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冨樫義博『HUNTER×HUNTER』1巻〜36巻 感想メモ


・1巻〜8巻

3年前くらいにヨークシンシティ編おわり(10巻くらい?)まで読んでいたが、初めから読み返している。

漫画表現面で気になるのは、人物がコマ枠からはみ出る描き方を多用しており、決めコマでは同一人物の遠景とアップを両方とも描くこともしばしばする、という点。記憶の限り、例えば『BLEACH』ではこうした技法はほぼ使われていなかった気がする。(台詞のフキダシが枠をはみ出ることはあると思うけど)
他の冨樫義博作品を読んだことがないので比較はできない。

人物にコマを逸脱・横断させる手法
1つのコマ内に同一人物の顔アップと引きの全身像を同居させる手法


主人公ゴンの旅の目的およびこの作品そのものの方向性が「父ジンを見つけ出すこと」と「立派なハンターになること」の2つあり、それらが男のヒロイズム・ロマンの領域で曖昧に結びついている。少年漫画の文法的にはありふれているが、冷静に考えると理解が難しいようにも思う。

まだストーリーは特に面白さを感じない。好きなキャラクターも特にいない。


・9巻〜11巻

ヨークシンシティ編が終わるかと思いきや意外と長い。タイトルがずっと日付(9月1日⑦のような)で、テキトーなのか時系列を意識させるための必然的な演出なのか。
幻影旅団のひとりと誰かが荒野で決闘する、というのはぼんやり覚えていたが、クラピカだったのね。

そろそろ完全に初見の範囲に差し掛かっている。

「怖ろしく早い手刀……オレでなきゃ見逃しちゃうね」や「クセになってんだ、音殺して歩くの」などのネットミームが出てきてテンション上がった。「クセになってんだ」はこんな小さいコマだったのか。

意外とヨークシンシティ編おもしろい。バトルよりも、目利きの鑑定師の人との交流が優しくて好き(裏切るかもだけど)
表現的には、ページの最下部からコマ枠をはみ出て「奥行き」を感じさせる画をしばしば描くのが気になった。

手前→奥
奥→手前


この↑ように、何気ないシーンでもページ下から出てくる画を描く。『チェンソーマン』の「神の手」的なメタ要素は全く無い。
なんというか、こういう部分の「頓着の無さ」というか、良い意味で気を抜いてやりたいことを描いてる感じが本作の特徴だと感じている、今のところ。

もちろん複雑なルールの戦闘・念設定等のまどろっこしい面もあるんだけど、それもロジカルさ・几帳面さの現れというよりも、単なる作者の癖(ヘキ)で、気ままさを感じる。今風に言えば、一見した印象ほどに「考察マンガ」ではない。

バトルシーンでの、メタ第三者視点での念の説明ナレーション(「──実は◯◯だったのである!」)を平気でぶっ込んでくる点にもそうした奔放さ、やりたい放題で、作品のトーンの統一などに頓着していないさまがうかがえる。

ここのキルアのコマはみ出謎ポーズ、謎すぎて好き
隠密偵察でどうやったらそんなツイスターゲームみたいな体勢になるんだ


こういうコマ枠のはみ出し方(空白のコマから人物を逸脱させる)特徴的だと思うんだけど、よくあるのか? 少女漫画とかで使われがちかもしれない(no evidence)


・17巻の途中まで

グリードアイランド編のドッジボールやってる最中。グリードアイランド編もわりと面白い。もともと、念を使った戦闘を数値化(AP, DP, SP..)して説明する発想があからさまにTRPG的だったが、この章は本質的にゲームっぽい物語・世界観をモロにゲームとして展開している。グリードアイランドは実は……の部分も、その本来性を鑑みれば非常に整合的な設定である。
あと、約15巻にしてようやく出てきた主人公の必殺技が「じゃんけん」モチーフなのも良い。じゃんけんとはもっとも世界中で普及した、ある意味で史上最高のゲーム(遊び)とも言えるわけで、そのキャッチーさと最小限のゲーム性がゴンの人物像とも本作自体の姿勢ともよく合致している。
ドッジボールまだ決着ついてないけどおもしろい。ライバルと共闘する展開は王道に盛り上がるし、やっぱり自分はバトルよりもスポーツのようなルールの中での対決のほうが好きなんだと思った。

また、ずっとこの物語は根本的な目的が「ほぼ知らない父を見つけたい&立派なハンターになりたい」という曖昧で感情移入がしづらいものだと思ってきた。(例えば「身近な大切な人を守りたい/救いたい」よりも現実の読者への訴求力は弱い)
しかしこれも「これは〈ゲーム〉についての作品である」と捉えれば納得が出来ることに気付いた。ゴンの動機がよく分からないのはある意味では当たり前で、そもそも感情移入せずにいったんその価値観に「乗る」ことが前提とされている。そこに乗らないのは、サッカーを前にして「なぜ足でしかボールを動かしちゃだめなんですか。なぜあんな網のなかにボールを入れなくてはならないんですか」とゴネているようなもの。本作のよくわからない(が少年漫画では自明視されてきた父権的な欲望=ノリ=)目的は、それが掘り下げるべき意義や内容を持たない空虚なものであり、単なるゲームのルールでしかないことを表していると読めるのではないか。『サムライ8』がそうした「男のロマン」を世界設定の次元にまで通底させて表現しようとしたのとは真反対だととれる。


・22巻まで

グリードアイランド編がおわり、キメラアント編の途中。グリードアイランド編のボスがあの爆弾野郎というのはちょっとキャラの魅力的に弱かった。ゴンの成長がメインとはいえ。
確かにキメラアント編に入ってより面白くなった。ハンターと言いながらやってることは戦い(や金儲け)ばかりで、ジンの功績として序盤に挙げられていた文化財保護や自然環境調査などの文化学芸的な仕事にはちっとも焦点が当たらないことにはうっすら不満を覚えていたので、ハンターの仕事として新種生物の調査のため諸外国に赴く、という導入は良い。
キメラアントという別生物が相手なので、人間基準の倫理は通用せず、種差別に基づいた生物種間の戦争となる。(しかし、カイトが心配していたように、むしろキメラアントの「人間味」こそがゴンにとっての弱点となる可能性はある)
東ゴルトー国に潜入してからの森でのフクロウとコウモリの獣人とのバトルは絶望的に退屈だった。「少し強いモブ」との戦いがいちばんつまらない。どうせ倒すのにいつまでもダラダラ戦ってるので。

ビスケさんは都合のいい師匠キャラすぎて逆に不安になる。ジンとかとの因縁もなさそうだし。
キルアもかなりストレートに友達(ゴン)想いのキャラクターで、戦闘面での弱さを見せてからのほうが魅力的にはなったが、そこの関係があまりにもピュアすぎて不安になる。でもナックルといいその師匠といい、わりと素直な善人キャラもたくさんいるんだよな。幻影旅団でさえ仲間想いな連中、って感じだし。

パームがゴンの初彼女になるくだりめっちゃおもしろかった。本作でいちばん好きなキャラかもしれない。


Twitterで宇多田ヒカルの新アルバム『Badモード』ジャケ写に似ていると話題になり本人に引用RTされていたコマだ。


・23巻〜28巻

キメラアント編佳境
ネテロvs王が終わっていよいよゴンvsネフェルピトーに突入しそう
うお〜〜めっちゃおもしれえ。ゴルトー王国の王宮突入から一気に面白くなった。ようやく本番って感じ。
最近ボードゲーム商品化が決定したという「軍儀」、思っていたよりずっと物語上の重要度が高い。
非-人間の蟻の王がだんだん「人間的」になっていく一方で、ゴンが恐ろしく底知れない不気味な存在へとなっていくのが良い。
ネテロ会長も最後は人間の本質を憎しみであると宣言していたし、「人間らしさ」が物語のなかで議論され展開されて刻々と内実を変えていく様がスリリングで心地よい。
一瞬分かり合えた気になった幹部2人は王の危機により「蟻」の本性へと引き戻され、理解しがたい(が故に素晴らしい)「再生」シーンを演ずる。
王にしろネフェルピトーにしろ、GI編のボス(ゲンスルー)とは比べ物にならないほどデザインも人物像も魅力的で良い。
思っていたより「生命とは、人間とは」がテーマのSF作品としてかなり骨太。『なるたる』的な。
「母の慈愛」的なところはジェンダー論的に如何に評価するべきかは考えなければならないだろうが。

1つ疑問に思うのは、王メルエムがあれだけの知性?を有しているのに、「すべての生物種の頂点に君臨するためにわたしは生まれた」的な生物種としての目的思想・運命論を素朴に信仰している点。その「ために」は、何らかの上位存在(神)を想定してのものなのか? 進化論を知らない/辿り着いていないのだろうか。進化論からは、今あるシステムが構築された原因・仕組みこそ導かれど、「目的」「存在意義」などの概念は絶対に出てこないはずだが。単に自然主義的な誤謬に陥っているのだとしたら彼の格が落ちるし。
もちろん、そこまで哲学的な掘り下げは本作のトーンにとって都合が悪く、いろいろ格好つけてるけど根底は少年漫画のノリなので、これは無粋なツッコミではある。

「一日一万回、感謝の正拳突き」もHUNTER×HUNTERが元ネタだったんだ・・・・・・


・29巻〜31巻

コムギとメルエム最後まで良かったわ〜〜 『ザ・ワールド・イズ・マイン』のマリアみたいなポジションのキャラ好きなんだよな〜
ゾルディック家の家族相関図がややこし過ぎてクソワロタ
この物語のいちおうの最終目的である父ジンが(ゴンの寝ている間に)普通にガッツリ登場しちゃって、レオリオと(拳の)やり取りとかしちゃってるけど、大丈夫なのだろうか? ONE PIECEの正体がルフィのいぬ間に読者にだけ明らかにされたようなもんでは?
まぁしかし、そうした物語の大きな動機の不在こそが本作の最大の特徴ではある。「ジンに会う」という目的すら目下の最重要課題とはなっておらず、キメラアント編はハンターの仕事&恩人の復讐&人類救済が動機だし、グリードアイランド編ははじめこそジンの手掛かりを探していたものの、ゲーム開始時点で「オレの手掛かりはない」と告げられ、それでもどうせなら楽しんでやるか!とクリアまで続けたのが象徴的だ。(本当はクリア報酬として1人でカード使用すればジンに会えたらしいけど。)
つまりゴンにとって「父に会う」はやりたいことの1つに過ぎず、他に緊急の課題ややりたいこと、楽しそうなことがあればそっちにフラフラと行ってしまう。ジンの性格造形からもわかるように、ここの親子は少年漫画の典型的な「気ままな男の生き様」を体現している。それが中心にあって、その周りでキルアなどの(相対的に常識のある)仲間たちが振り回されて影響を与え合う、というのがこの作品の大きな流れである。
だから(といえばいいのか)、今のところまったく終わりが見えない。「何をすれば終わりになるのか」という終了条件が不明瞭。親子対面はクライマックス感が出るとは言え、ジンがすでに物語に登場してしまったので、そのインパクトもかなり薄れている。ゴンの「立派なハンターになる」というもう一つの目標も達成条件が曖昧で、ゴン自身の主観に依るものでしか無い。
逆に言えば、終わりたければいつでも終わらせることもできるということ。この作品自体がゴンのように気ままで、やりたいことだけを描いているので、気分が乗らなければ描かないのも頷ける。

個人的な好みとして、ジンがやたらと「子供っぽく」(ゴンにヒゲを生やしただけのように)描かれているのは気持ち悪い。『サクラノ詩』とかでも感じたことだけど、主人公の親を露骨に息子に似せてきたり、風来坊な点やピュアさを強調したりするのが、悪い意味で少年漫画的("男のロマン"=有害な男性性)であまり受け付けなくなってしまった。社会倫理を内面化してしまった・・・


ついに来たゴンさん。左ページの下コマからの髪の毛で仕切られるコマ枠とかギャグにしか見えなくておもしろい


これも上下のコマをうまく有機的に繋げている好演出(間テクスト性ならぬ間コマ性?)
ゴンさんの髪が下コマ→上コマの方向性だったのに対してヒソカの糸は上コマ→下コマ。



・32-36巻

単行本最新刊まで追いついた。
会長選挙&アルカ編から暗黒大陸編(というか王位継承蠱毒編)へ
上でいろいろ書いたけど、フツーにゴンとジンの親子邂逅があっさりガッツリ果たされてしまうのは驚いた。

まさにこの作品の大きな目的不在な面に言及するかのような台詞

ここらへんのゴンの台詞も同上。

そしてクラピカが久し振りに再登場し、キルアは妹とともに退場し、そして主人公でさえ念を失って故郷で「普通」の凡庸な生活に戻り、物語から姿を消す。
王位継承戦編の主人公はほとんどクラピカだな。

ここまで長期連載になって、キメラアント編で念能力者たちの極限バトルを繰り広げておいて、さらなる超人によるインフレバトルを起こすんじゃなくて、「念を知らない一般人に念を(戦略的に)教える」ことに焦点を当てる作劇は凄いなぁと思う。

ここわろた

王子たちの中に双子百合キャラが混じってるのは何なんだ。前にも書いたけど、基本的に嘘と騙し合いと殺し合いのストーリーのなかに、ときたま単にピュアな善人を混ぜ込んでくるのに動揺する。そもそもセンリツ(クラピカの仕事仲間)からして良い奴すぎるんだよな・・・・・・

「いつでも終われる」と書いたが、暗黒大陸編を始めてしまった以上、まだ当面は終わらせられないだろう。まず暗黒大陸に着くことができるのかが分からない。着いたら着いたで、あんなに「キメラアントを越える災厄……!」と喧伝してしまった以上、あっさり済ませるわけにはいかない。

クロロとヒソカの決闘がものすごく唐突に行われたのも何だったんだ。巻末に解説があったけど。
シナリオ上では、決闘のあとで旅団メンバーをヒソカに殺させることで、旅団全員がヒソカを狙う状態を作り、それら全員を暗黒大陸行きのクジラ客船にぶっこんでカオスにしたかった感じ?

巻末の作者解説で『シグルイ』への言及がある。

BW上での王位継承戦編、おもしろいといえばおもしろいが、登場人物が多すぎるし、人物関係・勢力図が複雑すぎるし、説明台詞の文字数が多すぎるしで、とにかく疲れる。まぁこの編に始まったことではないが・・・・・・



・まとめ

これでいちおう最新刊まで読んだわけだが、さすがになかなかおもしろかった。こういう理詰めの戦略モノは(『BLEACH』で漫画を読み始めた人間としては)まったく好みではないが、自分のように正反対の好みの人間でも、簡単に切り捨てはできない程度には魅力と風格がある。
このまま連載再開されず未完に終わっても何の感慨も覚えないし、「全ての漫画のなかでHUNTER×HUNTERがいちばん面白い」とか言ってるひとを見ると、人って価値観が全然違うんだな〜となるけど、それは(BLEACHがいちばん好きな自分を見る)向こうだって同じ気持ちだろう。

キメラアント編の後半(王宮突入後)がいちばん面白かった。ヨークシンシティ編(ノブナガからゴンキルアが逃げ出すところと、クロロとゾルディック親子の決闘以降)もなかなか良かったし、グリードアイランド編も修行の印象が強いけど悪くない。

画もかなりうまくて好き。めっちゃラフ画で雑に描いてるイメージがあったけど、そんなことはほとんど思わずに最新刊まで読了してしまった。


・追記:『ヒロアカ』との比較

『HUNTER×HUNTER』既刊36巻を一気読みしたあと、同じく(?)少年ジャンプに連載中の人気バトル漫画『僕のヒーローアカデミア』を1巻から読み返している。ヒロアカという他の少年漫画と比べることで、より『HUNTER×HUNTER』の特異さがじわじわと事後的に理解されていっている。

というのも、じぶんは涙腺が弱いのでヒロアカでは十数巻までで既に10回以上も感動して泣いているが、ハンターではたぶん1回もちゃんと泣かなかった。(メルエム×コムギとかうるうるするのは何回かあったと思うけど)
ヒロアカはザ・王道って感じで、わかっていても泣いてしまう。(わかっているからこそ泣いてしまう?)
体育祭の轟:オリジン回とかお茶子vs爆豪とか、部屋王の後の梅雨ちゃんの告白とか、「くるぞくるぞくるぞくるぞ・・・・・・キターーーー!!!(涙ドバ~」な感じで泣いてしまいますわね・・・・・・ほとんどアトラクションみたいなもん。感動の動線が読者にわかりやすく作られており、それだけでなく1話ごとの話の運び方も、各回の序盤で露骨に伏線を張って起承転結を描き、この回はこのキャラを掘り下げよう、的なお決まりパターンを丁寧に踏襲している。べつにそれは少年漫画として普通のことなんだけど、ハンターがいかにそうした常道からはかけ離れていたか、読者への親切さ=媚びが少なく、気ままにやりたいようにやっていたかを今更思い知らされている。

どちらが良いというわけではなく、全然違うな〜ということ。どっちが好きかと言われるとわりと悩む。どっちもどっち。(『HUNTER×HUNTER』と比較するならより直接の影響下にある『呪術廻戦』とかのほうがいいだろうけど。ヒロアカを持ち出したのは、たまたまハンターの次に読んでいるから、というだけで他意はない)


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