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「書く」価値は、原稿でなく思考の中にある

今年1年、さまざまなところで「書くこと」について話す機会があった。以前からやっているco-baの講座や今年から始まった情報発信の内製化支援、法人向けのライティングワークショップなど...。多分、ほかにもある。

その中で、よく話すことが、「書くことの価値」だ。ライターは原稿を作りお金をもらう仕事であり、「原稿」のためにそのプロセスを重ねているようにも見える。しかし、実際はそのプロセスを経る中で積み重ねなる「思考」が「書く」ことの価値だと僕は思っている。

1年間、色々考えつつ話したことなので、この場で少し整理しようと思う。

※ この記事は、「書く」を学び合うコミュニティ『sentence』のアドベントカレンダーに参加しつつ書いています。

書くことは思考すること

前述の通りだが、少し詳しく話そう。

ライティングというと、情報発信のためにやっていると思われることが多い。もちろんそれも大切なことではあるのだが、それはアウトプットの「原稿(記事)」が目的物になる。

僕が話したいのは「書くという行為・プロセスの価値」だ。今まさにこの原稿を書いている時も、僕は「何を」「どのような順番で」「どういう言葉を選ぶか」考えている。つまり、書くプロセス自体が思考プロセスであり、情報や思考の整理を行うという役割を果たしているからだ。

「書くこと」と「思考すること」だ。ただ、アウトプットである「書かれたもの(=原稿)」で価値を図られることが多いため、「書く」という側面が目に見えやすい。しかし、そのプロセスにある「思考すること」が、書く当人にとっては重要であり、アウトプットとしての原稿以上に、本人の中には蓄積されていく。

たとえ、目の前に同じ原稿が存在したとしても、それが「他人が書いたもの」である場合、何度読んだとしても、自身で書いた原稿以上の吸収されないだろう。

思考を整理すると言う意味においては、決して日本語が上手でなくても構わない。「書かれたもの」が目的物であれば日本語力は必要だが、「思考」を目的に置くのであれば、職業ライターでもない限り、(最低限、自分が思考する上で必要な言葉があれば)日本語力など大して必要ないと思っている。

思考が蓄積され、仮説を生む

ここからは少し、職業ライターとしてのインタビュー原稿に限った話になるが、その蓄積について話していこう。

その蓄積は、次の糧になっていく。たとえば僕の場合、「デザイン」と「ビジネス」領域のライティングのみをしている。すると近しい領域に携わる人のインタビューが続くことも多く、前に聞いた話、つまり前に書いて思考した話が次の話につながることが往往にして起こりうる。

文章を書く人は「テーマ(僕の場合はデザインやビジネス)に対する専門性」はあるものの「その領域の実践知」を持つわけではない。ただ、その分「多様な視点を持つ」という価値がある。

その多様な視点から生まれる仮説が、「書く人」の価値ではないかと思っている。

たとえば正確に言うとちょっと違うが、このdesignscramble, designshipを通したレポートは僕の中でのデザイン経営に対する意識や課題感、現在地という前提の元イベントで聞いた話を整理したものだ。

端的に言えば、夏にインタビューをしそこで感じた可能性と現在地という前提の元、今年1年盛り上がりをみると、メガベンチャーでも実践が行われ、着実にフェーズが変わってきている——という印象を得た。次、誰かにインタビューするタイミングでは、間違いなく「デザイン経営の次」の話を聞こうと思っている。

こういう積み重ねが、「書く」を繰り返す意義のひとつだと思っている。

と、一通り書きつつ、まだまだ自分自身の中に仮説の蓄積が足りていないなというのを思いなしながら、記事を整理している。実際この原稿で出す具体例を探すのに数時間かかっているので、だいぶ悲しい感じだ。

ただ、もし「書く」と向き合う必要があると思っている人、または「書く」ことに多少関心のある人はこの視点を持っていると、「書く」こととの向き合い方は、少し変わると思う。いや、変わって欲しい。


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weaving代表取締役/ designing編集長。inquire所属| Apple Retail、建築設計事務所、デザインコンサルを経て独立。デザインとビジネスの距離を近づける仕事をしています。
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