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追悼:那倉悦生 (ENDON) by 長谷川文彦

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KKV Neighborhood #23 Mourning Column - 2020.07.07

追悼:那倉悦生 (ENDON) by 長谷川文彦

少し前の話になるけど、ENDONの那倉悦生が亡くなった。最初にツイッターで知った瞬間、胸のあたりがズキっと痛んだような気がした。まだ34歳だったとのこと。死因などの事情は不明だけど、どんな事情であれ34歳で死んでいいはずがあるわけないのだ。
今さら言うまでもないけど、ENDONは世界的に見ても間違いなくエクストリーム・ミュージックの最先端に位置し、その領域を拡張し続けてきたバンドだ。もういい加減「特異な音」など出尽くした感のあるアンダーグラウンド・シーンで、ここ10年ほど最も「特異な」そして衝撃的な存在であったのは間違いない(例えば、CONVERGEあたりと比べても全然引けを取らないと思う)。そんな場所にいるまだ34歳の人間が亡くなった。一体何を言えばいいのだろう。

ENDONを初めて観たのは、ENDON主催の「TOKYO DIONYSOS」というライブが行われた新大久保のアースダムだった。2011年のこと。その時は非常階段が観たくて行ったのだけど、それまで観たことのないハードコア・バンドやノイズ・ユニットを観ることができたよいイベントだった。とはいうものの、自分は何十年もそういうジャンルのバンドを観てきているので、初見のバンドを観ても本当に「すごい!」と思うことはあまりない。それは当たり前というもので、「すごいモノ」に巡り会う確率なんてそれほど高いものではないのである。
そして、ENDONが出てきた。なんじゃこりゃ!?というのが最初の印象。他のバンドに比べて圧倒的に「異物感」が強かった。ハードコアに近いけどノイズが強めで、何よりもボーカルの存在感が際立っていて、ジャンルがどうのこうの言ってもしょうがない独特の磁場が存在していた。確率が低い「すごいモノ」に出会うということが起きてしまったような気がした。
とりあえず「なんだかすごいモノを観たなぁ」と思ってその日は終わった。

それから何年かは実際にライブを観ることはなかった。しかし、2014年にアルバムが出ると聞いてすぐに買った。心のどこかに「なんだかすごいモノ」に対する何かがひっかかり続けていたのだろうと思う。とにかくすぐ買わないと!と本能的に察っしていた。
2014年のアルバム「Mama」は本当にすごかった。よくあるようなハードコアとノイズの融合みたいなものとはまったく次元が違った。。ハードコアでもない、ノイズでもない、どこにも似たものがない突然変異のような音としか思えなかった。ライブを観た時にはハードコア寄りに思っていた音は完全に独自の世界を形成し、音の感触があまりにも「デッサンが狂っている絵」のように歪んでいた。異物感としか言いようがない、最初にライブを観た時の感覚がそのまま増殖して具現化されたような音だった。
異物感の正体のひとつがボーカルの那倉太一(那倉悦生の実兄)の存在だろう。非人間的とも言える叫びとも唸りとのつかない発声は個性的などという言葉で括られることを拒絶した独特な存在だった。

それから、ENDONは確実にシーンの中でも存在感を高めていった。
彼らの周囲には独特な個性を持ったバンドが集まっていた。コンピレーション・アルバム「TOKYO DIONYSOS」は完全に東京のアンダーグラウンド・シーンを生々しく切り取っていたと思う。
裾野が広いアンダーグラウンド・シーンだけど、確実のその「核」になる存在というのが感じられることがある。2010年代後半から今に至るところで考えると、GEZANとENDONは、それぞれにその核となる存在であり続けていると思う。

それだけではない。ENDONはヘイトスピーチやファシズムに対して明確に”No”という意思表示をしているバンドだ。意思表示だけでなく具体的にアクションも行っていて、それも付け焼き刃なものではなく、昔からその「現場」に立っている。ENDONはそういうバンドでもある。
「音楽に政治を持ち込むな」という考えの人間がいるようだけど、政治なんて表現する対象のひとつでしかなく、何を表現するかなんて他人がいろいろ言うものではない。政治が何か特別なものであるわけはないのだ。そもそもレイシズムやファシズムは政治的な事柄でもなんでもない。ただの腐った考えでしかない。間違っていることに対して「No」と明確に言うこと、それがパンクというもので、ENDONはそれを実際にやっているバンドだというだけだ。

純粋に音の面でいうと、ENDONをただのハードコア・バンドではない存在にしているのはノイズのパートだろう。圧倒的なライブでの音の大きさと存在感(本当に凄いんだ)を決定づけているのは那倉悦生の存在は大きい。
ノイズって本当は純粋に音楽におけるテクニカルな面でいうと「要らないもの」(普通の人間であれば当たり前にそうだろう)であり「除去されるべきもの」なんだけど、ENDONにおいてはノイズがそこにいなくてならないものなのである。那倉悦生の役割はそこだった。

こういう存在のバンドのまだ若いメンバーが亡くなった。こんなに悲しいことはない。昨今の状況では追悼ライブをやることもできない。
本当にやるせない。やり切れない気持ちしかしない。自分は関係者でものない、ただのENDONの目撃者でしかないけど、本当にそう思う。

長谷川文彦

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