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花田春兆さん著「脳性マヒの本」

花田春兆さんの、「脳性マヒの本」という本を、図書館で借りて読んだ。

昭和58年の本なので、古いところもあるけど、脳性まひのことが古事記の世界、徳川9代将軍家重の話など歴史から始まり、よくわかるように書いてある。

脳性まひは、当事者から説明するとどういうものか。
「手足やのどや舌そのものには特に欠損や欠陥はないのに、動きが悪かったり異常な動きをするのは、正しい指令が伝わらないから」。
歩け、と指令が出れば、いちいち意識しないでも歩くことができる人と異なり、脳性まひでは一つ一つ意識しなくてはならず、意識することが指令の電波を余計におかしくさせ、自縄自縛の状態にしてしまう。普段ならやれることも、やれなくなってしまう。運動中枢のコントロールがうまくいかず、おじぎをしようとすると逆に身をのけぞったりしてしまうこともあるという。意識すればするほど悪い状態を招きかねないのが脳性麻痺だ、とまとめている。
私が関わったある人の理解に際し、大変腑に落ちるものだった。

そして、最近関わった生活介護事業所に関して考えさせられた指摘が、人間にとって一番堪えがたいのは、やることがないことだ、というものだった。
太平洋戦争中の傷痍軍人の療養所で暴動めいたことが起きた際、地元の婦人たちの竹細工を習いこれがもらわれてゆき、買われていくことで、「外の社会と結ばれているという実感」が充実感をもたらしたのか、平静さを取り戻したというエピソードが紹介されていた。生活介護事業所でも必要なのはこれではないかと思う。作業には何か意味を持つように、その意味を持たせて社会と繋げていくのが支援員の仕事ではないかと思った。

刑事裁判に関わる話題として、親による障害児殺しの減刑嘆願に、青い芝の会が抗議声明を出したこと。障害児だから殺されても減刑なんていう判決を赦してはいけないという強い思いからだそうだ。「もしこうした場合の減刑が、いとも安易に認められるようになると、本当に苦労してこの子どもたちを必死になって育てている親たちが、どんな気持ちになるか。」この視点を忘れてはいけないと思った。

もう一つ、出生前診断に関する話。障害をなくすようにすることと、障害者がうまれないようにするというのは、雲泥の差がある。相模原事件のことをも考えさせられるような話が書かれていた。
最近関わった人に、出生前診断の対象となる病気を持った人がいた。正直言って、最初であったときは面食らったけど、結局、一緒にいるととても楽しかった。出生前診断でそのような人が生を受ける機会を失ってしまうなんていやだ、と一面で強く思うが、親が非常に大変な思いをすることも事実だろう。「どんな子が生まれても引き受けるような気概がなければ軽々しく親になってはいけない」なんて、いま、自分は言えないし、言える人もいないだろう。でも、だからこそ、「どんな子であっても、みんなで育てていける社会」を目指したい。だんだん、そうなっていることを信じているし、これからもそうしていきたい。

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