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「敵だけ楽しそう」は素晴らしいこと(エルデンリング)

「敵だけ楽しそう」と言えば、エルデンリングに対する批判の中では恐らく最も有名なアレである。

だがしかし、本当に「敵だけ楽しそう」なのは悪いことなのだろうか?
ちなみに私はエルデンリングの全ボスを仕留めてあるし、DLCのボスも全て処理済みだ。
プレイスタイルとしては使える物は全て使うようにしてる、何故かと言えばそっちの方が楽しいからである。
エルデン以外のソウル系もデモンズ、ダクソ、ブラボ、セキロとやり尽くしている。
そして気が向けば回復縛りや武器縛りなどもやって遊ぶタイプだ。
その上で「敵だけ楽しそう」とはエルデンリングに限らず他のフロムゲーにも対する的確なレビューに思う。
けれども、私はどれだけ考えてもそれが褒め言葉にしか思えなかった。

逆に考えて見てほしい。
仮に「敵だけつまんなそう」だとしたらどうだろうか?
敵だけつまんなそうな状況を簡単に再現するなら、
それこそエルデンリングで鍛え上げたキャラで2周目に行き、
序盤のボスを相手にして高強靱状態で鍛え上げた武器から強い戦技でもぶっ放せば良い。
ボスの方々は何も出来ずに死んでゆくであろう。
ここで疑問が生まれる。

果たしてこれは楽しいのか?だ。

少なくとも私は全く楽しくない。
一方的な虐殺とは単なる作業である。
つまりは「敵だけつまんなそう」とは「自分もつまらない」のだ。

さて、今度は「敵も自分も楽しそう」なゲームについて考えてみたい。

結論から書くがそういうゲームも楽しい。
デビルメイクライ辺りが正にこの枠だと思う。
それならば「敵も自分も楽しそう」なゲームだけでいいのでは?と思いそうだが全くそうではない。

「敵だけ楽しそう」に思えるゲームとは、まず前提として敵のモーション関連がしっかりとしてなければならない。
自然な攻撃の動き、エフェクト、効果音…などなどの色々な要素がしっかりと作り込まれて無ければ楽しそうには見えないからだ。

それでいてキチンと付け入る隙もあり、コイツめちゃくちゃ強いけど頑張れば倒せそうやな…と思える程度じゃなければ「敵だけ楽しそう」な状況にはなり得ない。
上記でも書いたが一方的な虐殺は面白くないのである。
極端な話、敵がガード不可能な全方位の即死攻撃でも使えばプレイヤーは何も出来ずに死ぬ。
そんな状態では「敵だけ楽しそう」にはならないのだ。

ここからは敵の視点とプレイヤーの視点で「敵だけ楽しそう」について考えてみる。

まず敵からの視点だ。
恐らく誰でも遭遇が出来るであろうマルギットさんを仮想敵としてみる。
マルギットは序盤のボスにしては異様に強い上に攻撃パターンも多彩で近距離攻撃も遠距離攻撃も使い、攻撃にディレイまで掛けてくる。
そして対する褪せ人の方々はこの時点ではしょぼい装備やしょぼい技しか持っていないから果てしなく弱い。
数回小突けば勝ててしまう。

では、実際はどうか?

そのしょぼい褪せ人に攻撃を避けられたり受けられたり弾かれてしまうのだ。
どう考えても自分の方が強いのに何故か攻撃が当たらない、それどころか隙を付いて殴り掛かって来る。
そして仮に殺しても何度でも蘇って挑戦してくる。
仮に私がマルギットならこう思うであろう。

「…ほう、侮れぬものだな。」

ぱっと見では明らかに格下に思ってた奴が予想以上に強かった。
しかも何度殺しても挑んでくる上にその度に強くなってゆく。
これは燃えると思う。
だからこそ、途中から本気を出して戦い始めるのだ。
私がマルギットならば楽しくて仕方がない。

次はプレイヤー視点だ。
自分はしょぼすぎる装備や技しか持ってないのに敵があまりにも強すぎる。
初見遭遇時は「こんなんに勝てるのか…?」としか思えないであろう。
だが、こんなしょぼい装備でも殴れば敵は痛がるし攻撃も何とか防げるし避ける事も出来る。

つまりは頑張れば殺せるのだ。

どう考えても格下な自分が明らかに格上な敵を殺せてしまう。
そしてその対峙している強敵が、

「…ほう、侮れるものだな。」

と、こちらの実力を認めて本気を出してくるのである。
こんなの楽しくなるとしか思えないし実際に楽しい。

つまりは一見すると「敵だけ楽しそう」な状況も実際にはお互いに楽しんでいるのである。

話は変わるがソウル系で良ボス扱いされてる奴等は基本的に「敵だけ楽しそう」な奴等しか居ない。
例えばクソで有名であろうダクソ1の混沌の苗床なんぞは敵も全く楽しそうに見えないし当然に自分も楽しくないし実際二度とやりたくない。

結局の所、「敵だけ楽しそう」に思える強敵を力でねじ伏せぶち殺すのが楽しいのだ。
少なくとも私はそれが楽しくて仕方がない。

だからこそ、私としては今後も「敵だけ楽しそう」なゲームが遊びたい。
こんなんどう考えても倒せないだろ…?と装備を1から見直したり、どうすれば殺せるか…?と試行錯誤しなければ倒せない程度の強敵と遭遇した時が最も楽しい。
そして試行錯誤の結果で、

「行儀のよいふりは、もうやめだ。」

と、なりふり構わず汚い手段を用いる程度には追い詰められる時が一番楽しい。

何故かと言えばゲーム内ではあくまで英雄だの神だのに対してクソ雑魚枠の主人公が挑んでいる訳であるが、視点を引いて考えれば所詮は単なるゲームなのだ。

そして、高次元にいる我々プレイヤーの方がゲーム内で対峙している英雄や神よりも遥かに格上なのである。

そのはずなのに高次元の神である我々がボロクソに殺されまくっている。
ならば、当然にこう思うであろう。

「…ほう、侮れぬものだな。」

つまるところ、ソウルシリーズの面白さとはそこにあると私は思う。
楽しそうにしている敵と殺し殺されじゃれ合って遊んでるのが楽しいからこそ、文句を言いつつも我々は挑み遊び続けているのである。

神である我々は幾度ゲーム内で殺されようが本体は無傷だ。
そして相手を殺すまで何度でも蘇り挑み続けられる。
それを敵側の視点で考えて見て欲しい。 
それこそ、

「敵だけ楽しそう」

であると思う。
だが、我々がぶち殺してきた奴等はそれでも楽しそうにしている。

結論:お互いに「敵だけ楽しそう」に思っているし、実際にはお互いに楽しんでる。

動画も画像も無しだとなんか殺風景なのでラダゴンと遊んでる動画を添えて〆だ!

(ω'` )┛ デエエエエエエエッデエエエエエエエエエエエエエンンン!!!

(´'ω')b