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ロックが社会と戦い、おさめた数少ない勝利の記憶 The National『Boxer』

KKV Neighborhood #7 Disc Review - 2020.05.22

The National /Boxer
Beggars Banquet (BBQCD 252) 2007年
by 与田太郎

本来ならば3月17日に見るはずだったザ・ナショナルの来日公演はキャンセルとなった。1月のボン・イヴェールとともにこの20年間のアメリカのロックを代表する2組がそろって観れることなどはもうしばらくはないのではないだろうか。できることなら年内に来日公演を実現してほしいと思う。ボン・イヴェールの来日公演は音源からは想像もできないほど表情豊かで深みのあるステージだった。前回の来日の際にもこれならライブをそのままリリースしてほしいと思ったのだが、今回もまったく同じことを考えてしまった。同じように2000年以降のアメリカを代表するバンドであるザ・ナショナルの今のステージを観ておきたかった。2011年に実現した奇跡的な初来日の会場はDuo Music Exchange、来日直後にはニューヨーク・ラジオシティー8日間の公演が完売、世界中のフェスではヘッドライナーの一歩手前という状況で見ることができたのはとてもラッキーだった。

白ワインをがぶがぶ飲みながら歌うシンガーのマットは独特のオーラを持っているというか、ジェントルだが非常に意志の強さを感じさせる佇まいだった。この時は『High Violet』のツアーだったこともあり、バンドとしてもピークとも言える状態だったはずだ。 『High Violet』は高揚感と確信に満ちたサウンド、その内側には自分たちが見ているのはこの世界の一部でしかないという意識広がっている、この謙虚さとのバランスは見事な知性の表現でもあった。このアルバムは間違いなく2000年以降のアメリカを代表する名作だが、この作品に至る前に作られた『Boxer』こそが彼らにとっての大きな分岐点だった。

『Boxer』のリリースは2007年ブッシュ政権の末だった当時、2001年の911以降ブッシュ政権がはじめたイラク戦争が当初の目論見とは違い泥沼化していたあげく、イラク侵攻の大きな理由であった大量破壊兵器も見つからず国民は政権に大きな不信感をもっていた。愚劣なトップが様々な不祥事を起こしていく様はいまの日本ともよく似ている。『Boxer』はそんな時期にリリースされた。アルバムを通して伝わってくるのは変革への強力な意思、そして確信に満ち溢れたメッセージだ。自分自身を信じることができているものが持つ希望の淀むことなく響き、しかも過剰なものが一切なく、静かな佇まいさえも備えている。翌2008年アメリカ大統領選を迎えた年に、このアルバムにとって象徴的な出来事が起こる。アルバムの1曲目に収録されている“Fake Empire”のインスト・ヴァージョンがブッシュの対立候補として、民主党大統領候補となったオバマの選挙キャンペーンビデオで使用される。まさに変革への大きな象徴として、このロッカ・バラードがアメリカ中で響いた。ビデオには、なにか大きな覚悟と信念を持って前に進む時の高揚感が溢れている。


このアルバムはディラン、ニール・ヤング、スプリングスティーンからレイジ、グリーン・デイまで連綿としてアメリカのロックが社会と戦い、おさめた数少ない勝利の記憶と言っていいだろう。そしてまたなによりも僕が強く感じたのはR.E.Mを継ぐものがここにいたということだった。このような戦いは勝利することの方が少ないし、多くのアーティストや名作と言われるアルバムも敗北を起点にしている。R.E.M.も常に社会と対峙しながらその知性を武器に戦い、そして負けた場所から歌ってきた。インディー系のギター・ロックが社会に対する違和感を知性的な表現でつきつけ大きな存在だったR.E.M.は多くの種を蒔いていたんだとザ・ナショナルを聴いて実感した。

ザ・ナショナルにとっても一度の勝利ですべてが解決するわけではなく、オバマ大統領のあとに登場したトランプの登場とともに徐々に内省的な作品が中心となる。しかし、『Boxer』の確信から実現した勝利の高揚感に彩られた『High Violet』の連作はアメリカのロックの輝かしい瞬間として2枚をセットとして僕の心に深く刻まれている。

アメリカは今年11月に大統領選を迎える、どんな音楽がそれにこたえるだろうか。そして、僕らが住んでいる国でもそろそろ“Fake Empire”のようなことがおきてもいいのではないだろうか。

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