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リバーブで溶かす -創造性と歴史の話- 中村公輔「名盤レコーディングから読み解くロックのウラ教科書」

KKV Neighborhood #5 Book Review - 2020.05.13
中村公輔「名盤レコーディングから読み解くロックのウラ教科書」(リットーミュージック)
review by 中村明珍

第一章

みなさんはギターを壊す派でしょうか。それとも時に話しかけ、添い寝する派でしょうか。

僕はどちら派でもあります。ギターでなくて、人に対してだったら同時にこんなことをやっていたらかなりヤバいやつですが、実際ヤバいやつだったと思います。

ギターに対して、どういう関係性を結んだらいいのか。距離感がずっとわからなかった私。東にジミがいれば火が上がり、西にピートがいれば破壊用のギターが用意されている。その一方で、例えば剣道であれば、道場にお辞儀こそすれ、竹刀を壊す人はいるだろうか。クワを丁寧に扱わずして、火をつける人はいるだろうか。

先日、KiliKiliVillaの安孫子氏(以下A氏)より、ある農業資材を、このタイミングで使うかどうかという質問の電話がありました。僕だったらこう考える、ということだけしか言えなかったのですが―――。

コンプレッサーは、(中略)より具体的にいうと大きすぎるピークの音量が出ている部分を、少しだけ自動的にボリュームを下げて規定値に入るようにするエフェクトです
「名盤レコーディングから読み解くロックのウラ教科書」中村公輔著・2018

「そうか、この資材は要はコンプなんだな」妙に納得したトーンのA氏の声がスマホのスピーカーから流れました。

最近でもコンプレッサーをかけない人は、アンチ・コンプレッサー・ファシストと言われているスティーブ・アルビニくらいのもので、かかってない作品を耳にすることはまずないです(同著)

その資材を使うか使わないかはエンジニアリングの感性に委ねられています。

なお、『狂気』は音像こそ現在でも普通なものの、プロダクション手法としては少し特殊です。なにしろ最初はコンプレッサーを一切かけないと言うコンセプトで作業していたらしいので!(同著)

ピンクフロイド「狂気」。その△がいたるところにプリントされた、パジャマ風の禍々しいスウェットパンツをいっとき盛んに履いていたのは、このA氏。

数日後訊いたところ、今回は、畑に「コンプを使った」ということでした。

第二章

世の技術革新のダークサイドとして「戦争」が関係しているという事実があります

そんな状況のなかであるときイギリスとフランスの軍人や軍需産業が、のちに「キャタピラー(芋虫)」という商標がつけられる履帯のついたアメリカ製トラクターを見て、これを使えば、前方を突破できるのではないかと思いついたのです。(中略)民生技術を軍事技術に転用することを「スピンオン」と言いますが、トラクターがスピンオンされて戦車に変身したわけで
「戦争と農業」藤原辰史著・2017

トラクターが戦車に転用されたという事実。さて、レコーディングにまつわる技術はどうか。

ビートルズがボーカルに使っていたU47は、魅力的な声になるエフェクトのようなマイクだと書きましたが、実はこのマイク、源流はヒトラーが使っていたマイクにたどり着きます
「ロックのウラ教科書」

マイクに限らず、レコーディング機材には逆に軍事由来のものが結構ある、と。もう一度農業に戻ります。

…化学肥料の生産技術は火薬に、毒ガスの生産技術は農薬に転用されました。(中略)これを『デュアルユース』と呼んでいます。民生技術と軍事技術の二重使用ですね」「携帯電話も、インターネットも、電子レンジも、カーナビも、みんな軍事技術からのスピンオフですから
「戦争と農業」

ところで、「岩波 仏教辞典 第二版」にはこうあります。

金剛(こんごう)杵(しょ) … 特にインドラ神(帝釈天)などが持つ古代インドの武器をさす。(中略)…仏の智慧を表し、また煩悩を打ち砕く菩提心の象徴として諸尊の持物となるほか、法具として用いられる。

「密教辞典」(法蔵館)によれば、金剛(こんごう)杵(しょ) …きね型の武器で(中略)古制ほど元来の武器の鋭利さを表現するが、次第に形体ばかりが重んぜられる。

よくお寺の仁王門にいる金剛力士が持っていたり、弘法大師・空海の図像で必ず右手で持っているあの道具、あれです。独鈷杵とか、三鈷杵とか、五鈷杵といった種類があります。

水前寺清子の「ぼろは着てても こころの錦」「人のやれない ことをやれ」の名フレーズを含むこのヒット曲のタイトルは「いっぽんどっこの唄」(作詞:星野哲郎/作曲:安藤実親)。「一本独鈷」、つまり独鈷杵のこと。

実際に使われていた武器なのか神話的存在だったかは議論を待つところですが、武器を転用するアイデアだとすれば「スピンオフ」にあたるのではないか。そして、武器が我々の煩悩を砕破するために転用されているのであれば、それを十分認識したうえで享受するのはレコーディング機材と同様。

この点で、何とかして阻止しないといけないのは、民生から軍事への「逆流」。スピンオン。これではないか。我々ができるのは、ある技術の軍事転用を断固として食い止め、血なまぐさい武器を、慈悲の器にスピンオフすることなのだ、と。

第三章

「ロックのウラ教科書」によれば、ドラムの音を歪ませるという、今では当たり前になった音像がどう起こったかの仮説が記されています。

このようなサウンドが流行した背景には、ミュージシャン側からの1980年代のバブリーな音色への嫌悪感みたいなものがあったのだと思います。特にクリーンな録り音とデジタル・リバーブのキラキラしたサウンドの組み合わせは、大型スタジオと高級機材でしか生み出せない音響だったので、若い世代からすると権威の象徴のように映りました
「ロックのウラ教科書」

本書では、ある音像が発明された瞬間や、それが流行する理由がいくつも記述されています。神話的に語られていた逸話が実は偶然だったパターン、部屋そのものがエフェクターだった起源から、歴史的対話が積み重なって作られていった経緯。

「ちなみに、年配の方に聞いたところ、リアルタイムでその時代の真っ只中にいた時は、新しい歪みが出てくるたびに、前のやつがダサくて新製品がカッコイイというムードがあったようです」
「ロックのウラ教科書」

ここで想起させられるのは、大乗仏教における「空」の展開。紀元前の時代にブッダが悟りをひらいたのち500年かけて議論を積み重ね、練られ続けた概念が「空」なのだということ。そもそも仏教自体がその時代のカウンターとして発生し、カウンターにつぐカウンターの応酬で展開していった歴史。それはレコーディング技術の成り立ちと同じです。

空の思想を根本にすえ、哲学的・理論的に基礎づけたとされるのが「ナーガールジュナ(龍樹)」。その主著である「中論」について、中村元(インド哲学・仏教学者)氏によれば、

しかしながら、「中論」の主要論敵はなんといっても説(せつ)一切(いっさい)有部(うぶ)であろう
「龍樹」中村元著・2002年

説一切有部とは、「法が有る」と実体視する立場である。それはブッダが説いた「諸行は無常」という法測に対しての、以下の疑問を解決するために展開したものだった。

ところで諸行無常を主張をするためには何らかの無常ならざるものを必要とする。もしも全く無常ならざるものがないならば、「無常である」という主張も成立しえないではないか。もちろん仏教である以上、無常に対して常住なる存在を主張することは許されないし、(中略)無常なる存在を無常ならしめている、より高次の原理があるはずではない
「龍樹」

だが、この立場は、あるはたらきの「あり方」が実在として「有る」としてしまうと起こる疑問を解決できないといいます。

まず、すでに去ったものは、去らない。また未だ去らないものも去らない。さらに〈すでに去ったもの〉と〈未だ去らないもの〉とを離れた〈現在去りつつあるあるもの〉も去らない
「龍樹」/クマーラジヴァ訳「中論」からの引用
パワー・ステーションの場合は残響成分にゲートをかけているのは同じなんですが、門の開閉にリバーブ音を使うのではなく、オンマイクのサウンドをきっかけにして開閉するようなセッティングにしていたのですね。そのため、以前よりもタイミングをジャストな位置に
「ロックのウラ教科書」
〈現在去りつつあるもの〉のうちに、どうして〈去るはたらき〉がありえようか。〈現在去りつつあるもの〉のうちに二つの〈去るはたらき〉はありえないのに
「龍樹」/「中論」からの引用
プリンスは『リトル・レッド・コルヴェット』や『1999』を始めとして、代表曲の数々をこのリンドラムで制作していますが、その中でも…(中略)門の開閉はハイハットでやっていますが、かけているのはギターなので、リンドラムからハイハットの音が鳴るたびに一瞬だけギターが鳴って、あのようなサウンドになっているようです
「ロックのウラ教科書」
〈去りつつあるもの〉に去るはたらきが有ると考える人には、去りつつあるものが去るがゆえに、去るはたらきなくして、しかも〈去りつつあるもの〉があるという〔誤謬〕が付随してくる
「龍樹』/「中論」からの引用」

「有る」としてしまうと、「有る」ものが二つあることになってしまって解決できない。そこで「有る」ということに対して「無い」ということではない、「空」を中心とした思想が理論的に展開していく。

このように1980年代後半になるとエンジニアの過剰なプロダクションが行われるようになり、どうやっているかわからない音が増えていきました。…(中略)こうなってくると、徐々にシンプルなプロダクションに戻ろうという機運が高まっていったのも、うなずける話ですね
「ロックのウラ教科書」

この「空」の思想の立場も、後世に疑問が提起されていくのです。

だが例えば「中論」のように世間と涅槃(出世間)の区別を無効化する立場をとるなら、世間諦と出世間諦の区別も当然無効ということになるし、それに応じて、把握される「本来性」の内実も変わってくる。そうした解釈の延長線上には、仏教者は「物語の世界」から出て生成消滅する現象を如実知見すればそれでよいので、それ以上に無為の涅槃の領域などを考えるのは余計なことだ、という主張も、自然に生じてくることになるだろう
「仏教思想のゼロポイント『悟り』とは何か」魚川裕司著・2015年

このように、ロックにおいても仏教においても歴史の検証は今後を考えるうえで重要なことであり、そのためにはまず、文書の保存が不可欠ということがわかります。

もし興味があったら、どれもオススメなので読んでみてください。

最後に、A氏の盟友で、「まんが道」でいうところのF氏的存在のK氏の金剛力士についての投稿のリンクを貼って、本稿を終えます。


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