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アニメ映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』(2021)感想


【追記】

この映画の感想を友だちと3時間弱、延々と語り合いました。私が言ってることはだいたい↓にテキストで書いてあるのでそちらを読んだほうが早い(""タイパが良い"")ですが、音声媒体で聴きたい、という奇特な方がいればどうぞ。会話ならではの良さもあるんじゃないでしょうか、知らんけど。

【追記終わり】




23/6/19月
TSUTAYA準新作で借りてきた


うおおおおおおおおおおおおお 最高!!!!!!!!!!!!
劇場で観ればよかった!!!!!
とても巧みにつくられた青春どストレートアニメーション。これで今年も夏を迎えられる・・・・・・


以下、最高過ぎて語彙力が喪失している感想をお楽しみください


ビジュアルもロケーションもコンテもほんとすばらしい。
田園地帯のただなかに立つ大型ショッピングモールを映した青春アニメ映画といえば2018年の『フリクリ オルタナ』(評判悪いけどぼくはそこそこ好き)なんかを思い出すけど、まーじでいいですね・・・・・・


序盤・中盤くらいまでで起きたイベント・アクシデントが、メイン男女ふたりのスマホが入れ替わる(『君の名は。』!)ことで出会って距離を縮めることくらいしかなくて、「よしよし、お願いだからこのまま特にスケールが大きくならず慎ましい物語のまま終わってくれよ~~~」と必至にお祈りしながら観ていた。

その祈りは通じて、後半でも「お爺ちゃんの無くしたレコード盤を探す」というささやかな目的(しかも主人公ふたりには直接関係ない)が設定されて、最大のアクシデント・シリアス展開も「ようやく見つかったレコード盤を壊しちゃう」という絶妙にしょうもなくささやかな(しかし当人にとっては深刻重大な)出来事で、ほんっとうに良かった・・・・・・


ラストの夏祭りでの告白シーンは、わざわざ物見やぐら(的なところ)に登って、まわりの関係ない地域住民たちが見ているまえで俳句告白をぶつもので、告白という最も私秘的な行為を大衆に晒された状態でやるのはフラッシュモブ的なイヤさがあるんだけど、なんということでしょう、夏の恋の象徴的記号であるところの「花火」が打ち上がり、男子主人公を見上げていた地域の皆さんはいっせいに振り向いて花火のほうに注目してしまう。もはや彼を見つめているのは彼女だけ。無理やりすぎる、アクロバティックな、私秘性の復権劇。そんな花火の使い方があったのか。。。花火をふたりで見つめるのではなく、花火を「見ない」ことによってふたりの空間を確保する。


あとそもそも、レコード盤を見つけるのに主人公ふたりがそれほど役に立っていないのも良い。いや、最初に冷蔵庫の裏から見つけるのはチェリーだけど、それは彼らの探索が「身を結ぶ」という感じではなくて、冷蔵庫裏にあるんなら明日にでも他の誰かが気付くだろうし、デイサービスの掛け時計に関してはもう「あっそう…」と脱力するしかない青い鳥事案だし。

これがどういうことかというと、緻密に伏線を張って計画を立てて彼女らの努力が身を結ぶかんじにしてしまうと、それはよく出来たミステリーとか探偵モノ?の変奏になってしまう。それじゃ(自分の好み的に)ダメなんだ。もっとしょうもなくて意味があったのかなかったのかわからないくらいの塩梅にしてくれなくちゃ。もともと他人様の失せ物を勝手に代行して探してるわけで、主人公らには無関係な物語=歴史なわけだし、青春ってそういう無作為さ・野放図さにあるだろう。この映画が表現してくれたそんな青春像がほんとうに好きだ。(特に役に立たず〈物語〉から周縁化されている主人公たち…『ローリング☆ガールズ』最高!)


SNSまわりの描写もすばらしかった。
SNSに投稿された俳句に彼女が「いいね」を押そうとするけど、これは自分(のコンプレックス)を唄った恋の歌なのではないか、これにいいねしてしまうのは色々とまずいのではないか、と思って逡巡して……押さない!!!! これほど素敵なSNS描写があっただろうか。俳句の良さもわからずに反射的・即物的に「いいね」を押すことはできる。だからこそ、「押さない」という否定形の行為=アニメーションを描く意義が生まれる。
そして押そうとした瞬間にスマホ画面の明かりが消え、じぶんの顔……歯が映る!!!! スマホは現代における鏡である(『花束みたいな恋をした』) そうか・・・・スマホの一定時間経ったら画面が消灯する機能ってこの演出のためにあったんだな・・・・


あと、フォロワー4人しかいない彼の俳句投稿にしょっちゅう「いいね」を押してくる謎の女性っぽいアカウントの正体がお母さんだった、というのが良過ぎる。ぼくもこのnoteやインスタの投稿に母親がよくいいねしてくるので・・・・・・


・画面分割演出の使い方がうますぎる
ふたりが出会って次第に仲を深める(君の名は。的な)ダイジェストパートの出来が素晴らしすぎた。。。


・街灯がボウっと灯ってゆく描写で、ジャック・タチ『プレイタイム』の終盤の場面を思い出してめっちゃ感動した。(プレイタイムではまったく感動しなかったけど……)


・ショッピングモール×俳句×タギング(ストリートカルチャー) という天才の掛け算
大型ショッピングモール内の老人デイサービスセンター、という要素も天才。

いちおう言っておくと、俳句を真面目にやっている人とか、歯のコンプレックスに悩んでいる人とかがこの映画をみてブチギレてても、そりゃそうだろうなと思う。ぼくはそういう人じゃないからこうして無邪気にはしゃげるというだけ。


・男子主人公チェリーくんの喋り方、フィクションにおける「コミュ障キャラ」としてかなりリアリティを感じた。吃音まではいかないんだけど発声の段階でかなりエネルギーを使っていて、声が出たとしても弱弱しい軌道を描いてて、でも記号的な誇張は過ぎていないかんじ。声優:市川染五郎さんの演技の巧みさが光っていた。



この話って、チェリーのキャラ性に象徴されているように、けっきょくは「ちゃんと言葉にして声に出すことは想いを伝えるために大事だよね」という、これだけ切り取るとめちゃくちゃムカつくテーマがあるんだけど、その「言葉にする」「声に出す」というテーマとは裏腹に(だからこそ)、言葉になっていないぶぶんがものすごく雄弁なアニメーションなんだよね。それが好きだ。鏡を見て自分の前歯を気にしてマスクをするとか、外界を遮断してヘッドホンをかけるが自身の内に反響する声にならない声に身を悶えるとか、人物の些細な仕草をものすごく丁寧に描いているし、やがてさらに廃れていく田舎の田園風景の時間遷移をビビッドな線と色合いで表現するのもそう。とにかく演出がうまくて、その雄弁さが、「言葉にして声に出そう」というしゃらくせぇメインテーマにまったく負けていない。むしろ逆説的に、声に、言葉にならない感情や情景や仕草がいかに雄弁で素晴らしいか、というのを描ききっているとさえ言ってしまいたくなる。


冒頭のオープニングクレジットパートの時点で、主人公ふたりとかではなく、お爺ちゃんが画面中央にぼけーっと佇んでいるうしろの背景美術が切り替わっていくくだりからしてめっちゃ好きだった。やっぱおじいちゃんおばあちゃんを前面に押し出してくれるフィクションっていいよね。おじいちゃんおばあちゃんでメインキャラクターが占められてるノベルゲームとかつくりたい。


自室で夜にスマイルが割っちゃったレコードを直そうと必死で頑張るけどうまくいかなくて泣いちゃって、姉妹(でいいんだよね?)のふたりが両側からスマイルを抱きしめる固定長回しカット、固定長回しの使い方がうめぇ〜〜〜となった。室内だからというのもあってそんなに引いたロングショットじゃないのがまた良いんだよな。


・ショッピングモールと歴史性
ショッピングモール内で吟行する(散策して景色・季節に応じた俳句を詠む)のとか、もとはレコードのプレス工場だったとか、露骨すぎて笑っちゃうけどそれがいい。
主人公のふたり自体には歴史性が欠如しているので、デイサービス利用者のお爺ちゃんの歴史=物語にフォーカスをあてる選択がいい。
女子主人公と、レコード盤に映るお爺ちゃんの妻のキャラデザがあまりに似すぎていて、そこで再生産主義っぽさを醸し出しているのが唯一の不満点かもしれない。出っ歯設定を共通させるために仕方ないんだけどね。 というかそれを言い出したらめっちゃヘテロ至上主義映画ではあるから批判すべきはずなんだけど、いや~~久しぶりに負けましたわ、ヘテロ至上主義に・・・。(というかじぶんはもともとめちゃくちゃヘテロ至上主義に弱いんですけどね)


もうすこし批評的に真面目なことを言うならば、ポスト『君の名は。』映画としてこんなによく出来たアニメはないと思った。さっき書いたようにメインの男女ふたりのスマホの「入れ替わり」〜仲良くなるパートとかもそうだし、欠落した歴史性という意味でも、ショッピングモールとレコードプレス工場、ひび割れたレコード盤、ショッピングモールや田園風景のうえにタギング(グラフィティ)で俳句を書きつけて、文字通り〈風景〉を書き換えていく営み。


「大切な記憶が……思い……出せない……」という瀧くんみたいなことを言うのが男子主人公でも女子主人公でもなく、あのお爺ちゃんだというのがほんとうにすごい。最高。そうなんだよ、若者はすでにそうした「失われた記憶/風景」そのものを失っているんだよ。だからタイムリープとか空を飛ぶ(落ちる)とかいったSFファンタジー要素なんか要らなくて、ただただ、ふた世代上の〈物語〉にフリーライドして、役に立ったんだか迷惑をかけたんだか分からない働きをして、結局は引っ越す前に告白しなきゃなんてベタベタでささやかな展開を全力で駆け抜けるしかなくて、夜空に花火の音は響いていて、祭囃子はまだ鳴り止まなくて……





いつもの通りバス停で
君はサイダーを持っていた。
それだって 様になってるなぁ





【追記】

6/23金 2回目を観た。

一回目ほどの衝撃は無かったとはいえ、ほんとうに映像演出が巧みで、気持ちよく感動できる良い映画だなと思った。

「お母さん」「お父さん」と呼ぶチェリーくんかわいい。

人気アカウントからいいね来た→大量に来た→フォロバされた のくだりマジで最高。SNSのフォロー云々なんていやったらしいはずなのに、どうしてここまで爽やかに描けてしまうんだろう。すごすぎ。(それは翻って、SNSや生配信の現実的な危うさ・後ろめたさをオミットして隠蔽しているともいえるのだけど・・・現実であんなモール配信なんてしたら一瞬で住所特定・身バレ→ファン殺到になるだろう。そしてチェリーと付き合いだしたのがバレたら炎上し・・・配信者引退したら万歳だな)

そこからの画面分割ダイジェストパートのうまさといったらない!! で、その最後にタイトル回収。あんなにド直球かつ気持ちの良いタイトル回収そうそうないぞ。屋上の秘密基地でひとりチェリーが座っているカットの完璧さよ。

ってか、最初に秘密基地が出てくる場面でチェリー、ジャパン、ビーバーの3人がそれぞれ移動したり動いたりする画面の作り方がめっちゃ上手かった。さっきのダイジェストパートで、スマホのSNS画面を並べて小気味よく 俳句投稿→いいね→いいね通知 のようにアクションを重ねていくのもそうだけど、複数の物事が同一画面上で動いて相互作用を起こしていくのを鮮やかに描くのが上手すぎる。

掛け時計レコードの発見者はスマイルじゃなかったので訂正した。

お祭りの舞台がショッピングモールの駐車場だって初見では気付いてなかった!!! 最高じゃん・・・ 田舎の夏祭りを描いているのに、神社とかが出てこないのって相当珍しくないか? 基本的に、場所はモール周辺とふたりの家とフジヤマ・レコード店と、一度きりの電波塔の山くらいしかない。
ちなみにwikipediaによると舞台:小田市ののモデルは群馬県高崎市らしい。

あと、夏休みの話だからというのもあるけど、学校がまったく出てこない青春アニメというのも珍しいというか現代的。そもそも「学校の友達/知り合い」がまったく出てこないんじゃないか。チェリーもスマイルも高校生(高2と高1?)らしいけど、あんまし関係ないし、チェリーがつるんでるビーバーやジャパン、タフボーイはみんな高校生ではない。スマイルのほうも仲良しは姉妹しか出てこず、キュリオライブで一気に全世界に人間関係のスケールが跳んでいる。それはフォロワー4人のアカウントでキュリオシティに俳句を投稿し続けるチェリーにしたって同じことで、彼が引っ越しをちっとも嫌だと思っていなかったことがその特異な人間関係の在り方(学校空間の欠如)を象徴している。

というか、公式サイトで「17歳」「16歳」という表記しかなくて、高校何年生なのか書いてないのも、まさに「高校」「学校」というアニメ文脈的にものすごく強い重力をもつ概念から意識的に距離を取っているんだな、とわかる。

だから学校の制服も一切出てこない。(現代日本を舞台にした)夏の青春アニメ映画でそんなものかつてあっただろうか? 『サマーウォーズ』でも最初に学校のシーンがあるし、友人の佐久間はずっと学校の部室からオズにアクセスしてるし、そもそも夏希センパイは「学校のアイドル的存在」で、そんな人とひと夏でグッとお近づきになれる……というところにロマンが詰まっている物語だから、いくらメイン舞台が田舎の旧家でも、やはり学校という重力場からは逃げられていない。『バケモノの子』の九太はかなり有望だけど、けっきょく楓が制服姿で登場して以降は学校という制度への従属に物語が向かう。(渋天街というファンタジックで野性的な世界と、学校に象徴される現実世界が対比されている。) 『千と千尋の神隠し』にもいっさい学校・学生要素は出てこないけど、あれは夏なのか? そもそもほぼ異世界モノだし。

とにかく、何が言いたいかというと、じぶんは青春アニメが大好きで、それはほとんど学生モノ・学校モノを好きなことと同義なんだけど、それはあくまで「≒(ニアリーイコール)」であって、「=(イコール)」ではないんだと、そのごくわずかな例外として本作があって、「学校・学生要素を完全に排除しても素晴らしい青春アニメ映画はつくれるんだ」と思わせてくれたのがすごく嬉しい。やっぱり学校・学生モノは大好きだけど、それ以外の道もあると、前例を作ってくれたことが偉大だ。

チェリーとスマイルって同じ高校じゃないよね?? あんな田舎でも高校幾つかあるのか。あ、スマイルのスマホケースには交通系ICカードっぽいものが入っていた(小説で言及されていた)から、電車通学なんだな。駅も出てきてないんだよな~~~ 交通手段が徒歩か車(かスケボー)だけ! 電車もチャリも出てこない!! 珍しっ


チェリーくん、人前で声を出すのは恥ずかしいのに、人前で音頭を踊るのはまったく恥ずかしがらないんだな。まぁ自分ひとりに注目が集まるわけじゃないけど。吃音気味だけど踊りは嫌いじゃないとすれば親近感が湧く。ともかく、ここから何か論を立てられそうな気はする。

ラストシーン、スマイルが地面に叩きつけるようにマスクを外すのがほんとうに気持ちよい。爽快感

エンドロール後のキスの影のシーンで、ちょうど歯のところに「やまざくら かくしたその歯 ぼくもすき」という俳句がタギングされているが、「ぼく"も"すき」なのでチェリーの元の句から変更されている。ビーバーが自己に主体をズラして(初めて自分の言葉を)書きつけたと考えるのが妥当か。このシーンで地面に他にいろいろ書かれている句も確認したらなにか変わってたりするのかもしれない。ビーバー以外のみんなも書いてるとか。字の筆跡がけっこうバラバラな気はする。



劇場公開前に監督自らがガッツリ宣伝のためのYouTubeやってた!

まだ↑このセルフ聖地巡礼動画しか観てないけど、他にも作画や演出・撮影などの各工程をめっちゃ丁寧に解説してくれてるぽくて、すげぇ気合が入っている、アニメオタクとしてひじょうに啓蒙的なチャンネルっぽい。



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