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フットボール・コラム『Bigger than Life』をはじめます。

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Bigger than Life KKVN football column #1 - 2020.07.03
by 与田太郎

リバプールのリーグ優勝が決まった。イギリスのトップ・リーグがプレミア・リーグとして再編されて初、戦後数度の黄金期はあったけれどじつに30年ぶりのリーグ優勝となった。 フットボールはなぜここまで人を熱狂させるのだろうか、人はフットボールになにを求めているのだろうか、この10年プレミアリーグに夢中になった僕個人の考えを書いてみようと思う。

僕自身は小学校5年から中3まで熱心にサッカーをやっていたこともあり、サッカーを見るのは嫌いではなかった。僕が通った高校は僕の在学中に2回も正月の全国大会に県の代表になったし、Jリーグの創設から日本代表のW杯への出場、日韓共催など、これまでいつも日常にサッカーの話題がなくなることもなかった。が、それは僕にとってサッカーでありフットボールではなかった。

2010年の南アフリカW杯に想像以上に引き込まれたのち、冬にサッカーが見たいとなにげなくつけたケーブルテレビでやっていたプレミアリーグで、僕はフットボールに出会った。最初に見たゲームがどのチームだったかも覚えていないけれど、ゲーム全体のスピードと観客の真剣な表情からいままで見てきたサッカーとは違うものをはっきりと感じた。このシーズンの優勝はマンチェスター・ユナイテッドでチェルシー、マンチェスター・シティー、アーセナルがトップ・フォーだった。とくに贔屓のチームがいるわけではなく、放送される上位チームのゲームを見ているうちに下位チームの戦いとサポーターの真剣さにどんどん引き込まれてしまい、翌年シーズンは開幕から最終節まで毎節5試合をみることになる。

この2011-2012シーズン、プレミアリーグは僕の中でフットボールとなった。僕の見方は特定のチームを応援するのではなく、全体を眺めつつ、優勝争い、チャンピオンズ・リーグ出場権、降格争い、それに選手の移籍や監督の交代など様々な展開に注目した。そんな状況から浮かび上がるチーム、とくに下位チームのキャラクターがどんどんわかるようになってきた。この年僕がとくに入れ込んだのがストーク・シティーとその監督トニー・ピューリスだった。ストークは典型的なイングランドの下位チームでフィジカルの強力な選手を揃え、守りに守ってロングパスかセット・プレーで得点を狙ういわゆるアンダードッグ・チームだった。選手にはロングスロー(現代のフットボールにロングスロー!)の名手デラップ、リーグ最高身長クラウチがいて、平均身長が190以上はありそうな肉体派チームを超頑固オヤジといった風情のピューリスが率いていた。

はじめて通年で見たプレミアリーグでまずストークというチームのキャラクターに入れ込み、同じようにウィガンやウォルバーハンプトンやサンダーランドという下位チームのキャラクターと監督達に入れ込んで行った。下位になればなるほどすべてのゲームは真剣そのもので、とにかく降格しなければ優勝と同じぐらいの価値があるという状況の中での戦いだった。毎試合ごとに繰り出される上位相手の作戦、ミスからの惨敗とスタジアムの落胆、なにせ放送されるのが上位チームとの試合のみなので負けることばかりなのだ。そんな試合を毎週見ながら僕は思った、この下位チームの悪戦苦闘こそ僕たちの人生そのものじゃないかと!

世界的な人気クラブである上位チームに比べたらなにも持たない下位チームは常に厳しい戦いを戦わなくてはならない。思い通りにいくことなどわずか、時に小さな勝利を手にしながら戦い続けるがほとんどの試合は負けるかせめて引き分け、まさに人の人生そのものだとある日僕は思ってしまったのだ。だからこそ、ユーモアが必要だし、必死になることを恥じる必要もない、それを多くのサポーターが自分自身を投影しながら未来を信じ支えている。この構造がはっきり伝わってくると、もう週末のゲームが人ごとではなくなってくる。とくに監督は5連敗でもしようものならすぐに解任の危機がくる、そんな状況の中で必死に戦うことで監督はチームやサポーターとの絆を深めてゆく。この年はピューリスをはじめ、ウィガンのロベルト・マルチネス現ベルギー代表監督やウォルバーハンプトンのミック・マッカシー、サンダーランドのマーチン・オニールなど最高のキャラクターが揃っていた。機会があればそれぞれのエピソードを紹介してみたい。

ここまでなら普通のフットボール・ファンとなんら変わらないだろう。僕がプレミアリーグとそのサポーターから強く感じたことは、これってイギリスの音楽シーンそのものじゃないか、ということだった。とくにそれを強く意識したのが、2015-2016シーズンのレスター優勝だった。プレミアに昇格した前シーズンは降格争いからギリギリの脱出を遂げたチームが次のシーズンで並み居るビッグ・クラブを相手になんと優勝してしまう。予算も小規模、有名選手皆無のチーム、ストライカーのヴァーディーは5部から上がってきた叩き上げ、こんなチームが世界最高峰のリーグで優勝するなど誰が予想しただろう。

これはマンチェスターの若者4人、ストーン・ローゼズがたった1枚のアルバムでイギリスの音楽シーンを塗り替えた時の熱狂そのものだった。たぶん優勝を争ったアーセナルとトッテナムのサポーター以外の全てのフットボール・ファンはレスターを応援していただろう。だれもがレスターのこの想像もできなかった快進撃に喝采していた。そう未来になにが起こるかは誰も知らない、ならば希望を持ってもいいはずだと心から思わせてくれた出来事だった。

逆に音楽をフットボールにたとえるならこうなるだろう。80年代中旬にアマチュア・リーグからスタートしたクリエイションはメリーチェインやハウス・オブ・ラブなど何人かのいい選手を育てるが、どちらもトップ・リーグのチームに引き抜かれてしまう。そうやって得た移籍金でチームを運営しながら、なんとかリーグで戦い、ついに89-90シーズンは生え抜きの選手だったプライマル・スクリームが覚醒。いよいよトップ・リーグに昇格し奇跡の90-91シーズンはプライマル、ティーンエイジ・ファンクラブ、ライド、スロウダイブにマイブラというラインナップで優勝し、そこからリーグを牽引するチームとなってゆく。そして迎えた94-95シーズン、世界的なストライカーとなるオアシスがアカデミーからトップ・チームにデビュー、2シーズン連続優勝に貢献する。しかしチームが巨大化することにうまく対応できず、大資本ソニーの資本参加を受け入れたあたりからチームの勢いがなくなり98-99シーズンでチームは終わってしまう。

こう書いてみるとクリエイションの歴史はフットボール・クラブそのものといってもいい物語だ。バンドを選手に、レーベルをクラブに見立てたのならファクトリーも4ADもストーリーがつくれる、それこそベガーズ・バンケットは40年を生き抜いて現在のトップとして話が成り立つのが面白い。もちろんボーイズ・オウンもそうだし、DJを選手に、クリームやルネッサンス、ゲートクラッシャーなんかのスーパー・クラブをクラブにすると2000年前後のクラブ・シーンの盛衰もフットボール・チームに置き換えることができる。

フットボールとロックンロール、イギリスの人々はこのふたつに夢と希望を託している。そこに共通なのは自分たちが作り上げたものであること、そしてどちらも明日を信じる証であることだ。ビートルズの登場、パンクの革命、ローゼズの熱狂、オアシスの勝利、どれもオーディエンスが支え作り上げてきた。いまや世界のトップ・チームであるマンチェスター・ユナイテッドは鉄道員のチームとして結成された。イングランド・トップ・リーグの多くのクラブがそうであるように19世紀後半に地元チームとして始まった数々のクラブはいまでもそれぞれ特有のキャラクターを持っている。長い歴史を地元の人々と共有し、その間多くの苦難や財政難を乗り越え、音楽同様いつの時代も熱心に支えてきた人にとって一生の思い出となる瞬間を数多く提供してきたのだ。

最後にロックンロールとフットボールについての話をもうひとつ。僕がはじめてシーズンを通して毎節5試合を見た11-12シーズンはマンチェスター・シティが35年ぶりに優勝した。しかも優勝争いも降格争いも最終節までもつれにもつれた。最終節、シティと優勝をあらそったユナイテッドは勝利、シティは勝利しなければ2位という状態で同点のままアディショナル・タイムに突入、35年も待ちわびた栄冠がもうシティの手をすり抜けて逃げるかと思われたその瞬間、ゴール前でもつれながら駆け込んだアグエロがゴール!その直後、試合終了のホイッスルが鳴った。スタジアムの観客が大量にピッチに流れ込み、むちゃくちゃな状態となった。この瞬間をだれよりも喜んだのはオアシスのギャラガー兄弟だっただろう。マンチェスター・シティは同じ町にユナイテッドという強力なライバルの活躍を横目に一時は3部まで落ち込むほどのアップダウンを繰り返すチームだった。しかし、ユナイテッド以上にサポーターのチームといわれたシティは3部に落ちても観客動員が落ちることなく強力なサポーター達が支え続けた。ストーン・ローゼズやニュー・オーダーはユナイテッドのサポーターだが、オアシスのギャラガー兄弟は子供時代から熱狂的なシティ・サポーターだったことは有名だ。

いまでもシティのホーム・スタジアムでは試合終了後にオアシスの曲がよくかかっている。僕はプレミア・リーグを見てオアシスの曲について考えたことがある。ある時、彼らの代表曲「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」は勝利を歌った曲ではなく、負けた試合にこそ似つかわしい曲だということに気がついた。子供の頃からシティのサポーターだったということは、人生において勝てなかった試合の方が多かったはずだ。だからノエルはどうにもならない負けやドローの時に次こそは、明日こそは輝かしい勝利を信じようという気持ちをこめてこの曲を作ったのではないだろうか、つまり負けた日に明日を信じる気持ちを歌うために。そう思うと、この曲ほど日々を悪戦苦闘しながら生きる僕らにふさわしい曲はないのではないだろうか。

いまやマンチェスター・シティは世界トップ・クラスのクラブとなったけれど、それを支えているのはクラブとともに生きてきた人々なのだ。おなじように今年のリバプールの優勝については聞いてほしい話がたくさんある、もちろん音楽とフットボールについて語りたいエピソードがいくつもある、ほんとんど僕の妄想といっていいようなものもあるけれど、これからも機会をみてフットボールについては書いてみようと思う。

さて、キリキリヴィラは2014年、アマチュア・リーグからスタート、まだまだトップ・リーグは遠いけれどいつかサポーターが驚くような奇跡を起こしてみたいと思っている、このチームから世界の舞台で戦う選手が生まれることを信じて。なぜなら未来になにが起こるかは誰にもわからないのだから。

与田太郎

PS.
トップの画像はリバプールの30年ぶりの優勝を記念してオフィシャル・ショップで販売されているミッシュマッシュ(ごちゃまぜ)イラスト・ポスター、作者はイラストレーターのアレックス・ベネット。8月中の配送で現在予約受付中です。いつかキリキリヴィラが優勝したら内巻敦子さんにポスターを書いてもらおう。

https://store.thisisanfield.com/products/liverpool-mishmash-poster

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