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CHERRYBOY FUNCTION『suggested function EP#5』をXTALと与田太郎が合評

KKV Neighborhood #35 Disc Review - 2020.08.17
CHERRYBOY FUNCTION『suggested function EP#5』(ExT)
review by XTAL、与田太郎

緻密さと鷹揚さが共存、トラックメイカーとしての成熟を示す(by XTAL)

CHERRYBOY FUNCTIONと出会ったのは、2000年代が始まったばかりの頃で(当時は「権田山一雄」名義だった)、その音に触れた私と周辺の友人たちは、「天才が現れた!」と色めき立っていた。そこには我々が望みながらも、まだ聴いたことがなかった音楽が遂に鳴らされた喜びがあったし、私自身も彼が音で示したビジョンに感化され、自分の音楽を作っていった一人でもある。

それから約20年が過ぎ、引き続きその天才が燃え尽きることなく音楽を作り続け、こうして定期的に作品を届けてくれるのは、シンプルに嬉しいことだし幸福と言ってもいい。その内容だが、聴き終えた時、頭に浮かんだのは「テクノ界の山下達郎」という言葉で、山下達郎の作品やライブがそうであるように、時代に左右されない普遍的かつ高クオリティーのトラックが並んでいる。

1〜3曲目までは、強靭かつ趣向を凝らしたマシン・グルーヴと情感溢れるコード&メロディーが、まさにCHERRYBOY FUNCTION印のダンス・トラック群。続く“Suburban Topless Beach(Nova Mix)”は、冒頭で書いた「権田山一雄」時代の名曲のリテイク。冒頭のボサノバ風アレンジとシンセ・ボイスは、一時期彼がダイソーで売っている100円CDを愛聴し、「ノー・ソウル系」と呼んでいたのを思い出させた。ラストに配置されたのは、CHERRYBOY FUNCTIONの代名詞的トラック“The Endless Lovers”の、パソコン音楽クラブによるリミックス。原曲の良さを失うことなく、自分たちの色もしっかり乗せた好リミックスだと感じた。tofubeats氏はじめCHERRYBOY FUNCTIONの影響を受けた後進のトラックメイカーは多いと思うが、このパソコン音楽クラブによるリミックスの違和感の無さは、CHERRYBOY FUNCTIONの開いた地平に連綿と繋がる流れの確かさを証明している。

ライブを観たことのある人はご存知だろうが、CHERRYBOY FUNCTIONはRoland MC-505という1998年に発売されたグルーヴ・ボックス1台のみで、あたかもDJプレイのようにシームレスにトラックを繋げて演奏をする。この機材1台のみであれほど素晴らしいパフォーマンスをする、というのは世界でも他に類を見ないスタイルと言ってもいいだろう。本作でもMC-505は使用しているということだが、制作にはコンピューターも使用しており、Muzysという2000年代前半に発売されたソフトウェアを、PowerBook G4(Mac OS9)で動かして使っているとのこと。

こうした最新ではない機材やソフトウェアを使い倒す、というのはレイ・ハラカミ氏とRoland SC-88Pro&EZ Visionの関係を思い起こさせるが、本人にその意図を尋ねたところ「特に強いこだわりがある訳ではないが、ズルズルと今も使い続けている」とのこと。ハラカミ氏の場合、その機材を使い続けるという部分に意識的であり、その結果が強い個性となっている。CHERRYBOY FUNCTIONは、同じように機材の選定が個性に結びついている部分はあるにせよ、いい意味で力の抜けた大らかさもその過程に含まれている。音を聴けば分かる通り、非常に緻密な音作りをしながら、ある種の鷹揚さから生み出される太いグルーヴも同時に感じられるのが、CHERRYBOY FUNCTIONの音楽の魅力だ。そのように緻密さと鷹揚さを共存させながら、継続的に作品を出し続ける状態=トラックメイカーとしての成熟、と言ってみることも出来るだろう。今後もCHERRYBOY FUNCTIONの新しい音楽が、リリースされ続けることを期待している。


もうひとつのパラダイス(by 与田太郎)

1曲目の“Sour Deeds”を聴いた時に感じた不思議な懐かしさの理由をずっと考えていた。ひとつはすぐに気がついた、これは数年ごとにダンス・シーンに現れる“Sueno Latino”のヴァリエーション、もしくはアップデート版ではないか。“Sueno Latino”はダンス・ミュージックに詳しい方なら誰でもご存知の1989年リリースの大クラシック・トラックであり、ジャーマン・ロックの巨人マニュエル・ゲッチングの作品『E2-E4』を大胆にサンプリングしたバレアリック・ハウスのヒット曲である。『E2-E4』の酩酊感のなかを延々とループするような感覚をダンス・ビートに落とし込んだ、ある意味本当のサイケデリック・サウンドと言ってもいいトラックだ。

この不思議な曲はリリース以来30年以上ハウスでもチルアウトでも、ラウンジやテラス、野外、室内問わず様々なシーンでプレイされていて、デリック・メイのリミックスがあることからテクノ・シーンでも知られている、というより90年代以降ずっとどこかのパーティーで鳴っているのではないだろうか。そんな名曲なので、“Sueno Latino”にインスパイアされた曲はいつの時代にも出てきている。

前置きが長くなってしまったが、“Sour Deeds”を聴いたときになぜまず“Sueno Latino”の最新版と思ったかというと、これまで僕が聴いてきたオリジナルや数々のヴァリエーションとはルーツは同じだが、見える風景が決定的に違うと思ったからだ。“Sour Deeds”を構成する音のパーツはとても簡潔かつクリアで、基本デトロイト・マナーなのだが、むしろ簡潔すぎて滲みも揺らぎもないサウンドがとても人工的なイメージを呼び起こす。トラックの中心にあるイリュージョンを喚起する感覚はオリジナルと同一だが、たどり着く場所は全く違う。

僕の経験で“Sueno Latino”が最高に効力を発揮したのは全力で踊ったパーティーの最深部のもう朝の9時か10時、心も体もシビレてきた時、最高の夜明けを迎えた野外パーティーのエンディング、炎天下のビーチやイビサのクラブのテラスだったりする。“Sueno Latino”はダンサーを透明な球体の中に閉じ込める、焦点のあわない目でそこから見えるのは陽炎のようにゆらめく青い空や満点の星空だった。同じように“Sour Deeds”も聴くものを透明な球体に閉じ込める、しかしクリアに見えている空や星に近づいてよく見ると、そこにあるのは精巧に描かれた絵なのである。

“Sour Deeds”はイヤホンやエアコンの音をバックに部屋のスピーカーで聴かれるのが似合っているような気がする。そこに、このトラックに不思議な懐かしさを覚えたもう一つの理由があった。このヴァーチャルな感覚は80年代の日本で流行ったフュージョンとおなじタッチなのだ。カシオペアや高中正義、それにいま海外で受けているシティー・ポップの数々、その多くが空や海、プールを描いたイラストをジャケットにしていた。“Sueno Latino”にせよ“Sour Deeds”にせよ、どちらもリスナーを導いていく場所はある意味パラダイスだが、二つのパラダイスは決定的に別のものだ。しかし、2020年のいま“Sour Deeds”のパラダイスこそ世界が求めているのではないだろうか?

ダンス・シーンはこれまで数々のトレンドを生み出してきた、そのほとんどがクラブのフロアからだ。春のマイアミWMC、夏のイビサと各地のフェス、ヨーロッパ各都市のクラブのフロアで数々の名曲がその年を彩ってきた。しかし2020年、世界のどこにも熱狂したオーディエンスを集めたフロアもフェスも存在しない。この異様な状況は確実にダンス・シーンを変えるだろう。多くのトラック・メイカーはリリースをとめるわけではないし、むしろネットを通してのリリースは増える一方だ、ではフロアをめざすことのないダンス・ビートはどこへ向かうのだろうか?身体性と強く結びついたダンス・ミュージックはイヤホンやPCのスピーカーを通してなにを伝えるのだろうか。この状況はダンス・シーンが海外ほど成長しなかった日本にとって大きな意味を持つかもしれない。CHERRYBOY FUNCTIONのパラダイスがこれまで予想もしなかった場所で発見される可能性は高い、いやもうすでに発見されているかもしれない。そしていつの日かフロアに熱気が戻った時、どこか懐かしく新しいパラダイスに多くのダンサーが閉じ込められるのかもしれない。

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