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11.コミュニケーションに言葉はいらない?

名画座支配人の大澤です。

先日、コミュニケーションについて私なりに思っていることをドリルにしましたが、今日はある映画を観て思ったコミュニケーションについての話をしたいと思います。

その映画のタイトルは「不思議惑星キン・ザ・ザ」です。何とも変わったタイトルですが、ゲオルギー・ダネリヤ監督による1986年の旧ソビエト映画です。地球にいる異星人によって惑星プリュクに瞬間移動させられてしまった建築家のおじさんとバイオリンを持った若い学生の話です。惑星プリュクにも二人組がいて四人を中心にストーリーが展開していきますが、この映画の最大の特徴は主人公たちの会話が「クゥー」という意味不明な言葉(音?)で交わされることです。劇中ではロシア語も話されますが、私が観たバージョンは字幕ナシ!従って映画の中で話されているのは「クゥー」と「ロシア語」だけですから最初のうちは戸惑いました。しかし段々と観ていくうちに大まかな話の筋が理解できるようになっていきました。これは不思議な感覚でした。ユーモラスなジェスチャーと共に発せられる「クゥー」と意味不明の「ロシア語」だけで主人公たちの気持ちや伝えたいことが何となく理解できるのです。

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映画自体はデストピアものですが、コメディー要素も満載で本当に楽しめる映画です。久しぶりにインターバル(中休み)が入る長編でしたが飽きることなく鑑賞することができました。メラビアンの法則にコミュニケーションにおける言語情報は全体の1割とあります。このことを実感できる映画ですので是非皆さんも観てみてください。

話は変わりますが、最近読んでいる本「妻を帽子と間違えた男:オリバーサックス著」の中に失語症の人たちの話があります。言葉を失った人たちが大統領の演説を聞いて大統領が本気で話しているのか、心に刺さる演説をしているのかが健常者よりも正確に捉えることが出来るという事例です。言葉を失うことで聴覚や視覚が代替の役目を果たして、話す内容よりも相手の真意を読み取れるということでした。この事例からもコミュニケーションにおける言語の役割は思った以上に低いのかもしれません。

言語は思考を構造化させるために必要なものです。しかし、使い方によっては言葉は人を騙します。コロナにより人同士のリアルな接触機会が制限されてzoomなどのコミュニケーションツールが今まで以上に活用されていますので言葉以上に表情や動作が重要な要素になってくるかもしれません。字幕のない映画でさえ、その内容が凡そ理解できたのですから、これからは身体全身もカメラに映して身振り手振りをいれたリモートコミュニケーションをしたいなと思います。

「クゥー」

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