想。そもそもこの本に書かれていることを完璧に理解してほしいなんてことを、このおじさんは心から望んではいないとも思う。

しかし、誰にも理解されないことにこそ、意地になりたい時があるはずだし、そんな根拠のない意地にすがるしかないこの気持ちを僕は知っているつもりだ。

だから、某インターネットショッピングサイトのこの本のレビューに、オーディオの話が少ない、音楽の中身の本質に触れた話が少ない、などと書いてあることでこの本に触れる機会を逸してしまった人がいるならそれは勿体無いと思った。そもそもそんなレビューはこの本の本質を捉えていないからだ。

「レコードは死なず」とは一体どんな話なのか。これは、45歳のライターのエリック・スピッツネイゲル(おじさん)が、とあるインタビューの際にThe RootsのドラマーであるQuestloveから言われた「今まで買ったレコードは全て持っている」という一言に触発され、何の為か、どうしてそうするのか、それすらもわからないまま、かつて全て売り払ってしまった自らのレコードを取り戻す(しかもそれはリイシューや他人の中古ではなく、自分が長年所持していた実物を探しだすということ!) というドキュメンタリーだ。おじさんのああでもないこうでもないというレコード探しの旅が、それらのレコードを巡る過去と現在のエピソードを綴られながら、過去と現在を交錯しながら、書き記されている。

 例えばそれは、The Replacementsの『Let It Be』というアルバムが親にバレないように大麻を隠しておくのにいかに適したレコードかということ(つまりはBob MarleyやCypress Hillのような容易に大麻を想起させて疑われそうなレコードではないということ)。些か熱心すぎる視線を注いだ憧れのチアリーダーに少しでも自分のことを覚えてもらおうと、彼女の趣味であったBon Joviの『Slippery When Wet』(代表曲“Livin’ on a Prayer”が収録されている)を自分の趣味ではないのに無理やり買って、そのレコードにようやく聞き出した彼女の電話番号を書き記し、大事にしていたこと(だからおじさんはこの彼女の電話番号入りのレコードを探すことになる)。現在の奥さんと出会い、産まれてくる子供に、まずはどんなレコードを歌って聞かせてあげるべきかという議論の末に、Soul Coughingの“Sugar Free Jazz”を推したら誰からも理解されなかったこと。

このように、思い出の一部となっている当時のレコードそのものを見つけ出すことが、45歳になったおじさんの人生にどんな影響を及ぼすのか。このレコード探しの旅路の果てには何が待ち受けているのか、それが読みはじめた頃の関心だった(正直にいうとおじさんの多少美化された思い出話を永遠と読まされるような気もしていた)。

それでは、僕にとって音楽とは、レコードとは、どのようなものだろうかと考えてみる。

失恋(というより初めての恋愛ならば誰もが陥いるであろう、キミとはもう別れる、いややっぱり好きだから別れないという、天国と地獄の繰り返しのようなやりとりに心がついていけなくなってしまうアレ)を初めて経験したとき、人生において自分がこれ以上おかしくなってしまうことなどないだろうと思った。

そんな時に僕は今まで聞いたことのなかった(もしくは聞いたことがあってもその良さがわからなかった)Elliot Smithを 唐突に聞いた。なぜElliot Smithを選んだのか、なんの曲だったか、はっきりと覚えてはいないが、真っ暗な自分の部屋のベッドから転がり落ち、ひんやりとした床に寝転んで天井を眺めていた。

自分の恋愛に関するあれこれを、いかにも落ち込んだ風の声で相談することほど、当時の僕にとって気恥ずかしいことはなかった。それでもどうしても誰かの声が聞きたくなって、手に入れて間もないアイフォンで友人に電話をかけた。電話に出た友人に、なんと切り出して良いかもわからず、もじもじしながら咄嗟に「エリオットスミスっていいね」と言った。電話の向こうの友人は「うん、そうだね、知ってる」と言って、いずれお前にもそんな時がくると思っていたよと言わんばかりのたっぷりとした間で、「好きにやりなよ」とそれだけ言った。その時だけは、おしゃべりな僕も「うん」と言って黙った。

必要以上の言葉はいらなくて、そこには血の通いあった時間が流れていたことを今もぼんやりと思い出す。後にも先にも、これほど 少ない言葉で気分が軽くなることはないかもしれない。これがElliot Smithのおかげなのか、それとも友人のおかげなのか、僕にはわからないままだけど。

学生時代のとある冬の日、板橋に住んでいた友達がThe Strokesの「The Modern Age」の7インチのレコードをゲットしたということで、友人とお酒を飲んだその足でそれを聞きに行った。ろくに暖房も効かない部屋で、ちゃんとしたスピーカーもアンプもなかったので、家庭用のマーシャルのギターアンプにシールドを繋いでレコードを聞いていた。彼は、その日暮らしで稼いだお金から電車賃を差し引いた額をほぼレコードに費やしていたため、オーディオを聴く環境や、生活に捻出するお金は二の次だったのだ。まぁ、僕も彼と似たようなもの、あるいは彼以上の困窮っぷりだったが。

家庭用のギターアンプから流れてくる「The Modern Age」を、寒さに耐えるためにモッズコートを羽織って身体を揺すりながら温めて聞いたあの日のあの音が、もしかしたら僕の人生において、1番リアルなレコードの聞き方だったかもしれない。単に聞いていたという思い出ではなく、体感したという記憶そのものだ。

このThe Strokesの7インチは2000年代ガレージロックリバイバルの幕開けを告げた確たる証拠品であり、僕らのようなキッズの手にギターを取らせたレコードであり、レコードというメディアを超える希望そのものだった。そのレコードを僕らは聞いていたのだ。枕も布団も用意されてない六畳一間の畳の部屋で、その夜僕は5冊重ねた音楽雑誌「snoozer」を枕代わりにして寝た。どんな環境であっても、「snoozer」5冊分の厚さがあればいつでも夢を見ることができる。

そして、7インチの「The Modern Age」に打ちのめされたあの夜の余韻が、バンドで音楽を鳴らすという幾度となくしがみついてはほどけそうになった夢を、僕に見続けさせている。

それから10年ほど経ち、僕は今年で30歳になる。
そして、いまだレコードを集めている。
僕は収集癖からレコードを買い続けるのだろうか。

僕のこの収集癖という性質の裏側には、極度の飽き性という性格や、どちらかといえば器用貧乏な方で、なんでもすぐにわかった気になってしまう自分に怯えている、ということが関係しているのではないかと思っている。だからレコードを買うということは僕にとってライナスの毛布なのだ。大好きなはずの音楽に飽きてしまったら自分には何が残るのだろう。自分のアイデンティティすら失ってしまう恐怖に僕は怯えているのだ。

それでも来たるべき時というものがやってきて、この先僕はここまでずっと生涯を共に過ごしてきたレコードたちを手放す日がやって来るかもしれない。夢を見続けることを諦めてしまう日が来るかもしれない。


そんな時にこの本に出会った。読み始めた頃は、僕がこのまま歳をとるとこんなおじさんになってしまう未来が容易に想像できてしまい嫌悪感さえ抱いた。言いたいことがありすぎて長ったらしい文章になってしまうことや、自分の気持ちに収拾がつかなくなってそもそも何を言いたかったのかわからなくなってしまうところなど、よく似ている気がする。だから読み進めるうちに、このおじさんの気持ちが痛いほどわかってきてしまう。どうしたいのかも。

得体の知れない不安を、ただ闇雲に解消しようとして何か行動を起こしても、その行動が実らないことの方が多いはずだ(少なくとも僕は)。そもそも行動を起こすことにすら前向きになれず、高い意識を持ってアクションを起こしている同世代の人たちに、自分だけが取り残されてしまうような感覚に苛まれることもよくある。すると、進むことにも戻ることにも臆病になってしまった自分が、ただその場で明日を待つだけの毎日を過ごすことに、少しだけ慣れてきてしまうことが怖くなる。

しかし、おじさんのように45歳になっても、日々悶々としている人がいるのだ。そして、自分が売り払ってしまったレコードを突然探し始めるといった、誰からも理解されないようなことに全力になってもいいのだ。そのことが僕に勇気をくれた。

だからこの本は、45歳のおじさんが、30代を迎える僕らにくれた、長ったらしくて説教じみたディスクガイドのようなものだと感じた。言葉にできない感情を同じように抱いている人が何歳であろうがいるということ。だからその不安に怯える必要はないし、それをなんとかしたいと思う感情に蓋をすることはこれから先も必要がないのだ。例え理解されなくても。

若い頃、共に夢を見続けていたはずの友人たちとは、だんだんと連絡が取れなくなっていった。彼らもきっと、僕と同じような不安の中でその都度現れる選択肢にうろたえながら、もがき苦しんでいたのだろうか。振り返ってみれば、友人と分かり合えなくなってしまったとばかり思っていた何かは、そのどれをとっても尊重されるべきだった。変わっていく環境や友人に取り残されている気がしていた。僕はずっと変化を恐れていたんじゃないか。しかし、この本を読んで、僕にとって本当に大切な人やモノとは、新品のまま、変わらぬままではないということに気づかされた。僕がもう何年も抱え込んで離していない年季の入ったレコードのように。

あのとき、教室や社会といった囲いの中から共に抜け出し、僕らだけの帰り道を尽きることのない記憶で埋め尽くしてくれた大切な友人たちと、その頃から引きずったままの気持ちに決着をつけるキッカケをくれた著者エリック・スピッツネイゲルに感謝をこめて。

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