言葉の役割

何か考える時、友達やパートナーに思いを伝える時、クライアントの前でプレゼンをする時、僕らはいつも言葉を使っている。

言語は人類が持つ固有の特徴の一つだ。言語の発明で僕たちはより詳細な情報を他人に伝えることができるようになり、のちに文字の発達に遠く離れた場所や未来へも情報を伝えることができようになった。言語は人類の叡智と言っていい。

前述のとおり、僕らは何をするにも大体言葉を使って考え、行動をおこすわけで、言葉はすべての基盤になっている。

しかし多くの場合、論理力や文章構成力などが重要視され、言葉自体の機構やそれが持つ役割は無視されている。

言葉ほど僕たちが日々利用しているものは他にないだろう。さらに”言葉は人を作る”といわれるように力は絶大だ。そんな影響力の大きいものを日々使っているんだから、それについてもう一度よく考えなおしてみたら面白そうと思って買った本がめっちゃ面白かったので内容をまとめてみる。

言葉には2つの大きな役割がある。情報を伝える役割感情を伝える役割だ。

情報伝達のために言葉を使う場合、その言葉に正確性論理性などを要する。報告書や論文、報道番組で使用される言語は主としてこの役割を果たしている。この場合は事実をより正確に詳細に伝えるため、感情は入り込まず、言葉(や単語)の細かな定義が重要視される。それゆえ時折仰々しい文になるが、それは伝える情報を精密に表した結果である。また一般に言葉をこの役割で使おうとするとある程度の語彙力や知識が必要になる。学者や弁護士は仕事でこのタイプの言葉を取り扱う。

次に感情を伝えるために言葉を使う場合、これが日常生活で一般に僕たちが使う言葉の役割になる。先ほどとは対照的に、言葉の定義ではなく感情が優位に立つ。当たり前だけど、友達との会話の最中に辞書で各単語の定義なんて調べる人はいないだろう。この場合語彙力は必要なく、反対に言葉のニュアンスやその言葉が想起させる感覚を知っている必要がある。例えば、

先生→普通の学校の教員、教官/教師→ちょっと厳しそう、先公→やんちゃな学校の教員

このように同じ人や物を指す言葉でもニュアンスが違う。僕らは感覚を共有しているのおかげで細部を端折ってもお互いに会話内容を理解することができる。(上の例に共感できない人がいるように)この感覚を共有できていないと、会話内容や相手に違和感を覚えたり、勘違いが起きたりする。少し脱線するが、ここが共有しきれないから全く文化が異なる第二言語でのコミュニケーションは難しい。end, finish, stop, discontinueは各々がほんの少し異なったニュアンスを持っているけど、ESLの人にとっては捉えがたい。日常会話では言葉の細かい定義なんて知らなくとも感覚共有さえできれば、全く問題ない。この感覚共有力が強いギャルや陽キャはコミュ力が大体高い

特に理系の研究者などは常日頃から情報伝達のための言葉(数字も含め)しか扱っていないため、普通の会話でも言葉の定義などを考え、感覚共有ができずコミュ障などと言われることが多い。

この2つ言葉の役割を理解して、適時使い分ける必要がある。混同すると多かれ少なかれ問題をおこす可能性がある。

「昨日あいつはA君を自衛隊の鬼教官のように怒鳴りつけてて、A君は今にも泣きだしそうだった。あいつには血が通っていない、冷酷な奴だ。」

この文は話し手の断定も含んでいる上に、”あいつ”はヒドイ奴で非難されるべきという感覚に訴えてきている。

「私は昨日BさんがA君を叱っているところを見た。A君は叱られて涙目だった。私はなぜそのような状況になったかわからないが、Bさんはすごく怒っていたので私は驚いた。」

どうだろうか?大分”あいつ”(Bさん)の印象が違う気がする。この文は聞き手の感覚に訴えておらず、事実を忠実に述べることにフォーカスしている。このように情報を伝える場合は、事実から離れるべきではない。1つ目の文だと、変な誤解を与える危険がある。

この使い分けと特に2つ目の共有感覚を磨けば、コミュ力が上がるだろうし、自分の言いたいこともより効果的に伝えることができると思う。

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