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なぜ愛媛でSUICAが使えないのか?(3) 〜 サイバネ規格の導入コストは?

前回までのあらすじ

Suica が愛媛で使えないことを調べはじめたところ、サイバネ規格に対応していないことがその理由らしいので、サイバネ規格を断念する理由を調べはじめると、どうやら導入・維持コストがかかるためのようだ。

では実際にサイバネ規格に準拠するための時間や費用がどのくらいかかったのかを伊予鉄道の事例について探そうとしたが見つからなかったので、他県の事例を調べてみることにした。

事例(1) 沖縄(OKICA)


まず沖縄の OKICA の話。非常に経緯を細かくまとめている方がいらっしゃったのですぐに見付けることができた。

この記事によると、OKICA がサイバネ規格を断念した理由は次の 3 つだ。

(1) 導入費用、維持費用が割高になるため
(2) 様々な独自券種を引き継がないといけない
(3) 路線変更申請に時間がかかるため

那覇議会の平成 26 年 9 月議事録に、費用の具体的な数字が掲載されている。[2],[3]

ICカードオキカのシステム開発につきましては、沖縄県企画部に確認をいたしましたところ、ICカードは県内利用に特化した独自規格で、導入事業費で約 27 億円、毎年の運営費で約 5,000 万円を想定しているとのことであります。
一方で、スイカ等と相互利用を行うためには、独自規格と比較して、導入事業費で約2倍、運営費で約4倍のコスト増が見込まれることから、公共交通事業者等の負担が大きいことや独自の拡張サービスの展開に制限があることなど、当該検討委員会において総合的に検討した上で独自規格を採用したとのことであります。
なお、ICカードオキカの開発及び車載機器の導入などの総事業費については、約 27 億円のうち8割を沖縄県が沖縄振興特別推進交付金を活用して補助し、残りの2割を公共交通事業者等で負担するとのことであります。

沖縄 IC カードの従業員のコメントによると、補助金で負担が可能な導入費用よりも補助金が使えない運営費用がボトルネックとなり、更に「路線変更の申請時間」については、路線変更の 2 年前の申請が必要になってくる。[4]

まとめると、OKICA がサイバネ規格を断念した理由と具体的数字は次の通りになる。

(1) 導入費用、運営費用が割高になるため(導入で 2 倍、運営で 4 倍)
(2) 様々な独自券種を引き継がないといけない(サイバネ規格では対応不可)
(3) 路線変更申請に時間がかかるため(2 年前の変更申請が必要)

事例(2) 長野(KURURU)

長野市の IC カードに関する検討資料([5], [6])に、詳細な比較検討が記載されていた。検討段階ではSuica との相互利用についてのメリット・デメリットが次のようにまとめられていた。

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特に興味深いのは、デメリットの項目にある「JRの試験場での検査確認が必要」「導入までに時間を要する(3年程度)」という点だ。交通系ICカードのエリアまたぎについての膨大なテストパターンについての記事にPASMOがSuicaと接続するためのテストについての具体的数字が記載されていた。[7]

さらに、PASMOとSuicaで使用する駅務機器およそ200種類を使用した総合試験は、2005(平成17)年10月から1年4か月をかけて、約40万件に上ったそうです。Suica導入時は合計およそ6万件だったといいますから、ほかの交通系ICカードシステムと一体化するためには、膨大なパターンの検証が必要になることが分かります。

単にサイバネ規格に準拠しているだけでは事前条件を満たしているに過ぎなく、実際の運用で不具合がないかはテストで確認するしかなく、そのテスト工数はJRの試験場においてかなり(1年)かかってしまうということだ。

また長野市の検討資料では、ICカードシステムを(1) SUICAと相互利用、(2) SUICA片利用、(3) サイバネ規格(SUICA利用は含まない)、(4) 独自仕様(=非サイバネ規格)での4つのパターンに分けて比較検討をしていた。

この検討資料を見るとSUICAと相互利用/片利用することにより地域住民、観光客の利便性向上と構築・運営費用と時間のトレードオフがあるようだ。

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長野の場合、費用については独自仕様(非サイバネ規格)の場合の概算費用を 4~5億円、サイバネ規格採用の場合の概算費用を5~7億円と見積もっている。(運営費については数字は記載されていない) 数字の規模感や、割合は沖縄の事例とは異なるが、数億円は差があることは明らかだ。

長野市は最終的にはJR在来線にSuica が導入されていない(2009年時点)ということもあり10カードの相互利用が進まないと判断してKURURUを独自仕様(非サイバネ規格)で開発しリリースした。現時点(2020 年 3 月)で、KURURU と Suica を含む 10 カード との相互利用や片利用は実現されていない。

事例(3) 熊本地域振興 IC カード

熊本市の『平成25年度 第3回熊本市公共交通協議会』の参考資料に含まれている『熊本地区への IC カード導入に関する検討結果報告書』にて導入および運営コストの具体形な比較検討が掲載されていた。[8]

検討資料によると、地域独自方式(非サイバネ規格)、地域+片利用方式(サイバネ規格+10 カード対応)、相互利用方式(既存の 10 カードのシステムを利用し導入)の三種類を比較し、それぞれの要件対する対応と費用を比較検討している。

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単純な費用(初期費用+10 年間の運営費用)を比較すると、地域独自方式が最も費用がかからず 20 億円程度となり、地域+片利用方式、相互利用方式は 27 億円程度となっている。

費用の内訳を見ると、導入の構築費用は、地域独自方式の 1.2 倍程度であるが、運用費については、相互利用方式は地域独自方式の約 2 倍、手数料が約 3 倍となっている。10カードに対応するシステム構築費用よりも運営費用の負担が大きいことがわかる。

興味深い点としては、熊本市の場合は県や市の補助金が地域独自方式(=非サイバネ規格)の場合は利用できないと書かれてある点だ。沖縄の場合は「非サイバ規格の導入費の8割を補助金でまかなった」とあるので、この辺りは県や市によって異なるのだろう。

また熊本市の場合、当初は相互利用(=サイバネ規格で10カードとの相互利用)を考えていたものを、民間事業者が地域カード(=非サイバネ規格)や、地域カードの片利用(=サイバネ規格であるが独自カード)を提案したという経緯があった。([8]の資料3より)

事例(1)の沖縄、事例(2)の長野については、近隣のJRが10カードに対応していない環境であった。一方熊本市の場合は、JR九州が既に10カードのひとつであるSUGOCAを導入済みであり熊本県内に対応駅が増えていた。そのため熊本市においては10カードへの対応を促進させる動機付けが先の事例よりも強かったと考えられる。

事例(4) 片利用の対応費用

ここまでに紹介したのは、ICカード導入時の費用算出が中心であったが、実際にサイバネ規格でICカード導入し、後に10 カードに片利用で対応した時の費用はどの程度なのだろうか?

熊本県バス協会等の「くまモンの IC CARD」と、香川の「IruCa」を片利用サービスを導入した際のコストについての記載があった。[9] 「くまモンの IC CARD」は事例(3)の熊本地域振興 IC カードのことだ。

熊本県バス協会等(鉄道 18 駅 8 編成、バス約 1000 台)が導入済の地域独自カード「くまモンの IC CARD(熊本地域振興 IC カード)」に、2016 年 3 月に 10 カードの片利用を導入した際の費用は約 8 億円(熊本県バス協会)に上る。
(中略)
同じく地域独自カード「IruCa(イルカ)」が導入済みの高松琴平電気鉄道(琴電)は、2018 年 3 月 3 日からバスを除く琴平線・長尾線・志度線の合計 52 駅で 10 カードの片利用を開始するが、その総事業費は 8.37 億円だ。

この二事例の上記コストは既に導入済みのサイバネ規格の IC カードを 10 カードとの片利用させるための追加事業費だ

これは、前述した長野市の検討資料のICカード導入の4パターンのうちのケース3(サイバネ規格は担保するが、導入時点では片利用は実施しない)での導入後に、改めて片利用を開始する際には、先に紹介したテスト工数を含めた追加費用がかかってしまうということだ。

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まとめ:サイバネ規格に準拠すると何が増えるのか

これまでの事例を総合すると、サイバネ規格に対応すると独自規格(非サイバネ規格)と比べて次のようになることがわかった。

費用について

・新規導入費用は1.2〜2.0倍になるが補助金を利用して事業者負担を減らすことは可能。
・片利用/相互利用を実現する場合は維持費用は2〜4倍になり補助金が使用できないため100%事業者負担となる。
・サイバネ規格を担保しながら後で片利用に対応しようとすると追加費用は数億円になる(駅数に依存する)。

時間について

・導入までの期間は長くなり、JRの試験場でのテストに1年の時間を要する
・駅の変更申請は2年前に必要になる

その他
・ICカードの割引などのプレミアサービスに制限がかかってしまう

これらを総合すると、 地方の公共交通機関においてサイバネ規格に対応するということは、相互利用や片利用に対応することによる利便性の向上に対して、導入費用よりもむしろ維持費用の負担というトレードオフが発生するということ、更に様々な券種やきめこまやかなサービスを提供しようとするとサイバネ規格の仕様は制約になるということもわかった。

新たな疑問〜なぜIruCaはサイバネ規格を選んだのか?

これまでの調査の結果、交通系ICカードをサイバネ規格に対応することは、運営費用の負担が大きく中小規模都市においては採算がとれなくなるリスクのある投資だということがわかった。

ここで不思議に感じるのは「なぜ香川の琴電はIruCaをサイバネ規格にするという決断をしたのだろうか?」という点だ。

事例(3)の熊本市がサイバネ規格を選んだのは、JR九州が既にSUGOCAを採用して県内に広まっていた理由があった。更に熊本市の人口は導入時点の2015年では74万人であり100万人には届かないものの地方都市の中では大きな部類に入るため運営費の回収についても実現可能と判断したのだろう。

一方香川ではIruCaがサービスを開始した2005年時点ではJR四国は10カードのいずれとも連携していなかった。(現在はICOCAが一部の駅で使えるようになっている)

高松人口

更に2005年当時の高松市の人口はおよそ33.8万人であり、同じ四国の愛媛県松山市の2005年時点の人口(51.5万人)と比べてもおよそ18万人少ない。同じようにサイバネ規格を断念した事例(1)の那覇市がおよそ31万人なのでさほど変わらないように思える。

このような状況では伊予鉄道と同様にICカードはサイバネ規格の採用を断念しても無理はないはずだが、現実にはIruCaはサイバネ規格を選択し後に10カードとの片利用を実現した

次回はこのような逆風の状況にありながらも「なぜ琴電はサイバネ規格を選んだのか?」について調べてみたい。

参考文献

[1] 「沖縄県初の交通系 IC カード『OKICA』が独自の規格を採用した理由とは? | ペイメントナビ」. 2016. 2016 年 10 月 25 日. https://paymentnavi.com/paymentnews/60895.html.

[2] ず@沖縄. 2017. 「SUICA が沖縄でも利用可能に? 片利用共通接続システムについて」. ず@沖縄. 2017 年 5 月 16 日. https://www.zukeran.org/shin/d/2017/05/16/okica-suica-relation/.

[3] 「平成26年 9月定例会-09 月 18 日-07 号 都市計画部長(兼次俊正) P.349」. http://www.gikai.city.naha.okinawa.jp/voices/CGI/voiweb.exe?ACT=203&KENSAKU=0&SORT=0&KTYP=0,1,2,3&KGTP=1,2&TITLSUBT=%95%BD%90%AC%82Q%82U%94N%81@%82X%8C%8E%92%E8%97%E1%89%EF%81%7C09%8C%8E18%93%FA-07%8D%86&HUID=129557&KGNO=161&FINO=1093&HATSUGENMODE=0&HYOUJIMODE=0&STYLE=.

[4] 「オキカ(OKICA)で改札を一番に通りたい」. 日付なし. 沖縄 B 級ポータル - DEEokinawa(でぃーおきなわ). 参照 2020 年 2 月 29 日. http://www.dee-okinawa.com/topics/2014/10/okica.html.

[5] 長野市公共交通活性化・再生協議会. 2009. 「長野市地域公共交通総合連携計画 ~IC カード導入に向けた検討~」. https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/25919.pdf.

[6] 「資料 7 IC カード導入検討概要版(協議会修正)」. 2009. presented at the 第5回長野市公共交通活性化・再生協議会, 10 月 28. https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/25943.pdf.

[7] 「交通系ICカード『エリアまたぎ』の利用なぜ難しい? JRで東京から沼津は不可」.  乗りものニュース. https://trafficnews.jp/post/83390.

[8] 平成25年度 第2回熊本市公共交通協議会. 2013. http://www.city.kumamoto.jp/common/UploadFileDsp.aspx?c_id=5&id=2432&subid=1&flid=13975.

[9] 「交通系 IC カード「導入費用」は半端じゃない | 通勤電車」. 2018. 東洋経済オンライン. 2018 年 3 月 24 日. https://toyokeizai.net/articles/-/213356.

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