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jiskan-24

 おはようございます。今日は変に目覚めて朝の5時から自室に差し込む光を見つめていました。やはり自分はエレクトリックな光よりも自然光が好きなんだなぁと改めて思わされた次第です。

 今日は久しぶりに自発的に朝御飯を食べました。義務とか、体裁とか、宿泊先でタダで食べられるとかないと最近食べなくなっちゃいました。昔はあんなに遅刻ギリギリになろうとご飯を食べていたのに。どうしてなんだろうな。

おぎのやの「そば」


 いつまでもあると思うな親と金。このコトバを急に今予測変換から拾いました。最近不祥事でいろいろ騒がしい方が「いつまでもいると思うな親と推し」とかいうコトバを残してましたが、推しっていう概念がいまだかつて理解できていない老人です。
 最近だと『嫁』キャラもおらず、ハッキリ言って忙しすぎてオタクコンテンツに対しての気力が皆無と化してるんですよね。それのせいで自分のアイデンティティを見失っている気がする。悪い傾向ですね。オタクコンテンツを探すことを主目標として小学生で初めて一人で行った秋葉原。冒頭の写真で分かる通り私は鉄道オタク「と呼ばれる存在“だった”」ので、よく交通博物館に連れってもらうたびに秋葉原には幼稚園くらいから足を運んでいました。あの頃の秋葉原は秋葉原デパート然り、まだまだホコ天でみんな踊り、そして電気屋がまだまだ残っていた時代でしたね。いまじゃあ考えられないですよね、電気屋がいっぱいあったって。バスケットコートもあったんだぞ。いまじゃダイビルですけど。

4号渋谷線はお勧めです。


 老害化し始めたので、推しという概念を理解していこうと思います。というか今執筆している段階であと15分後には出かける用があるんです。だけど文章を吐き出さないとなんか嫌なので出している次第です。どうしよう。
 というか、今日はカメラを持っていこうか。めんどくさくなってきたな。置いていこうかな。でももっていかないときに限っていい写真が撮れそうな瞬間が来るんだよな。嫌だなぁ。良い写真撮れる瞬間逃すの。

碓氷峠久しぶりに行きたいなぁって


・・・多分私は所謂アレなので。次から次へと話が飛んでしまう。アレやらなきゃこれやらなきゃで結局天手古舞。それなのに人にも任せられない。多分Aから始まるやつなんだろうけど、ボクは認めることはしないことにしてます。勿論、世の中にはそれでお困りの方もいるし、というか自分の周りにそういう人が多いから別に差別するつもりはないし、しっかりと診断してもらって自分の特色に向き合うことは大事だと思うんです。でも多分僕のレベルだと気のせいってやつなんですよ。マネジメント出来ないだけってこと。それだから別にそういう診断もされないだろうし、されたところとてなにもすることは無い。なんでこんなに生きるのって難しいんだろうな。

武蔵新田だったはず


 結局推しという概念は理解できないと思います。だって僕は多分一生好きになったものはとことん追求するだろうし、かといって急に醒めるだろうし。だってこういう人間なんだもん。最近のセミナーでこういう弱点は、「臨機応変に対応できる強み」だと言い換えられますね!って言われたんですけど、世の中そんなに甘いんですかね。分からないです。

最近写ルンです高くてびっくりしてます。あとアクロスも高い。


 今日も頑張りましょう。ちなみに私は久しぶりの休みです。どうしたことかな。タイトルのjiskan-24の意味は、最近PCの表示フォントにしてMS-DOSっぽくしているからしただけです。挙句の果てに今日は適当に写真を貼りました。ヤバいもう出なきゃ遅刻だ。


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