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Beach House 『Once Twice Melody』完璧な球體の中に

KKV Neighborhood #121 Disc Review - 2022.2.18
Beach House 『Once Twice Melody』(SUB POP)
review by 与田太郎

この比類なく精巧に仕上げられた球軆のなかに、僕は蟲のように閉じ込められていた、と言った方がいい。
ー中略ー
実際にこの不思議な球軆には、入り口も出口もなかった。ー「猫かぶりの読者よ、私の仲間よ、兄弟よ」ー魔法の様な聲で呼び込まれたのは、どんな隙間からだったかわからなかったが、作者に引摺られ、引廻されて、果てまで来ると、彼が「死」に呼び掛ける聲がする。「船長、時刻だ、碇ををあげよう」、しかし老船長は、決して碇をあげはしなかった。その代わり「猫かぶりの読者よ」と又静かに始めるように思われた。僕はドオムの内面に、きつしり張り詰められた色とりどりの壁畫を仰ぎ、天井のあの邊りに、どうにかして風穴を開けたいと希つた。すると、丁度その邊りに、本物の空よりもつと美しい空が描かれているのに気付いた。

ー小林秀雄「ランボウ III」よりー

 この文章は1947年に小林秀雄が発表した「ランボウ III」の中でボードレールを評した一文なのだが、そのままこのアルバムに当てはめることができる。エンドレスで聴いているとまるで透明な球体に閉じ込められてしまったような、もしくはガラスの宮殿で出口のない迷路に迷い込んだような気持ちにさせられた。このアルバムを最初に聴いてから2週間、もう何度繰り返したかわからない。この状態はまだ当分続くだろう。

 Beach Houseはシューゲイザー、ドリーム・ポップ、チルウェーヴ、様々な言葉で語られてきた。Cocteau Twinsを始祖としてMy Bloody Valentineやslowdive、Chapterhouse、RIDEなどが決定的な名作を生み出したことで一気に世界に広がったシーンはその後30年途切れることなく系統を繋ぎ、ダンスやアンビエントなど他のジャンルとも相互に影響されながら様々なかたちで現代まで続いている。このアルバムはその膨大な作品群の中でひとつの完成形だろう。多くのアルバムが佳曲を持ちながらもアルバム全体の完成度では90年代の名作を越すことができていない。Beach Houseもこれまで多くの佳曲を持ちながらも今作のように完璧なアルバムを作ることはできなかったように思う。

 全体を通して緻密に組み立てられた曲が流れるように響き、オープニングからラストまで不必要な音が全くない。さらに2曲目の「Superstar」のようにslowdiveの”Alison”やMy Bloody Valentineの"When You Sleep"と比肩しうる名曲が流れを崩すことなく配置されている。どこまでも甘美で淡く、すべての曲が柔らかな波のように押し寄せる。この作品は明日を信じることができた90年代前半とは真逆の現代で作られていることはとても大事なことだと思う。この甘美で美しいノスタルジアはけっして逃避のためだけでなく、忘れそうになっていた希望や夢みることを思い出させてくれる。

 インターネットから逃れられない生活で日々目にする分断、不安、不信、そのうえ想像もしなかったパンデミックが現実の世界をとりまいている。まさに現実からエスケープするための音楽にも聴こえるだろう。だがこの幸福感と胸を擦るようなノスタルジーはそれ以上に確かな何かを宿している、それはフォーマットに落とし込まれただけの音楽では得ることのできないものだ。これと近い感覚を感じたのは去年リリースされたJustin Bieberの『Justice』だった。彼はただ世界を眺めている、その目に映る世界のやるせなさに意識はもうなにも反応はしない。が、魂が震える、そんな感覚だけを取り出して音楽にしているようなアルバムだった。もう作ろうとさえしていないと思われるほど純化された2~3分のポップ・ミュージック。このやるせない世界に自分はなにもできず、ただ眺めることしかできない。しかし目に映る世界に魂が反応していることは隠せない、そんな瞬間をそっとすくい上げたような音楽だった。あきらかに間違ってしまった世界とむきだしの心で対峙した時に、意識ではなく魂が揺れるその様子を丁寧にとりだしている。この『Once Twice Melody』もまさに同じプロセスから生み出されているように思える。

 The NationalやBon IverはTaylor Swiftを巻き込みながらこの世界に正面から立ち向かっている、しかしまだ突破することはできていない。The War On DrugsはBeach Houseとおなじ方法で今の世界を封じ込めようとしたが完全に密閉することができなかった、Snail Mailは誠実に答えを保留した。ポップ・ミュージックがなにかを宿すのはそれほど難しい。今作のように徹底した世界を作るうえでBeach Houseはどのようなオーディエンスを思い描いていたのだろうか。夢のように流れ、遠くからエコーのように響いてくるモノローグのようなボーカルに私たちが聞き入る時、この世界の裏に隠れてしまったものを呼び起こす。そこに浮かび上がるものは明日を信じることができない世界を生きる私たちが忘れてしまいそうな希望なのかもしれない。

 小林秀雄を閉じ込めたボードレールという精巧な球體はランボウという”途轍もない歩行者”との出会いによって砕け散った。私もこの『Once Twice Melody』という眩い世界からいつかは出てゆかなくてはならない、それを告げる歩行者は何者だろうか。

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