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なぜ人は「神」を信じるのか:デュルケムの宗教社会学と儀礼

宗教という営み

有史以来,どのような人間社会においても,宗教は重要な役割を担ってきました.キリスト教やイスラム教,仏教にユダヤ教など様々な宗教を思い起こせば,宗教にはなにか信じる対象(あるいは拝む,ないし到達すべき対象)があります.しかし,その対象を直接目にすることはたいていの場合ありません.たとえば仏教には仏像というものがありますが,それは「仏」を形どったもので「仏」そのものではありません.ほかの宗教であっても同様です(あるいは,像を作ることをそもそも禁止している宗教もありますね).

ここで素朴な疑問が生まれます.なぜ人々は「目に見えないものの存在」を信じているのでしょうか.これは宗教を信じる人に限りません.日本人はよく自らを「無宗教だ」と言いますが,「バチがあたる」や「おてんとうさまが見ている」など「目に見えないなにか」に言及することは少なくありません.また,どこかで「因果応報」的な側面が信じられているのも,「目に見えないなにかが悪いことをしたやつを懲らしめるんだ」という考えが片隅にあるからではないでしょうか.このように,「目に見えないものの存在」を信じることは珍しくありません.

この問いに対して「儀礼」と「信念」という観点から議論をしたのが,フランスの社会学者エミール・デュルケムです.彼もマックス・ウェーバーと並び社会学の祖の一人として並べられる社会学者です.今回はこのデュルケムが論じる宗教を見てみましょう.

宗教とルール

フランスの社会学者であったエミール・デュルケムは,宗教を「ひとびとのいとなみ」から見直すことにしました.ヨーロッパで主流の宗教であるキリスト教を例に見てみましょう.キリスト教はご存じの通り,旧約・新約聖書を聖典とし,イエス・キリストを神と信じる宗教です.毎週日曜日は教会に集まり,礼拝を行います.

礼拝も含めて,キリスト教にはさまざまな「ルール」があります.キリスト教やユダヤ教では「律法」と呼ばれています.最も有名なのはモーセの十戒です.モーセが神と交わした10個の約束事からなるルールです.

十戒に示されたルールのうち,3つの「すべきこと」と7つの「してはいけないこと」から構成されます.「すべきこと」は「主は唯一の神であることを認める」「安息日に休む」「父母を敬う」の3つ,「してはいけないこと」は「偶像を作らない」「神の名をみだりに唱えない」「殺人」「姦淫」「盗み」「隣人に偽証しない」「隣人の家・財産をむさぼってはいけない」の7つです.人々はこのようなルール(ひょっとしたらその社会の道徳と呼んでもよいかもしれません)を頭にいれながら生活し,礼拝に参加しています.このような宗教的なルールは儀礼と呼ばれます.

儀礼が「信じるなにか」を立ち上がらせる

十戒を見ればわかるように,宗教には多かれ少なかれ「すべきこと」と「してはいけないこと」があります.宗教上の守るべきルールを儀礼と呼びます.この儀礼をデュルケームは2つに分けました.「すべきこと」の儀礼である「積極的儀礼」,「してはいけないこと」の儀礼である「消極的儀礼」の2つです.

デュルケームは,積極的儀礼は「自らの信仰・宗教的認識を再確認・強化するため」に,消極的儀礼は「聖なるものと俗なるものの区別を明確にするため」にあるのだ,と述べています.十戒を見るとこのデュルケームが示唆していることがよく理解できると思います.「すべきこと」にある「主は唯一の神であることを認める」「安息日に休む」はまさに直接的に信仰を強める方向に働き,「してはいけないこと」にある「偶像を作らない」「神の名をみだりに唱えない」は日常生活(俗)から宗教生活(聖)を区別する指針を明記しています.デュルケームはこのような宗教的儀礼によって,人々は見えなくとも「神」を信じ,宗教的な信仰を抱き続けるのだ,と述べています.

このような状態は儀礼を通して集合意識が築かれた,とデュルケーム流に表現されます.つまり,個人を超え,共通の考えが集団間で共有され,その共通の考えが個人の行動や意識に影響を与える状態です.

日本における儀礼と宗教:お葬式を例に

日本人にとって,この儀礼を意識するのはお葬式のときでしょう.典型的なお葬式は,お坊さんがお経を読み上げ,その後ろに参列者が座っています.順番に参列者がお焼香をし,亡くなった方を見送ります.火葬場では二人で箸を使い遺骨を骨壺に入れます.このお葬式には「すべきこと」と「してはいけないこと」があふれています.私たちはそれを「マナー」として気遣い,尊重します.

日本人の多くは明確な「宗教」を持っていません.にも関わらず葬式には様々なルールがあり,人々はそれを守ります.それは,私たちが宗教的な信仰を認識していなかったとしても,そこにある「見えない何か」,具体的には亡くなった人への意識を強めようとしているからではないでしょうか.その共通認識は,お葬式の場のみならず,その後の参列者の人生にも「亡くなった人への思い」(例:「死んだ人に顔向けできない」)は影響を与えます.ここにデュルケームのいうところの集合意識が表れているのではないでしょうか.

参考文献

今回は以下の本を参考にしています.詳しく知りたい方はこちらの本をお読みください.

  デュルケーム/デュルケーム学派研究会著,中島道男・岡崎宏樹,小川伸彦,山田陽子編, 2021, 『社会学の基本――デュルケームの論点』 学文社.
  Collins, Randall, 1992, SOCIOLOGICAL INSIGHT: An Introduction to Non-Obvious Sociology Second Edition, Oxford University Press: New York.(=井上俊・磯部卓三,2013, 『脱常識の社会学 第二版――社会の読み方入門』 岩波書店.)