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自分で決めたゲームのルールを守り、楽しみ続ける 村上春樹「村上T 僕の愛したTシャツたち」

KKV Neighborhood #38 Book Review - 2020.08.24
村上春樹「村上T 僕の愛したTシャツたち」(Popeye books / マガジンハウス)
review by カジュアルにおう吐

2020年の夏は、Tシャツを着ることのない夏でした。

正確にいうと、Tシャツに袖を通して、電車に乗って街へ出かけることのない夏でした。ご多分にもれず僕も、この春から在宅勤務に移行することとなり、まいにち軽装でいることは間違いないのですが、ビジネスカジュアル的な装いをしなくなったというだけで、自宅ではワイシャツを着るとき下に身につける肌着&タオルをひっかけた原稿執筆時の手塚治虫スタイルで家にいます。そうして終業時間になると、適当なうわっぱりをひっかけて近所のスーパーで食材を買い、かんたんな料理をつくって第3のビールをちびちび飲みながら、眠くなるまでじっとしています。…… というような生活が4ヶ月ほど続いて、鬱々とするかというとそんなこともなく、なんなら存外、どこぞの誰かがぶち上げた新しい生活様式とやらに適応して過ごしているつもりでいました。

いたのですが、やはり何か調子が狂ってきているようです。というのも、ここでおおっぴらに言うのは少し気がはばかられるのですが、とにかく音楽を聞くことがめっきり少なくなりました。なんとなく気乗りがしないのです。映画やドラマなど映像作品も見ることはありません。本は買ったり借りたりするものの、基本積んでいます。「どうぶつの森」をはじめてはみたものの、結局これって作業ゲーでは……と思ってしまい中途で放り出しました。もちろん外に出かけることはほとんどありません。

たとえこのような時節柄とはいえ、もともと活動的な性格ではないにせよ、もう少し有意義で活動的な人生の楽しみ方があってもいいと思うのですが、ともあれ、こんな感じで毎日じっとしています。昨日が今日のように、明日が今日のように区別がつかなくぼんやりとしている。オーケー、認めよう。僕はおそらく、気が塞いでいるのかもしれません。

そんなときは、年若い頃からもう何年ものつきあいで読み続けている作家の本を手に取ることが多くなります。そして僕にとっての、そういうつきあいがある作家は村上春樹です。僕のイマジナリー・オールド・スポート。最近の長編短編は敬して遠ざけ、ご無沙汰しているけれど……。川上未映子との対談集(「みみずくは黄昏に飛びたつ: 川上未映子 訊く/村上春樹 語る」)で話していた小説観や執筆スタイルはめちゃくちゃかっこよかったし、新刊も読んでみるか……。というような手合いのハルキストになれないムラカミ読者は、エッセイや対談集、あと翻訳を好んで読みます(そしてそのようなムラカミ読者は結構いるのではないだろうか。とも思います)

そして「村上T 僕の愛したTシャツたち」はそのような典型的留保つきムラカミ読者にとってうってつけの一冊です。なぜなら本書では、古着屋で1ドル99セントしばりというルールを設けてTシャツを買うとか、Tシャツのボディはヘインズとフルーツオブプルームが好きとか、どのバンドTシャツなら外に着て出かけることができるかとか、まあ、要するにTシャツにまつわるのんびりした繰り言、与太話しかしていないからです。なにかのコレクターである友人の無為な話を聴くのは気晴らしに最適です。

本書のなかで特に印象的なエピソードは、スペインの出版社が作ったハルキ・ムラカミ販促Tシャツの話「気を落ちつけて、ムラカミを読もう」ではないでしょうか。その販促Tシャツのボディには、本を覗き込む猫のイラストとともに〈KEEP CALM AND READ MURAKAMI〉(気を落ち着けて、ムラカミを読もう)という文章がプリントされています。このフレーズのリファレンスが〈Keep calm and carry on〉(平静を保ち、普段の生活を続けよう)という第二次世界大戦中に英国の情報省が作ったポスターの文句で、それがリーマン・ショックの頃リバイバルしたことを述べたのち、

でもまあそれはそれとして、世の中が何かとざわざわ落ち着かないときに、腰を据えて読書にいそしむのは良いものです。( P39-40)

といささかなげやりに結びます。「どんな髭剃りにも哲学はある」というサマセット・モームの引用をなんども繰り返すムラカミらしい、彼の個人的なプラグマティズムがじんわり伝わる文章です。実際世の中が何かとざわざわ落ち着かないと、本を読むのも難儀するようになるとは思いもしなかったのですが。

作家になる頃と前後して、ジャズ喫茶を経営していた村上の趣味がレコード収集であることは、よく知られています。音楽家・批評家の大谷能生が村上春樹という作家とその作品を、彼の音楽との関わりから論じた「村上春樹 正確に位置づけられた屑」という文章の中で、ジャズ・レコードのコレクターとしての村上春樹について以下のように述べています。

彼(※筆者注:村上春樹)は自分のことを、「いわゆるコレクターというのではない」「もともとそれほど綿密な性格というわけではないうえに、たかがモノに対して法外な金を払うのが嫌な性分なので(要するにケチだ)、なかなかコレクターにまではなれない」性格だ、と述べている(中略)だがここにはまた、一九六〇から七〇年代の日本において、あらたに自分なりの「ジャズ喫茶」を開くことができるほどの規模で「ジャズ・レコード」というものと付き合った人間の矜持というものがほの見えているように思う(大谷能生、ジャズと自由は手にとって(地獄に)行く、本の雑誌社、P104)
ジャズ・コレクターの世界にあって、村上春樹は、ひとりのミュージシャンやある特定のムーブメントのアイテムに拘泥することなく、実に幅広く、しかも正確に、中古レコード盤の森の中から自分好みのアイテムを選り分ける楽しみを享受できているようだ(同書、P105)

また、墓碑銘を選ぶことができるのなら「少なくとも最後まで歩かなかった」と刻んでもらいたいと望むというエピソードがあるように、レコード収集と並ぶ村上の趣味は、ランニングです。フルマラソンやトライアスロン・レースを走り続けてきたことを題材にしたメモワールと称するエッセイの中で村上は、

同じ十年ぼんやりと生きる十年よりは、しっかりと生きる目的を持って、生き生きと生きる十年のほうが当然好ましいし、走ることはそれを助けてくれると僕は考えている。(村上春樹、走るときについて語るときに僕の語ること、文春文庫、P123)
そして本当に価値のあるものごとは、ほとんどの場合、目には見えない(しかし心では感じられる)何かなのだ。そして本当に価値ある物事は往々にして、効率の悪い営為を通してしか獲得できないものなのだ。(同書、p251-252)

とも記しています。

〈要するに”やっててよかった公文式”みたいなことをずっといっているわけでしょう?〉と思わなくもないですが、公文式で高進度学習者になるための秘訣が、地頭の良さではなく〈毎日プリントを◎枚やる。と決めてやりつづけること〉であるように、自分で決めたゲームのルールを守り、楽しみ続けることを愚直に模索し続けることこそが、職業的作家としていっぽんどっこの人生を送ってきた人物の自負や誇りであることをしみじみ実感します。そしてそれは、世界を見るためのメガネの話/バカにするんならそうすりゃいいが/クールに生きる矜持の話(waniwave、セガサターンしろ、https://soundcloud.com/waniwave/demo-2)とも言えるでしょう。

Tシャツを着て外に出ることがなくなった夏も終わりを迎えようとしています。外に出なくなると 、メガネが曇り、それを拭くこともまなならなくなるとは思いもしませんでした。僕は、やがて2020年の夏を思い出したときに、初夏の時期は西日本や九州各県で甚大な水害をもたらした長梅雨があったたがことを覚えているのでしょうか。Tシャツを着て外に出ることのなかった夏にTシャツの本を読んだことについてなにか書けたことをきっかけに、きちんと覚えておけるといいのだけれども。流れに立ちむかうボートのように、絶え間なく押し流されながらも。


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