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数学ガールオタクがりりむ&グウェルの積分配信にめちゃくちゃ感動したメモ2



これの続きです!!!!!

が、べつに論理的に順序立てた文章ではないので、このnoteから読んでもらってまっっったく問題ありません!!!

ご新規さんに軽く説明すると、この文章は「不登校だったVTuberりりむさんが家庭教師歴のあるVTuberグウェルさんに積分を教わるまで終われません」耐久配信の感想を、めちゃくちゃ細かく書いていくものです。


私は「数学ガール」というラノベ風数学読み物シリーズの大ファンで、この配信は「数学ガール」の作品内で行われている "学ぶための対話" が現実化したものじゃん!!!と感銘を受けたため、数学ガールを引き合いに出しつつ、配信で感動したところを語っていきます。

そのため、このnoteを読んでくださった皆さんに積分配信を観てもらいたいのはもちろんのこと、数学ガールにもぜひ手を出してもらいたいです。この配信を観てなにか感じられるのであれば、ぜっっっっったいに数学ガールを読むべきです。


【注意点】
・私は数学科出身でもなければ教師・家庭教師歴もまったくない素人です。

・基本的にはりりむさんとグウェルさんが如何に素晴らしいかを語っていますが、「ここはこのように教えたほうが良かったのに」という指摘も含まれます。ただし、これは教え手のグウェルさんを非難したり、俺のほうが上手く教えられるとマウントをとる意図は一切ありません。何卒ご了解ください。

・そもそも「メモ書き」なので、他人が読みやすいような配慮は一切しておりません。

・該当部分の配信での時間(○時間○分○秒あたりの発言)を大まかに示している箇所もありますが、そうでない部分も多いです。すみません。


前回中断した2:16:00あたりからです。

いよいよ二次関数の微分に入ろう!ってところからですね。






2:16:47 単語を書くこと

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これからいっきに(二次関数の)微分の話に入りましょう!となってるときに、ホワイトボードの隅っこに「微分」って字を書くのいいな。(書けてないけど)

数学の学習における単語・漢字・言葉って、思っているよりもめちゃくちゃ重要だと思う。
ここまででもたしか約分を習ったときに「"やくぶん"ってどういう字で書くの?」とりりむさんは用語の漢字を気にしていた。

これは、数学ガールのテトラちゃんの「言葉」に対する感受性を思い出す。
テトラちゃんは英語が得意で「それ英語ではなんて言いますか?」としばしば気にする。そして、英語での数学用語の言い方を知ることで、その概念のイメージ・理解がぐっと進む場面が多々ある。

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結城浩『数学ガールの秘密ノート/行列が描くもの』p.210


ここでは英語じゃなくて日本語だけど、そもそも対話なので基本的に口頭で説明していることが重要だ。口頭ということは「やくぶん」とか「びぶん」とかいった聴覚的な情報しか入ってこない。それをどう漢字で表すかは分からない。
グウェルさんの板書スタイルは、必要最低限な数式やグラフなどだけを書くミニマムなもので、たとえば

一次関数の傾きはどの2点を選んでも同じになるが、二次関数の傾きは選ぶ2点によって変わる

のように、内容を日本語の文章として板書することはない。
(自分だったら多分書くし、数学ガールでもくどいくらいに「それまで学んだこと」を言葉にして整理する。なぜならそれが学びにとって大事だから)

「字が汚くてごめんなさい。理系のひとは字が汚いひとが多いんですよ」と冗談交じりに言っていたが、こうした意識も「文章をあまり書かない」ことと無関係ではないかも知れない。(この主張自体はまぁそれほど間違っていないと思う。逆にめちゃくちゃ数学ができてめちゃくちゃ字が綺麗なひともいるけど……)

※グウェルさんが文をあまり板書しないのは、そもそも使っているホワイトボードの面積が小さかったり、文字が書きにくい等のツール面の理由も大きい気がする。
この「ツール」の観点は教育・学びのための対話を考えるうえでめちゃくちゃ重要だと思う。その教師の教え方の特徴を、そのひと自身の内在的な性質に帰着するのか、それともそのひとの使っている道具や教えている環境といった外在的なものごとによって決まるものと捉えるのか。(もちろん、教える相手の影響もとても大きいだろう)

閑話休題。
あまり板書で日本語を書かないグウェルさんに対して、りりむさんは「その用語をどう漢字で書くか」をかなり気にする、という構図がここに見られる。
これは初学者と教育者の知識の差が、学びにおけるスタンスの差に明瞭に現れている良い例ではないか。

もう「約分」とか「微分」とかを知っていて当たり前に使いこなしているひとからすれば、別に「微分」をどう漢字で書くかなんて本質的に重要じゃないと思っているだろうし、微分の字をど忘れしてしまっても、「微分」の概念さえちゃんとわかっているほうが数学にとっては大事だと思うだろう。(私は少なくとも思っている)

でも、初めてその概念を学ぶひとからすれば、それは全然ちがうのだ。りりむさんはまったく異なる風景を目にしている。
口頭で「やくぶん」とか「びぶん」とか聞かされたときに、まだ何も知らないそれらがどんな漢字で目に見える形で現れるのか、という情報は、藁にもすがる思いで知りたいだろう。
「微分」という漢字を自分で書けるか書けないか、その些細な違いが、微分を初めて学ぶ生徒からすればどれだけ大きな違いであることか。

だからりりむさんは、いよいよ微分を教わるぞ!ってときに、ホワイトボードの隅っこに自らの手で「微分」と書いたんじゃないだろうか。
その「微分」の文字はたしかに正しく書けていなかったかもしれないが、それを書こうとしたことにこそ意味はある。

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2:20:40 “Δ”の登場に「かっこいい〜!」

微分の説明でいよいよ微小量Δxを導入したときにりりむさんがした反応が

「おぉ〜かっこいい〜!」

これ、ほんとうに素晴らしい。
たぶんΔを「デルタ」と読むことさえ知らなくて、ここで初めてこの三角形をデルタと発音することも知ったのだろうと思うんだけど、
Δx初見の反応が「難しそう」じゃなくて「かっこいい」なの、これはもう”素質"としか言いようがないんじゃないか。

だって「数学で新しい用語や文字が出てきたときには、難しそうと身構えるんじゃなくて『なんかかっこいい!すごそう!』と思いましょう」なんて指導はできないから。そんなの個人の感受性の問題だもん。

数学ガールではテトラちゃんがよく「文字の導入」に対して身構えてしまう、文字や記号への苦手意識について吐露しているが(ここを素直に言語化できるのがテトラちゃんの良いところ)、まったく身構えずにむしろそのかっこよさに興奮して学びへのモチベーションを上げるひとがいるなんて想像もしてなかった。やべえな。

こうしたりりむさんの姿勢はテトラちゃんよりユーリに似ているかもしれない。
ユーリは「僕」の説明に対して「言ってることはわかったけど、それの何が面白いの?そんなの当たり前すぎてつまんない」と文句を言うことがある。この「つまんない」という文句は数学を「面白いもの」と思っていないと出てこない文句なので本当に素晴らしい。(以前noteで書いた

ユーリは数学にたいして「期待」をしていて、まだそれほど難しくない内容だと「期待外れ」で「つまんない」と文句を言う。つまり、ユーリは「難しいこと」を「面白いこと」に変換する回路を持っていることがわかる。

そして、ここでΔxを人生で初めて見たりりむさんが「かっこいい〜!」と言ったことにも、「難しそうなこと」を「面白そうなこと」へと変換する、ユーリと同種の回路を見出してしまった。

もちろん、この段階でりりむさんが「面白そう」と思っていたかはわからない。ただ、難解そうな文字に対する漠然とした憧れから言っている可能性のほうが高い。それでも「難しそうなことへの憧れ」はやはり素晴らしい、肯定されるべきものだ。


Δxは、かっこいい。




2:25:35 「わからない」とメタ認知

Δxを0に限りなく近づけるという極限の説明にピンと来ていないりりむさんに対しグウェルさんはすかざす「大丈夫ですよ。このへんはすごく難しいところなんで、ガンガン質問してください」と言う。「どんどん質問してください」と言えるのは、ここまででりりむさんが「わからなかったら素直に質問できる」生徒であると信頼しているからこその言葉ですごくいい。
だが、驚いたのはそのあとのりりむさんの返答。

「質問が……その……いまほんとにわかんない状態だから、いろいろと……。もっとね、いっぱい問題を出してほしい」

これは
「自分がいまわかっていない状態である」
かつ
「なにがわからないのか、という適切な質問が出来る状態ですらない」
ことを認識した上で
「もっと追加の説明(例や問題など)があれば、少なくとも質問ができる状態になると思う」
という思考のもとに出た返答だ。(似た返答をこれ以前にもしていた気がする)
これは何重にも自身をメタ認知できている証拠となる、お手本のような発言だと思う。

まず「わからない」と言えることがどれだけ学ぶための対話にとって素晴らしく、先生にとってもありがたいことか、ということは散々書いた。
それにプラスして「何がわからないのかがわからないから質問もできない」と伝えてくれること、これは更に輪をかけてありがたい。
りりむさんがすごいのはそこでも終わらずに「じゃあ先生がどうしてくれれば私はこの『何がわからないのかがわからない』状態から抜け出せるのか」について、自分なりに対処法を提案している点だ。

メタ認知といえば、『学ぶための対話』で登場した、どうしても「わからないこと」をうまく言語化できないノナちゃんへの暫定的な解決策として《生徒ノナちゃん》と《先生ノナちゃん》という概念がある。

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結城浩『数学ガールの秘密ノート/学ぶための対話』pp.190-191

これだけだと「なんだこの回りくどいやり方。そんなのでホントに意味あるの?」と思うかもしれない。しかしこの方法は、ノナちゃんにメタ認知──自分の思っていることについて考えて、それを言語化すること──をさせる練習として非常に効果的である。

何を持って「頭がいい」とするのか、それは1つの指標で決まるものでは当然ないが、数多ある「頭の良さ」の指標のひとつとして「メタ認知する能力」が挙げられると思う。

本当に頭のいい人とは、「わからない」ことが1つもないひとではない。自分のなかの「わからない」を適切に発見して、分析して、どうやったら「わかる」ようになるのか考えてひとつひとつ対処できるひとだ。

「質問が……その……いまほんとにわかんない状態だから、いろいろと……。もっとね、いっぱい問題を出してほしい」

そして、この発言でりりむさんはまさにその「わからない」の発見・分析・対処という3ステップを完璧に実行している。


3:05:00 「ストップ!」

グウェルさんが説明している最中に「え」と漏らすりりむさん。すかさずグウェルさんは「はい、大丈夫ですか?」とりりむさんの次の言葉を聞くモードに入る。そしてりりむさん

「ストップ!……えっ……いや…………これが……Δy……Δy, Δx……で……あぁ〜〜〜……x……Δ……いいよ」

これが素晴らしい。何が素晴らしいかって、ちゃんと自分の頭で考えているということがありありと分かる発言であることもそうなんだけど、それ以上に見切り発車で『ストップ!』と言ってることが良い。

自分の中で質問としてまとまっていなくても、少しでも何か引っかかったなら先生の話を止めるべきだ。止めてから考えても良い。そして、考えた結果、自己解決したとしても何の問題もない。それが推奨されるべきだ。

これは普通の学校の授業ではむしろ敬遠されることではないだろうか。
「少しでも何か引っかかりがあったらまとまっていなくても先生の話を止めて良い」ことにしたら、生徒が30人とか40人いるとすれば、ひっきりなしにストップがかかって授業はちっとも進まないだろう。

だから、そんなことは禁止されていないのにも関わらず「少しでも何か引っかかりがあったらまとまっていなくても先生の話を止める」ことをする生徒は滅多にいない。(いたとすれば、その生徒は誰よりも優秀である)

学校では「自分ひとりのために授業を止めて、他の生徒に申し訳ない」という意識がどうしてもはたらいてしまう。だから「ストップ!」と声を上げるだけでも困難なのに、声を上げた挙げ句に「やっぱり何でもありませんでした。続けてください」なんて口が裂けても言えない。でも、本当は、むしろ見切り発車で先生の話を止める「ストップ!」こそが、学びのためには大事なんだ。

質問なんて、先生の話をとめたあとで整理すればいい。整理した挙げ句、「やっぱ何でもない」だったらそれで何の問題もない。

1対1と1対多で、こんなにも違うとは……。そもそも1対多では学ぶための”対話”は無理なのかなぁ。そうは思いたくないなぁ。たとえ1対1のようにはいかなくても、よりよい学ぶための対話を目指す努力を諦めたくないなあ。(誰目線で言ってるんだ私は。教育関係者でも塾講師バイトでもないのに)



3:05:25 わざと冗長に数式を書く

「ストップ!」のすぐあと、Δyを引き算を使ったxの式で表す前に、Δxを引き算の形で表しておいたほうがいいと気付いたグウェルさん。
この方針の転換はとても良い。たしか『数学ガールの秘密ノート/式とグラフ』で似たくだりがあった気がする。(探したけど見つからなかった。別の巻かも)

傾きの定義式(ソース)の分母にくるxの増加量はたしかにΔxでいいんだけど、分子にくるyの増加量との形式的な共通点を見てわかりやくするために「(x+Δx)-x」という形でわざと冗長に書いておいたほうがよい

この恣意的な冗長性ってのは数学を教える上でめちゃくちゃ重要だと思う。何でもかんでも計算して簡潔にすればいいってもんじゃない。(そう思う人は、まだ「数学とは問題を解く学問である」という"呪い"にかかっている)

数式とは何かを表現するための手段である。ここでは「傾き」を定義から「xの増加量あたりのyの増加量」という割合の形で表現するために数式を書こうとしている。そして、微分を導入するためには、この「増加量の割合」というポイントを見失わないまま、2点を限りなく近づける極限の操作をする必要がある。したがって、割合の数式で分母と分子のパッと見の形を似たように揃えておくことはとても重要だ。



3:07:15 完璧な教師、完璧な学び

続きも凄い。「(x+Δx)-x」の形になんと自力でたどり着いたりりむさん。(思わず拍手しちゃった)そこから、グウェルさんは「これを計算するとどうなります?」と言うんだけど、すぐに「これまだ教えてないかも知れない」と気付く。そして数式のなかの括弧の取り扱い方、それに変数xの足し算・引き算について見事な手順で丁寧に教える。

ここの、りりむさんの知識に即座に思い至って、教える必要のある項目の説明の流れを即興で作り上げて教え切る光景にほんとうに感心した。グウェルさんは本当にすごい。前のnoteがはてなブックマークでバズって様々なコメントを頂いた(ありがとうございます)けど、中には「ちょっと動画見たけどこのグウェルってひと、数学のことを全然わかってない。生徒側が優秀だからうまくやれているだけ」的なコメントがあって心底びっくりした。

もちろんグウェルさんは教師として完璧ではない。それは、この地球上にいる全ての人間と同じだ。誰も完璧な教師ではない。そして、グウェルさんの詳しい経歴は知らないけど、たしかに専門的な数学をある程度までちゃんと深く理解しているかといったら、そうではない可能性は十分にある。ただ、少なくともこの配信のレベル──中学・高校数学を初心者に教えるレベル──においては、グウェルさんより上手く教えられるひとは(0人ではないが)きわめて少数だと思う。グウェルさんレベルで「下手」なのだったら、どれだけ高いレベルの教師を想定してるんだってことになる。

教育は完璧じゃなくていい。それは生徒側が完璧じゃなくてよくて、わからないことがあればどんどん質問するべきなのと同じだ。先生側だって完璧じゃない。わからないことがたくさんあるなかで、それでも何とかして目の前にいる相手と一緒に学ぶための対話を作り上げていく、授業とはあるイミ場当たり的な行為だ。そこにはいろんな妥協があるし、失敗がある。僕も3時間観てきて「こう教えればよかったのに」と思うところは(書いてない部分でも)たくさんある。でも、それはグウェルさん本人だってきっと同じだろう。自分の配信を見返して「もっと上手く説明できたはずなのに」という後悔は尽きないだろう。でも、学ぶための対話って原理的に、そうした後悔や妥協で溢れているものだと思う。後から見返したら後悔することが山ほどあるからこそ、完璧じゃないからこそ、それでも目の前の相手に全力で向き合って対話を作り上げていく。だから尊いんだ。だから学びは面白く、素晴らしいものなんだ。そう思う。

別にグウェルさんを非難したひとを叩く気はないが(その人を叩くことで溜飲を下げていたら、私も同じ穴の狢になってしまうから)、私はグウェルさんを教え手としてほんとうに素晴らしいと思う。


なんかまた熱くなっちゃった。油断するとすーぐスイッチ入っちゃうのが私の悪い(良い?)癖だ。配信の内容に戻ろう。

慣れているひとからすれば

(x+Δx)-x という式は、括弧の扱い方と変数の四則演算を習っていなければ計算できない

という事実にまずなかなか気付けない、理解できないと思う。え、そんなの説明するまでもなく計算できるじゃん!と思っちゃう。

でも、たしかにめちゃくちゃ丁寧に厳密に考えれば、「(x+Δx)-x = x+Δx -x」は自明ではないし、「x+Δx-x=Δx」もまったく自明ではない。

これらの式をイコールで繋いで同値変形するためには、「括弧とはなにか」「変数の引き算はどうするか」という”知識”、言い換えれば”仮定”が必要である。

こうした、式変形のひとつひとつに根拠を求める姿勢は数学の厳密性を担保する上で非常に重要だ。数学は定義や公理といった”仮定”の上に推論によって定理を積み上げていく学問なのだから、当たり前なこと・初歩的なことほど大事なのだ。

だから、数学初心者のりりむさんが基礎的なところについて真に迫った素晴らしい質問を連発しているのも、りりむさんが天才である前に、数学という学問の性質上、自然なことである。(もちろんこの主張は「りりむさんは天才ではない」という主張に同値変形することはできない)


x-x=0とか、あまりにも当たり前っぽいことを真剣に学んでいるりりむさん、真剣に教えているグウェルさんはほんとうに素晴らしい。

で、これを観ていて思ったことがある。

普通の小中学校で算数・数学を習うひとは、「2x」を「xが2つあること。xの2倍」と理解したり、「x+x」を「xとxを足したもの。xの2倍」のように、その意味をイメージして覚えるのが普通だと思う。だから「x+x=2x」という等式を当たり前に理解することが出来る。
(というより、普通足し算を先に学んで、それを用いてかけ算を理解するから、ある意味、x+xは2xの”定義”みたいな位置づけなんだろうか)

しかしこの配信ではまったく違った様相を呈している。
どうやらりりむさんは、2x、つまり2かけるxを、「xの2倍」と理解していないような気がするのだ。いや、もちろん、xに1とか2とか具体的な数を代入して適切な計算ができているので、まったく理解していないわけではないのだが、どうやら感覚として、普通の学校教育でxを学んだ場合とは違った色合い、あるいは違った角度でxの世界を眺めているのではないか、という気がする。

それはどんな世界かと言えば、私が思う限りでは、むしろ大学以上の数学における理解に近い気がする。

大学数学では、高校までとは異なり、公理的に数学を構成する。これが数学の真の姿であって、高校までの数学はそれをうまいこと誤魔化して改変しているパチモンに過ぎない。(だからといって高校数学を学ぶ意味が皆無であるということにはならない)

公理的な数学では、「x-x=0」という式を「なぜそうなるのか?」と意味を問える次元に置かず、公理として置いてしまう。形式的に「x-x=0」であるということにして、その上で何が成り立つのかを考える。
(あくまでx-x=0はこの場合に対応した具体例なので、x-x=0が本当に公理なのか、という点は自信がない。たぶん間違ってると思うけど、言いたいポイントはそこじゃないから許して)

つまりりりむさんは、中学高校の数学教育を十分に受けていないために、xが出てくる式の意味を考える過程をすっ飛ばしていて、結果的に、形式的にx+x=2xとかx-x=0といった数式を理解する、大学数学(ほんとうの数学)っぽい捉え方になっているのではないか、という仮説である。
あくまで私の仮説・妄想なので本当のところは知らん。

でも、「意味を考えず形式的(機械的)に式を了解するのがほんとうの数学」というのは、なんだか「暗記せずにちゃんと意味を考えながら式を理解しなさい」という私がいっつも言っていることと矛盾するようにも思える。

この矛盾(っぽいこと)がめちゃくちゃ大事で、数学を学ぶ・理解する、ということをどのレベルで捉えるかによって、表面的な言い回しが変わるのだと思う。

数学というのは、突き詰めれば、おおもとは何の意味もイメージももたない単なる記号の羅列である公理からスタートしている。しかし、そこから推論規則(これもまた意味のない空っぽのルールだ)に従って定理を証明していくことで、だんだんと豊かな「意味のある」数学的な内容が立ち現れてくる。ただし、その意味はあくまでもあと付けに過ぎない

小中高の算数や数学では、こうした数学の形式性には目をつむって、「意味」が先にあるかのように教える。教科書にはりんごがたくさん並ぶ絵が描かれていて、そうした「りんご」という実在するもの(意味)が先にあって「10個」のような数字が導入される。「5+3=8」といった四則演算も、「だって5個のりんごと3個のりんごを一緒にしたら8個のりんごになるでしょ?」という”意味”を説明することで納得させる。

本当は順序は逆である。意味は形式に先立たない。でも、そんなこと小学生には理解できないから、仕方なく誤魔化す。中学も高校も同じだ。大学に入って初めて、数学のほんとうの姿を知ることになる。(だから、高校までの数学が”得意”でも、大学に入って一気に落ちこぼれる例はよくある)


※私は数学の専門教育を受けていない素人なので真に受けないでください。

こうした公理的・形式的な数学に大学に入る前から触れておく格好の教材として数学ガールはベストだろう。
特に『数学ガール ゲーデルの不完全性定理』の巻では、意味を考えずに形式的に考えることを《知らないふりゲーム》と称して一歩一歩学んでいく様子が描かれている。私はこのゲーデル巻がメインシリーズでいちばん好きだし、読破できていない唯一の巻でもある。(何度挑戦しても最終章で挫折する)

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結城浩『数学ガール ゲーデルの不完全性定理』p.31



3:46:00 xΔx + xΔx は ……?

(x+Δx)を関数y=2x^2のxに代入して、2(x+Δx)^2までたどり着いたグウェルさんとりりむさん。
ここで多項式の2乗の展開をまだ教えていないため、(x+Δx)^2の計算方法をめちゃくちゃ丁寧にグウェルさんが教える。

(x+Δx)^2
=(x+Δx)(x+Δx)
=(x+Δx)x+(x+Δx)Δx
=x^2 + xΔx + xΔx + (Δx)^2

まで遂に計算できた。ここまで3つの同値変形(=)を一歩一歩着実に教えていく過程ですでに感動しっぱなし。

そして、以前やったx+x=2x や x-x=0 の例を思い出させて、 xΔx + xΔx を計算してみましょう、と持ちかけるグウェルさん。黙って考えながら答えを出そうとするりりむさんを固唾を呑んで見守る。ここマジで自分もグウェルさんと一体化して固唾を呑んで見守ってた。グウェルさんが「これりりむさんどう書くかな……ちょっと楽しみ」とこぼしていたが、完全に同じ気持ち。

そしてりりむさんが書いた答えは

xΔx + xΔx = 2x 2Δx

これにグウェルさん(と私)は思わず「なるほどな〜〜、なるほど!」と叫ぶ。
それを聞いたりりむさんが「……違う?」と少し不安げに聞いたのを受けてのグウェルさんの言葉

「えっと……いや、でもなるほどなぁと思いました。これね、自分で考えてるって感じがすごい伝わってくる……」

ここもまったく同じ気持ちだったんだけど、この言葉を口に出して相手に伝えてあげられるこの空間が本当に良すぎて泣いちゃった……(文章を書くために何度もリピートしてるんだけど、そのたびに泣いちゃう。マジで)

前noteで書いたように、まず当然のこととしてグウェルさんは「間違いです」とはゼッタイに言わない。言わないけど、もちろん「正しいです」とも言えないわけで、どう間違いをフォローする言葉をかけるかが重要になってくる。そんななかで出た言葉が「自分で考えてるって感じがすごい伝わってくる……」なの。

これ、実はりりむさんに向けてのフォローの言葉ではない。
相手のためを思ってオブラートに包んだ言葉とかじゃなくて、ただグウェルさんの本心がそのまま出た言葉。だから、ある意味では、ここのグウェルさんはそれまでの教師としてほぼ100点満点の振る舞いから外れていると言える。でも、りりむさんのために作った言葉ではないからこそ、教師としてはやや不適切(?)な言葉だからこそ良い。と、少なくとも私は思う。

「ありがとうございます。ほんと考えてくださってるんだなぁというのがすごく伝わります」

とグウェルさんは続ける。
ここではすぐに感謝を述べる、学びに積極的で嬉しいという思いを伝える、というテクニックを実践してりりむさんをフォローしてるんだけど、
やっぱりこれらも別にグウェルさんはテクニックとしてやっていない。完全に本心で言ってるからこそりりむさんへのフォローになる
なぜ本心だってわかるかって?それはグウェルさんと一体化してるから。

「めちゃくちゃ惜しいです。何も考えなかったらその書き方はしないもん」

ほんとうにそうなんだよなあ……ああ、

xΔx + xΔx = 2x 2Δx

という数式、ほんとうに素晴らしすぎて額縁に入れて飾りたい……(とグウェルさんも思っています。絶対に

この前に 3(x+1) = 3・x + 3・1 = 3x + 1 という例で分配法則を説明したばかりなので、むしろりりむさんは分配法則をちゃんと学んで忠実にそれにしたがって計算したことがわかる。

分配法則とは、かけ算とたし算が混ざっている式を変形するための法則であるが、いま計算したい xΔx + xΔx という式もたしかに「かけ算とたし算が混ざっている式」なのだから。

このあたりの四則演算って慣れればカンタンで何も悩む要素がないんだけど、前述の通り実は本当の数学においてはこうした演算規則こそが公理として「有無を言わさず成り立っているもの」であるため、「そんなの意味を考えれば当たり前じゃん」という感想は大学未満の数学においては正しいが、大学以降の数学では間違いである。意味を考えるのではなく「公理だから」正しいのであって、xΔx + xΔx = 2x 2Δx が成り立つような公理系で数学を構成することだってやろうと思えば出来る。その公理系が普通は採用されていないだけだ。




4:03:00 目的の確認

そこから約17分かけて、遂に

xΔx + xΔx = 2xΔx

という正しい同値変形にたどり着いた!
もう感激もひとしお。「やったあああああ」って叫んじゃった。

ここでようやく (x+Δx)^2 = x^2 + 2xΔx + (Δx)^2 という式が得られた。
で、すごく時間が経っているので「そもそも何のためにこの式を計算していたのか忘れてるんじゃないですか?w」と冗談交じりに言うグウェルさんに対して、笑いつつ「ww ……まって、ちょっと自力で、考えよう」と、すぐに真剣に、今やってることの目的を整理しはじめるりりむさん。

正しく計算することはもちろん大事だが、何のためにその計算をやっているのかを把握しておくことはそれ以上に大事だ。りりむさんのこの姿勢は、計算ができて正しい答えが出せて嬉しい!という目先の達成ではなく、「微分を理解する」という根本の大目標への意欲を明確に持ち続けていることを示しており、めちゃくちゃ感動した。ほんとうに偉い。すごい。





このあたりでやっと全体(8時間)の半分を越えた……




4:10:40 《自分の理解に関心をもつ》

2(x+Δx)^2
= 2x^2 + 4xΔx + (Δx)^2

まで計算して(これを自力でやれたのはマジですごい)
yの増加量の式(傾きの分子)に戻ってきたりりむさんとグウェルさん。

それまで時間をかけて丁寧に計算していたのは (x+Δx) を y=2x^2 のxに代入したものなので、yの増加量を出すためにグウェルさんが

2x^2 + 4xΔx + (Δx)^2 - 2x^2

と2x^2を後ろに書き足す。

それに対して「なんでここにマイナス 2x^2 があるんだっけ」と立ち止まるりりむさんが素晴らしい。複雑な数式のひとつひとつの要素が何を表しているのか、どこから出てきたのかをちゃんと確認・整理しながら進んでいるというのがわかる。

こうして、ことあるごとに立ち止まって現在地を確認するのはすごくテトラちゃんみがある。

数学って結局、ローカルな計算とグローバルな論理展開(そもそもなんでその計算をしてるのか?)を行き来しながら進んでいくもので、このローカルとグローバルの往復をこの時点でほぼ完璧にこなせているりりむさんは素晴らしいとしか言いようがない。
これって、数学ガールでいうところの《自分の理解に関心をもつ》ことをちゃんと実践できているからこそなんだよな。
自分の理解に関心をもっているから、わからないことがあればすぐに先生を止められるし、複雑な式のいち部分が何を表しているかを忘れたままにはしない。

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結城浩『数学ガールの秘密ノート/学ぶための対話』p.167



4:17:10

(yの増加量)/(xの増加量) の式で書き込みがかなり煩雑になってきたので一度消してグウェルさんが書き直そうとしたところ、

「あ待ってりりむ計算してい?」

自ら名乗り出る。学びへの意欲がこんなにある生徒なかなかいないぞ……
これも、自分で式を0から書くことで、いままでのことがちゃんとわかっているのかの確認になり、いい復習にもなるとわかっているからこそ、自分で書きたがったのだろう。根っこにあるのは自分の理解へのあくなき関心である。

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りりむさんが書いた式

あと、自分で式をひとつひとつ書いていくときに「にえっくすにじょうたす……よん……えっくすでるたえっくすたす……」のように逐一発音しながら書いているのがすごく良い。

おそらくりりむさんはまだ人生で「2乗」とか「Δx」と発音したことがほんの数回しかない(なぜなら教わったばかりなので)。英単語の勉強でも発音することが重要なように、数学の用語でも自分で発音して自分の耳で聞き、音としての「Δx」と見た目としての「Δx」を一致させることは大切だ。聴覚情報と視覚情報という異なる面でおなじものごとに触れていくことで、りりむさんのなかでの「Δx」の質感がどんどん増していくのだろう。


細かな段階にわけて教えること

{4xΔx + 2(Δx)^2}/Δx を計算するため、数時間ぶりに約分の話題に戻る。ただし今度はxとかΔxという変数を含んだ(しかも分子が多項式の)約分だ。

ここで、この約分にたどり着くためにグウェルさんがひとつひとつ段階的に教える、そのステップの構成の仕方がマジで完璧

No.0 整数の約分
まず復習として 2/4 = 1/2 という「整数の約分」をやる。ここで、約分とは分母と分子を同じ数(ここでは2)で割るのが根本のルールなんだよ、という確認を怠らない。

No.1 変数の約分(割る数は整数)
次に、(2Δx)/2x という、分母と分子それぞれに異なる文字が入った分数の約分について説明する。
ここでりりむさんは、分母分子を2で割るだけでなく、xでも割ってしまって「Δ」という答えを出してしまったが、これはΔxを導入したときの初歩的な微笑ましい(良い)ミスだ。
Δxとxはあくまで異なる文字であり、ΔxはΔとxに分解はできないひとかたまりなんだよ、ということも説明して、 Δx/x という正しい答えにたどり着く。

No.2 変数の約分(割る数も変数)
次に、(3x)/(2x) という例をグウェルさんは挙げる。これまで、割る数は「2」という整数(定数)だったが、約分のルールは「分母分子に同じ数があれば割って良い」なので、分母分子にxがあれば、変数xで割っても構わない、ということを説明し、3/2 という答えを出す。

ここでりりむさんが

「そうか、(分母と分子にある)xは一緒だもんね。一緒だって最初言ってたもんね、(同じ式のなかに出てくる)xは」

と発言するが、これも4時間越しの伏線回収となって感動する。

たしか前のnoteでここについて言及してなかったのでいま書くが、りりむさんは「y=x^2 + x + 1」のような、ひとつの式のなかに複数のxが出てくる場合に

xにはどんな数を入れてもいいんだけど、それぞれのxに入る数は同じである

ということを時間をかけて理解していた。

ここに引っかかるのがまずめちゃくちゃ素晴らしくて、数学における暗黙の前提として《同じ文字は同じものを表す》というのがあるが、これはなぜか暗黙の前提であって、ふつう、教科書のどこにも書いてないし、教えてくれる先生も少ないだろう。だが、この法則こそが、文字を形式的に使って論理を構築する数学という学問の根幹を成す、いちばん大事なルールといってもよい。

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結城浩『数学ガールの秘密ノート/式とグラフ』p.5


ひとつの式にあらわれる複数のxのそれぞれに違う数が代入できたらめちゃくちゃになるし、逆に、違う文字(xとyなど)を使っているところでは、それぞれが”独立”して”任意”の値を代入してよい。このへんの"独立"とか"任意"の概念が超重要だと思うんだけど、それ自体は高校までの数学では明示的には扱わず、初めてあらわになるのは大学数学の最初、論理学と集合論の授業だろう。

なお、りりむさんは「xにはどんな数を入れてもいいけど、ひとつの式のなかのxには全部同じ数が入る」ことを、「xは世界なんだね」という独特のイメージで納得しており、ここには猛烈にノナちゃんみを感じた。(ノナちゃんは座標平面に果てがないことを「無限のキャンバス」とみなして感動したり、点の"色"について気になるような子だ。フィクションのキャラクターと張り合うりりむさんマジで何者なんだ……いやVTuberもキャラクターではあるんだけど)

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結城浩『数学ガールの秘密ノート/学ぶための対話』p.27


No.3 変数の約分(累乗を含む)

次にグウェルさんが「もう一歩レベルアップしますね。これはちょっと……これがわかったら一気に進みます」と言いながら出したのは(3x^2)/(2x) という式。
これをなんとりりむさんは瞬殺で (3x)/2 と正答してしまう。これには驚いた。

ここまでのNo.0→1→2→3という段階の踏み方がマジでお手本としか言いようがない完璧さ。
ひとつひとつ新しい学ぶべき要素を含んだ問いを出して、それを説明する/答えてもらうことで、着実に文字式の約分について理解が深まる。

これって事前に用意していたんだろうか。用意していたとしたらその周到さと心遣いの細やかさが素晴らしすぎるし、即興でステップを構成して教えたとしたら教師として優秀すぎる。

ここまでで分子が単項式の場合は、たとえxの累乗を含んでいても約分できるようになったので、次はいよいよ多項式だ。しかし多項式の約分では先に因数分解を学ばないといけない。そうグウェルさんは逡巡し「ここちょっと難しいかも知れないな……どうしよう……もういち段階を踏もうかな……」と言う。
これにりりむさんが「えっ!いちおう言ってみて」と、意欲的に言う。「じゃあそのまま(段階を)踏まずにいきますね」といってグウェルさんが出したのが


No.4 多項式の約分

(3x^2 + 5x)/(2x) である。

これはステップNo.3からすれば明らかに一気にレベルアップしすぎの問題ではあるが、それはグウェルさんも了解した上で、りりむさんが興味を示したので提示しているチャレンジングな段階だ。このように、生徒と先生のコミュニケーションによって柔軟に出題する問い・教える方針を変えているのが素晴らしい。これこそ理想的な学ぶための対話である。

さすがにいきなりは無理だったので、ここで因数分解の説明に入る。
(3x^2+5xの3と5を足そうとしていて、初学者のxの次数への理解を鮮やかに表しているようですごく興味深かった。)


4:35:30 数式の"答え"

x+x^2 を因数分解して x(x+1) に同値変形できると説明したときに、りりむさんが「x(x+1)が答えってこと?」と聞いたのがすごく良い。

前回のnoteに書いたが、数学初心者はやはり

数式には必ず「答え」が存在する、数式は答えを出すためのものであり、それ以外の何物でもない

という"問題"ありきの捉え方をしているんだなぁというのがめちゃくちゃよくわかる質問である。りりむさんはその後も「答えがない計算式とかどうなっちゃうねん……」とつぶやいていた。



5:05:30 微分の公式

遂に y=2x^2 を微分して y’=4x を求めることができた!!!(もちろん私もPCの前で拍手して喜んだ。アーカイブだけど)

微分とは関数のグラフの傾きを求める操作(演算)である、2点間に引いた直線から1点での接線の傾きにするための操作が「極限をとる lim_(x→0)」である、ということをしっかり説明して理解したあとに、微分の公式を明かすグウェルさん。

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ここでりりむさんのテンションが下がっているのがいい。数時間かけてやっと1回微分ができたのに、公式を使ってものの数秒で微分されていく姿に「便利!」じゃなくて落胆するの、マジで解釈一致。

この嘆きはりりむさんが暗記ではなく理解をして数学に取り組んできたことの現れである。公式が出てきて脳死的に暗記だけしようとする学生が多いなか、むしろ残念がるりりむさんの態度はほんとうに素晴らしい。

この法則だけ覚えているひとたちって多いんですよ」と言うグウェルさんに対するりりむさんの言葉に、ここまで聞いて良かったと思えた。



「あー……スカスカした微分しか知らない、と」






今回はここまで!!!

8時間中、5時間観終わった!!!

前回が2時間の時点で終わったので3時間分観たことになるが、ここまで書き上げるのにゆうに10時間はかかっている。時間効率が1/3倍未満になっている……!

休日まるまる使って自分はなにやってるんだろう、とも思うけど、数学ガールオタクとしてどうしても観たいし、そこで得た感想をこうして残しておきたいと強く思うんだから仕方ない。

これは100%自分のためにやっている。そもそもなんで自分が数学ガールを大好きなのか、ってことを考えても、やっぱり学ぶことと、学ぶための対話にたいして普通の人よりも少しだけ興味と情熱があるんだと思う。

だから、この配信を舐めるように観ることでいちばん理解が進むのは、りりむさんについてでもグウェルさんについてでもなく、自分自身についてだ。

私は、自分を知るためにこの配信を観て、雑感をここに書き残している。




あと3時間ぶんがんばって観るぞ!!!いよいよ積分だ〜〜〜!

(積分って微分と違って教え方にすぐ思いつくだけでも何パターンかあるから、グウェルさんがどうやって教えるのかすっごく楽しみ!)







前回のnoteはこちら。今回よりは短いよ(1万字)



こちらにも目を通してぜひ数学ガールを読んでください。よろしくお願いします。




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