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「意識の高い弱者」がプロ奢にハマるな

「意識の高い弱者」がプロ奢にハマると、よくないことがおこる。


プロ奢は強い。自分の考えを言い切れる。炎上するとわかってて、批判的な意見を論破する力を持っている。力を使える環境を作っている。

「嫌なもの全部やめてしまえ」「1つのものを得るために99個のことは諦めろ」「傷つきたくなきゃ解釈を変えろ」

現代社会に生きる僕たちには実行するのが難しい価値観を、プロ奢は平然とやってのける。しかし、そこに痺れても憧れてもいけない。


「家も飯も奢られて生きる」という普通じゃない生き方を何年も続けるには、当然フツーではない人生を送ってきたという予測がつく。フツーではない人生というのは、物事をフツーじゃない角度からみてフツーじゃない解釈をすることで生まれる。


「プロ奢にハマる人」というのは、別にぼくも奢られて生きてみよう!と思っている訳ではなくて、その「プロ奢の考え方や、解釈」にハマるのだ。



プロ奢のnoteを購読すればわかるが彼の書く文章はとても優しい。繊細で、具体的で、自分を大事にする為のヒントを沢山与えてくれる。

夜に読むと特に癒される。しかし、翌日朝起きて、いざ会社に出て仕事をしてみると上司は話を聞かないし、後輩は口答えばかりしてくる。イライラが爆発しそうになるのをなんとか我慢して、酒を飲んで忘れ、体調を崩して、また同じ思いをしに電車に乗る。何も変わらない、いつもと同じ自分。

プロ奢の文章をわかった気になる。やってみようとする。そして「出来ない自分」に直面して、落ち込む。そしてプロ奢の文に癒される。僕のような意識の高い弱者はこのループで苦しむ。アッこれ僕の話ですよ?


プロ奢の言ってることって「こういう物の見方すればいいんじゃない?」っていうことが多いから、一見マネしやすそうなんだよな。頭の中でできることだから。プロ奢っぽく「悟ったことを言うマネ」なら、今日からでも出来てしまう。友達に語ってみたり、妙に強気な口調でツイートしてみたり、アウトプットすると余計に自分が強くなった気がしてしまう。

でも頭の中で真に納得するには体得をしなきゃいけない。

「嫌われる勇気」を読むと「よし、今日から嫌われるのを気にせず生きていこう」と誰しもが誓う。でもその一週間後には好きぴの機嫌を損ねないようにニコニコして、Twitterには自撮りをあげる。知見を得ただけで身になることなんてないんだ。

「何者かになれる」「今いる場所ではない別のどこかへ行く」ことは今まで積み重ねてきた人生をひっくり返そうとするくらい大変なことだ。それを想像できない僕のような弱者は、分かった気になってしまう。

人とは違う解釈を武器にする者、ナンパを武器にする者、アムウェイを武器にする者。

人生逆転ゲームに参加する人、だいたい弱者。



だから僕は、脱奢した。

僕はプロ奢のように強くはなれない。強さを振るえる環境もない。憧れることをやめて、今の自分の現在地を知ることに注力した。


人に嫌われたくなくてすぐ媚びる自分。怒られたくなくて意見を言わない自分。依存されたくて相手の耳障りの良い言葉だけを選ぶ自分。嫉妬深い自分。すぐ他人をジャッジして切り捨てる自分。人の面白い所を見つけるのが下手な自分。理想が高すぎてすぐ自己否定してしまう自分。ぼくの思う「普通」を他人に押し付ける自分。他人の成長を待てない自分。言い返すことができなくて暴力に頼りたくなってしまう自分。大多数と同じで資本主義が好きな自分。性欲が強くやっぱりモテたい自分。競争や優劣が好きな自分。刺激に弱く繊細で疲れやすい自分。素を隠して見栄を張って話す自分。


沢山の弱い自分が浮き彫りになった。そんな自分のまま生きるのは苦しい。けど、そんな自分で生きていくしかないと諦めるように悟った。

すると、変化がおきるようになる。今ある問題を敏感に感知するようになっていった。朝起きて働くのがしんどい、7時間寝ても眠たい、友達と話しててイライラすることが多い、もっと素を出して話したい…

これらの問題は些細なコトだといつも見て見ぬ振りをしていて、大事に捉えていなかった。そして意識高い系の僕は、これまで「克服」を美徳としてきたから「対処」をあえてやってこなかった。ステロイドを減薬ではなくいきなり断薬するような感じ。アトピーの時実際やってみたことがあるが体中ただれてとんでもないことになった。症状がヒドいのに対処療法を一切やらずに根本治療をやるとえらいことになる。(あたりまえ)

自己否定を繰り返しすぎて、そんな当たり前のことをやってこなかった。心の傷を放置しすぎて、ずっと絆創膏を貼り忘れていた感じ。そして僕は9時間寝るようになったり、友達と距離を置いたり、エデンに行ったり、カウンセラーに週3で来てもらったりと素直に問題を対処するようになった。


プロ奢から離れてみて思ったことは僕は人との距離感が下手だということだ。めっちゃ憧れたり、めっちゃシャットアウトしたり。会ったこともないのに「この問題をプロ奢ならどう考えるか」とかいう思考をしていた。会ったこともないのに。今も変わらずプロ奢の文章には唸るし、面白いなと思う。ただそれを取捨選択するのも、実行するのはやはり自分なのだ。だから僕はまたスラムに入った。

プロ奢のオンラインサロン「スラム」では、健康になったらスラムを卒業しようと言われている。そして、プロ奢を卒業できたら、またスラムに入ればいいと思う。


僕が半年離れて得た知見。

プロ奢は、参考までに、ほどほどに。

俳句みたいになった。

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