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ある男の話6

 駅前の休日のスターバックスは、とても人が多い。

 テーブルに向かい合って談笑している人、Macbookを広げて作業をしている人、参考書を見ながら勉強している人。

 どうして、こんなにも人が多く、同じ場所に集まってしまうのだろう。と、ぼんやり考えてみる。
 ふと、ここにいる誰もが、無意識的に、この休日のスターバックスの空間をみんなで共有したい、という気持ちを持っているのかもしれないと思った。
 そして、僕もこの空間の一部らしかった。

「よっ」
 僕が店について数分後、右手にダークモカチップ・フラペチーノを持って沙彩が来た。

 夏休み中に会ったときは明るめの茶髪だったが、今はどちらかというと、暗めの金髪くらいのカラーに変わっていた。

「お兄ちゃんどう?仕事順調?」
「まあまあかな。お前のほうは?」
「なんとか。でも大事な実技の単位ひとつ落としてちょっとヤバい」
「まじか。ダブったらもう学費払わねーから頑張れよ」
「ひぇー」そう言いながら、ストローでフラペチーノをズズッとひと飲みした。

 沙彩の学費は、返済義務のある奨学金と、僕の仕送りとで何とか成り立っている状況だった。
 学費以外の生活費は、彼女のバイト代でまかなっている。運よく、仲のいい友達がルームシェアしてくれることになり、家賃はかなり安く抑えているみたいだった。

「お母さんと連絡とってる?」
「うん。連絡っていうか、変な報告がLINEで来るから、返事したりしなかったり」
「そっか」
「それがどうかした?」
「たまには帰ってあげないといけないかなって。お母さん、もう、おばあさんだしね」
「そりゃそーだけど。元気そうじゃない?元気すぎるくらいに」
「そうかなぁ。そうも思わないけど」

 リアルが充実していそうなLINEが届くので、勝手に元気だと思っていた。
 でも、確かに文面だけでは分からないこともあるか、と、ふと思い直した。

「ねえお兄ちゃん」
「ん?」
「お母さんが母親でよかったと思う?」
少し返答に困り、YESもNOも言わず、はぐらかして答えた。
「お前はどう思うの?」
「そりゃ無茶苦茶だし、大変だったと思うよ。料理全然しないし、毎日飲んだくれてるし、突然いなくなるし。頭坊主の時あったし」
「うん。あったね坊主」僕は笑った。

 とある日、母が椎名林檎みたいなベリーショートにあこがれて床屋に頼んだら、おっちゃんの技術がないせいか、ほぼ坊主にされてしまった。その日は家族三人で、腹がよじれるくらい笑った。

「でもね。私は嫌いではなかった。お兄ちゃんは私の面倒見てくれたし、大変だったと思うけど。私は、お母さんのことは好きではないけど、嫌いとも言い切れない」

 遠回しにお礼を言われた気がして、僕は少し照れくさくなって、行く当てもなくアイスコーヒーのカップに口をつけた。

「私たちをほったらかして、仕事ばっかりしてたのも、今考えたら、私たちを育てることで必死になってたんだと思うの。休日にも、スナックのお客さんや同僚とよく出かけてたけど、それもよく考えたら、お客さんをつなぎとめるのに必死だったのかなって」
「まぁ、それもあるかもな」僕は答えた。

 大人になって初めてわかること、社会人になってからでないと理解できないことも、確かにある。
 そして、大人になることで、許せる過去もあるのかもしれない。
 僕は、服の上から、胸の傷に手をやった。

「とりあえず、次の年末年始くらいにお母さんに一回会いに行かない?私も高校の友達とか会いたいし」

 考えとくよ、と僕は返事をした。

 ほどなくして、これからバイトの予定があるから、と沙彩が早めに切り上げて帰っていった。
 僕は一人残され、あてもなく、名前も知らない外国のBGMを聞きながら、ぼんやりと店内を眺めていた。


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