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『竜とそばかすの姫』 雑感想




公開日の昨日観ました。

ネタバレ注意です。



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基本的にはめちゃくちゃ面白くない、細田守史上最低の駄作だと思います。

最近の細田監督の長編映画──『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』『未来のミライ』──これらがネットで否定的に評されるとき、それは脚本・設定についての非難がほとんどを占めています。「話の内容」が酷すぎる、擁護できない、と。設定の荒・不整合、血族主義、家父長制、大人の振る舞いが倫理にもとる、提示する価値観が時代についていけてない、奥寺佐渡子、どうのこうの。

わたしは『サマーウォーズ』が子供の頃から大好きですし、『おおかみこども』は人生ベスト映画だと思っていますが、こうした批判はまぁわかります。それでもわたしが細田作品を好きなのは、その1シーン、1カットだけで全てを持っていってしまうような圧倒的な演出力であり、そこに分かちがたく流れる音楽──高木正勝さんの音楽──の美しさに魅せられてしまうからです。わたしは『おおかみこども』を、人間社会と学校空間の残酷さを徹底的に描いた作品として鑑賞しており、作り手の意図とは完全に真反対でしょうが、ほとんど反出生映画として最高の出来だと思っています。社会のなかで産み落とされ生きていくことは本当にグロテスクで理不尽なことだけれど、それでもあの暴風雨の教室のシーンのように、それだけで作品──人生──のすべてを肯定してしまえるような、暴力的に美しい一瞬のきらめきが宿っている。このように解釈すること自体の暴力性も含めて、わたしは『おおかみこども』が大好きです。

過去作の話はおいといて、『竜とそばかすの姫』の感想に戻ります。

脚本や設定、話の整合性などに関してはこれまでの細田作品も酷い有様でした。それは本作もまっっっったく変わることがなく、おそらくこれからネット上にそうした指摘が溢れかえるでしょう。

この記事で書かれていることはだいたいその通りだと思います。

ですが、わたしはそもそも細田作品に「話の内容」を期待して観に行ってはいません。前作『未来のミライ』が象徴的ですが、あれはほとんどカルヴィーノ『見えない都市』のようなことを大衆向け夏休み映画として売り出していて正気か!?と思いました。話の筋なんて無く、幼いくんちゃんの想像力=細田守の創造力のままにいろんな世界へ飛び回り、圧倒的な演出力で殴られ続ける作品。これだから細田守は天才なんだ。そう思いました。

ここまで言えばもうおわかりでしょうが、わたしが細田作品を好きな理由である「神がかった演出力」が、今作ではほとんど感じられなかった。史上最低の駄作だと感じたのはこのためです。ストーリーなんてどうでもいい。でも、細田守の天才性が存分に発揮されるフィールドでさえ才能が枯渇してしまったのか…………と、上映中にほんとうに涙がこぼれました。つまらなくて泣いた映画は初めてです。

演出演出って具体的に何やねん!と思われるので具体的に述べます。まぁ「すべてがわるい」と言いたくなるのですが、特にカットを繋いでいく編集?って言えばいいのでしょうか、カットを連続して並べていく際のテンポがめちゃくちゃ悪い。ここがいちばん気になりました。細田演出の特徴のひとつとして、『おジャ魔女どれみ どっか〜ん! 第40話 どれみと魔女をやめた魔女』(満場一致の最高傑作でしょう)のどれみの下校のシーンにもある、引き固定カメラのカットを細かく配置する手法が挙げられます。これに似たことを本作でもさんざんやっていたように思えますが、そこで引き込まれずに、間の悪さに絶句してしまいました。とりあえずカットを切り替えて色んな場面・色んな人物を移しておけば良いとだけ思っているような。細田守に憧れた素人(わたしのような)がやりそうなカットがずーっと続いていてびっくりしました。

それから、OZのパチモン「U」の演出も全面的にひどかった。サマウォでもあった、多数のユーザーの発言(チャット)がフキダシとなって画面に溢れかえる場面はたくさんありましたが、そこで各フキダシの発言内容をセリフとして読み上げる音響演出も酷い。無機質なインターネットを表現した意図的な演出なのかもしれませんが、のっぺりしたセリフがかなりの時間続いて、耳にも苦痛でした。

Uのデザイン面も個人的にはがっかりでした。幼い頃OZにあんなに感動したのに……と泣けてきました。この変化は、そのまま、当時人類がインターネットへと抱いていた無根拠な希望がこの10年で絶望へと塗り替わった社会的な変化そのものを象徴しているとも言えるのかもしれませんが、とにかく自分の範囲に主語を制限したとしても、ひどくがっかりしました。Uは海外の建築家にネット経由でコンタクトをとってデザインしてもらったらしく(パンフレット参照)、曲線的なOZにたいして直線的なUという対比を意識したそうですが、そもそもUの空間設計がほとんど作中で伝わってこなかった。空中でふわふわした状態でベルが歌う際に大衆アカウントがそれを囲っている構図くらいしか印象にのこっていない。OZにあった、生活インフラ窓口やショッピング、スポーツなどの娯楽施設などといったサービスもほとんど登場せず、具体的にUがあの世界でどんな形で使われているのかが不明瞭のまま終わってしまった。TikTokのような視聴数稼ぎってことでいいんでしょうか。

本作は「美女と野獣」などのディズニー作品を明確に意識した作りになっており、これはわたしの好みの問題ですが、ぜんぜん面白くなかった。Uのシーンを全部現実の高知のシーンに差し替えてほしい。3DCG感を強調したグラフィックも苦手。竜とベルが歌い、想いを寄せ合うシーンなどもまったく響かなかった。わたしは根本的にディズニー的なミュージカル作品が合わないのだなぁと感じました。(美女と野獣みたことないけど)

あと、ベルが歌で一躍有名になるという、そのアイドル・タレント的な要素も苦手でした。サマウォでもOZを通して全世界の人間が協力する元気玉展開がありましたが、あれはあくまでラブマシーンの脅威に立ち向かう構図であって、ひとりの人間の「才能」に大衆が魅せられる構図ではなかった。たしかに現実のインターネットでは──本作で声優として起用された幾田りらさんのように、無名から有名へと短期間で駆け上がるインターネットドリームは珍しくなくなりましたが、ひとりの人間を大衆が持ち上げるシステム・現象がじぶんには本当に合わない。その合わない面を今作はかなり前面に押し出していたので、あちゃ〜〜という感じでした。

本作の終盤にはベルではなく鈴が生身の身体をU上に晒して歌う、というクライマックスのシーンがあり、「最高に魅力的なベルの外見を捨てて、素朴で地味なそばかすの女子高生のままで大衆を魅了できるのか」が話のポイントとなりました。しかし、これはわたしが日本の2次元美少女アニメオタクであるがゆえの"誤った"見方ではありますが、わたしからすれば、ディズニー的なCGの豪華絢爛な美女・ベルの外見よりも、「素朴で地味なそばかすの女子高生」のほうがハナから断然魅力的です。これは多くのアニオタが同じ感想を抱くと思います。われわれのフィールドでは、「素朴で地味なそばかすの女子高生」という自然体こそが最強であり、それを「晒して」大衆の支持を勝ち取るというのは、ごく当たり前の自然の摂理であって、なにも感動することではない。別にアニオタに限らず、もっと陽キャ寄りの文化圏でも、TikTokやYouTubeなどで「女子高生」はそれだけで視聴数や「いいね」、資本の流れを生み出す契機となる属性です。だからこそ様々な社会的・倫理的問題があるわけですが、そうした現状に対して「女子高生の素顔を晒す」ことがそれだけでハンデを乗り越えるかのように描かれるのはあまりにもナイーヴ過ぎる。(……とはいえ、はじめに言ったように、細田作品に話の内容の整合性やらを求めても仕方がないので、これは無用な指摘です)

ただ、鈴が素顔のまま制服で歌うシーンの画面作りは流石に圧巻というか、めちゃくちゃ一撃必殺を狙ってきてるなぁと感じました。無数の観客が星々のようにきらめく宇宙のような漆黒の空間に浮かび、こちらに背を向けて歌う女子高生──あまりにも「あまりにも」すぎる。ここの画の強さには悔しいですが(肯定的な意味で)涙を流してしまいました。(ほんのすこし、ね。)

他に良かったシーンは、ルカちゃんとカミシンの駅での告白シーンです。あそこも、ザ・細田節という引き固定カメラでウザいくらいに間をとった長尺のカットであり、その露骨さ・過剰さに全然ノレないひともたくさんいると思いますが、わたしは好きでした。ラブコメ最高!シスヘテロ恋愛最高!マジョリティの暴力最高!!! この映画で大好きだと言えるのはそのシーンくらいです。鈴としのぶくんの関係もまぁまぁ良かった。安易に竜をしのぶくんにせず、彼はただ引いて鈴を支える立場に徹していたのが良かったですね。ルカ-カミシンのシーン後の鈴たちの道路越しのシーンも良かった。

あとは……あ、事前情報をなるべく仕入れずに観たのですが、スタッフロールまで、主演が中村佳穂さんだとまったく気付かずめちゃくちゃびっくりしました。言われてみれば確かにあのクソ上手い歌は中村佳穂さんですが、演技も(荒はあれど)難しい役をけっこう上手くこなしていて凄かったです。ですが、わたしは本作でのベル/鈴の歌よりも、中村佳穂さん自身の歌・曲のほうが好きです。最近ちょうどよく最新シングル「アイミル」を聴いていたのでタイムリーでした。

そういえば、おおかみこどもから3作連続で起用されていた高木正勝さんが本作では降板していて残念でした。ただ、わたしのなかで高木正勝さんの音楽と中村佳穂さんの音楽はそのナチュラル志向の観点からかなり近い存在だと思っているので、中村佳穂さんが出演した時点で実質的に高木正勝さんが関わっているようなものとは言えるかもしれません。(そうか?)

あと、例の「ー平定ー」のくだりとか、変なアニメ調2人組子供向け配信YouTuberとか、これどう観たらいいの?と困惑してしまうようなノリ・演出が散りばめられていて、それが現代インターネットの多様性・猥雑さを表現しているのかもしれませんが、とにかく意味不明でした。滑っている、と一息に切り捨てていいのか、それともわたしの感受性が乏しいだけなのかわからなくてもどかしい。あと〈As〉のアバターのキャラデザも全体的にチグハグというかしょぼいというか色々と残念でした。老害だとしてもOZのアバターたちのほうがずっと好き。


まとめると、「基本的には、脚本面だけでなく細田守の強みである演出面でも酷い出来で史上最低の駄作だと思うが、良いシーンも少しはあったし、手放しで酷評していいのかよくわからない」というのが初見での正直な感想です。「手放しで酷評していいのかよくわからない」ってまるで「グラスリップ」を観たときのような感想を抱かされるとは思ってもいませんでした。

グラスリップガチ勢のように、本作も50回観れば細田守至上最高傑作だと思えるようになる……のかもしれない。

美女と野獣のようなミュージカル映画、あるいはアイドル作品が好きなひとは楽しめるのかもしれないですね。


【追記1】

忘れてました。本作で数少ない良かったところ。鈴が飼っている犬の片脚が欠損しているのを特に説明せずにサラッと描ききったところ。あの犬ほんと良かった。犬映画でした。「犬とそばかすの女子高生」なら傑作だった。


【追記2】

これやべ〜〜〜おもしれ〜〜

こういう批評が書けるようになりたいですね。

やっぱりエンタメ作品としてはアレだけど、作中のモチーフ・演出を丁寧に読み解いていくことで傑作に変貌するグラスリップ系っぽい。


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