あるとき、母にネイルを施してあげる機会があった。 「お願いします」 お互いにたどたどしく言葉を交わす。 母は右と左どちらからやろうかなんて迷いながら右手をさし出してきた。 子供のころはためらいなく握りしめたその手に恐るおそる触れる。 いつの間にか、私の方が指が長くて手のひらは大きくなっていた。 母の手は荒れてざらざらしていて、関節はヘバーデン結節という骨が膨らんでしまう病気で腫れていた。いつか「指を曲げると痛いのよね。つらくって」と言っていたのを覚えている。 意を決し
私は会話下手だ。なんなら、いっつも会話におびえている。 相手の意図を正しく汲み取れているだろうか。 この返答は流れとして適切だろうか。 なにを質問をしたら会話が続くのだろうか。 そんな不安ばかりが押し寄せて、会話中に心が折れ、そして会話を終えるたびに反省しては落ち込んでいる。 そんな私を横目に、職場の社長はいっつも会話上手だ。 私は音楽教室に勤めていて、そこの先生たちと会話をする機会がよくある。 あるとき、ボイトレの先生と『きび糖よりもてんさい糖のほうが体に良い』と
いったいなんのために頑張っているのでしょうか。 頑張って毎日メモをとって、頭の中からなけなしの思考をしぼり出す。 頑張って毎日筋トレや食事制限をして、すこしでも痩せはしないかと体重計に目をこらす。 頑張って毎月ネイルサロンや美容室に行って、最低限の身だしなみに時間とお金を費やす。 けれど、その成果はろくでもないように思えます。 懸命にしぼり出した思考をnoteにまとめても、読んでくれる人は多くありません。 にらみつける体重計の数字はほとんど変わりませんし、手入れした身だ
1年間で10kg太ってしまいました。 私は今、とてつもなくうろたえています。 その結果、あわてて始めたのはレコーディングダイエット。 食べたものを記録していくことで、食のセルフコントロールができるようになるというものです。 運動が大の苦手な私は、ダイエットというと食事制限を選ぶほかありませんでした。 「苦手だろうがなんだろうが痩せたいなら動きなさいよ」という啓示には耳をふさいで目をとじて、自転車通勤の往復30分に身を隠しています。 とはいえ、現在のBMIは22ほどで中
時々、ADHDというワードがTwitterのトレンドに上がっている。 腹立つとわかっているのに、わざわざワードをタップしてツイートを見てしまう。 そしていつも「そんなにADHDになりたいなら代わってくれよ」と思いながらTwitterを閉じる。 その繰り返しがなんとなく最近なくなってきた。 変わってきたという方が正しいかもしれない。 腹が立つとか、代わってくれよとか思わなくなってきた。 「みんな困りごとに悩んでいるんだな」とか、「その困りごとに対してなにか理由が欲しいんだ
日に日に自分のことが分かっていく。 そうするとどんどん分からなくなっていく。 私はどうすればいいのか分からなくなっていく。 今日はとにかくnoteを書きたくなかった。 何を書けばいいのか分からなかった。 何を書いたってどうせ面白くない。空っぽの文章が出来上がるだけだ。 頭の中はそれでいっぱいだった。 そうやってひとつのことに囚われたら最後。しばらくは他のことなど考えられない。 私の頭はそういう仕組みになっている。 だから、noteを書きたくないと思ったら、書きたくな
テレビ番組を見るのがしんどい。 中でもバラエティ番組を見るのがとにかくしんどい。 「この数秒のVTRを撮るのに丸2日はかかっただろうな」 「この資料映像の利権に、このくらいの金額を投じただろうな」 「この女優さんのコメントは台本だな」 こんなことばかり考えながら番組を見てしまう。 こんなの流行のレストランで原価率を考えるようなものだ。 楽しいはずがない。 というのも、私はバラエティ番組のAD―アシスタントディレクターをしていたことがあり、制作現場の裏側や現実を知っている
受験シーズンも佳境を迎えたことだろうから、私の大学受験の話でもしてみようかと思う。 私は大学に進学することを高校3年の夏に決めた。 それまでは専門学校へ進むことを考えていたので、勉強なんて学校のテストを乗り切る時くらいしかしなかった。 しかも、妙にプライドが高い私は、「せっかく大学に行くなら」と偏差値が高い大学の倍率が高い学科を志望校に据えた。 そんなの、私の学力では明らかに高望みだった。 とはいえ、小・中学と友人が少なく、勉強と読書とお絵描きがお友達で過ごしてきた私に
時間をかけて製作して公開すると、かかった労力に見合った評価が欲しくなる。 イラストを描けばTwitterのいいねが欲しくなり、ラジオを配信すればYouTubeやSpoonの再生数が欲しくなる。 私はいずれも経験しているが、今のところ満足のいく数字を得られたことはない。 とはいえ、この評価にばかり意識を向けていると確実に挫折する。 評価が得られる時というのは、努力とタイミングが上手く噛み合った時だと思っている。 努力して作品を磨き、自分でも納得の出来栄えのものを公開する
私は25歳を過ぎてからADHDだと診断を受けた。 いわゆる“大人のADHD”というやつだ。 大学を卒業して社会に出てから出勤困難や希死念慮に悩まされて、数年間、職務経歴に傷をつけ続けながら縋るように精神科と心療内科を転々とした。 そして、現在通っている心療内科に辿り着いた時、『WAIS-Ⅳ』という検査を受けることになったのだ。 『WAIS-Ⅳ』は言語や知覚、作業能力などを測定しIQを算定できるもので、発達障害の診断の一要素として利用されるらしい。 私の場合は、この検査結果と
先日、『霜降り明星のオールナイトニッポン0(以下、霜降りのANN)』を初めて聴いた。現時点で最新の2020年12月11日分である。 それをやけに気に入ってしまって、今も聴きながらこれを書いている。 ただし、一度聴いたものと同じ回だ。 なぜかと言えば、私はマルチタスクが苦手だからだ。 YouTubeで検索すれば過去の放送分も見つかるのだが、これを書きながら新しい内容を聴いてもほとんど頭に入らない。もしくは、ラジオに集中してしまって手が止まる。 それならば、一度聴いたものを
先日、電車に乗っていると、ピンク色のロリィタワンピースとツインテールで飾られた同い年くらいの女性が乗り込んできた。ロングヘアーのツインテールには小ぶりなリボンがあしらわれ、ピンク色の膨らんだスカートはつま先が丸いパンプスと良く似合っている。 かわいくて羨ましくて目が釘付けになった。 自分が感じる“かわいい”を全身全霊で身に纏う彼女が、強くて格好良くて輝いて見えた。 その瞬間、いつの間にか“かわいい”というものをないがしろにしていることに気付いた。 私が大好きだった“か
私は今、ディズニーランドへ行く身支度を整えた状態でこれを書いている。 時は土曜日の正午過ぎ。まだ自室におり、出発すらしていない。 というのも、今日一緒に行く約束をしていた友人に急な会議が入り、身動きが取れなくなってしまったのだ。 こればっかりは予期せぬ事態だし、幼い子供でもあるまいし、友人を責めることも嫌だと駄々をこねることもできない。 何より、一番辛いのは絶賛会議中の友人のはずだからである。 というのも、現在、ディズニーランドの入園チケットはオンラインサイトで事前に