リスペクト

くもだは今、ボディケアのお店でバイトの研修を受けている。研修内容は、手技を教えてもらいそれを研修生同士でする側とされる側の役を切り替えながら行う。朝10時から始まり夕方5時半に終わり、中1時間半の休憩がある。事件はその昼休みに起きた。

昼休みを迎え、ご飯も食べきった後は暇で、他人とも話す気もなく、くもだは1人でラジオを聞いてほくそ笑んでいる訳だが、ある女性がチョコを一緒の研修を受けた人におすそ分けしていて、くもだにもチョコが渡された。。。

何故かくもだはチョコを受け取るが嫌だった。生理的に受け付けなかった。理由は「別にチョコが食べたいわけじゃない」「研修のその場限りの関係なのにそういうことをする意味がわからない」からだと思っていた。(一応チョコは受け取っています。)


家でその話とその理由を話すと「お前は心が狭い」「別に、受け取ってもいいじゃん、何が嫌なの?」等々、とにかく説教を食らっていた。説教を食らっている途中で思い出したことがある。一緒に研修を受けたその女性の手技があまりにも下手だったことを。全て表面を撫でているだけで、全く気持ちよくなく、今まで20人くらいの研修生の手技を受けてきたが、群を抜いて下手だった。指摘したい所が沢山あった。そのことを話すと説教の色が変わっていった。




その説教の結論としては「お前には他人をリスペクトできていない」「その女性のことが嫌いで、だからどんな行動をしても気に食わないんじゃないの?」の2点に収まった。



これを書いているのは、説教された次の日の朝である。寝たことですごく頭の中がまとまったから今、文字起こしをしている。




結局くもだはその女性があまりにも下手で「リスペクト」を失い、「リスペクト」がないために何をされても、チョコを渡されても嫌に感じたのだ。下手だから嫌いになるなんて、やはりくもだの心の器は狭い。自分で書いてても嫌な奴だと思う。

しかし、少し言い訳をさせてもらうと、その女性は母親と年齢が近いくらいなのだ、30歳近く上の赤の他人にそこまで偉そうに生半可な知識で教えれるほどの技量もないのに講釈垂れたくないのだ。しかしそれなら、講師を呼んで教えてもらえば良かったのだ。それが最善なのだ。なのに、なのに、くもだは最善策を選ばなかったのだ、なぜだ、不思議だ。くもだには優しさも欠落している。

毎度のことなのだか、人を貶めようとすると結局自分の足りなさを自覚する。

人にしたことは返ってくるのだ、いいことも悪いことも。

人の悪口を言いたくなる度に、自分の落ち度を見つけては凹むのくりかえしである。

逆に人のいいことを言おうとすれば、自分は満たされるのでしょうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?