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ULTRA-TRAIL Mt.FUJI 2023~はじめての100マイルレース完走記(3) まさかの復活そして感謝と共に...

はじめに

「いつかは100マイラーに!」

11年前、近所を走るところから始まったランニングという趣味は、フルマラソン、100kmマラソンを経て、グレートレースで紹介されるようなウルトラディスタンスのトレイルレースに進化し、100マイル(160km以上)の山岳レースを自分の足で完走したい、という夢を見るようにまでなった。

進化するビジョン、成功と挫折、夢の実現までの記録をしたためました。

これまでのあらすじ

パート1 準備編

ふとしたきっかけから走ることを初めて、順調に結果を残し、進化するビジョンに従って距離を伸ばしていくが、壁にぶつかり、これからという時にコロナ禍でモチベーションが急降下。そこから、再び100マイルレースへの挑戦を決めるまで。

パート2 レース前半編

事前にできることをすべてやり、過去の反省を生かしてレース戦略を立てて臨んだFUJI 100マイルレースが始まった。しかし、恐れていたトラブルが発生しピンチに陥いる。(スタート〜F5まで)

F5~F6(忍野):初めて越えた完走ペース

F5~F6区間 16km

F6忍野までの区間は、F5エイドで補給ができて少し元気がでて、思ったよりもよいペースで進むことができた。そういえば「熊出没注意」の区間があったので、そこは必死に走って抜けた記憶がある。

この区間は、コース途中にあった道の駅 富士吉田の自販機で補給できたのがとてもよかった。これまでほとんど甘いものばかり食べていて、口の中が気持ち悪いので、片方のフラスクに緑茶を入れた。なんとなく濃い緑茶を買ったが、この思い付きが後半戦に重要な役目を果してくれた。

他にもビタミン系の炭酸飲料や、胃腸にやさしそうなヤクルトをその場で飲んだ。実はこの道の駅が一番補給が充実したエイド(?)だったかもしれない。

この区間もロードが比較的長かったが、元気な女性ランナーにひっぱってもらってなるべく走るようにした。途中の上りも結構きつかったが、眺めがよく思わず写真を撮ってしまった。

忍草(しぼ)山からの景色

ロードを頑張ったおかげで、この区間で初めて完走ペースよりも30分速いラップを記録することができた。F6 忍野エイドに到着したのは4/22 18時8分。

F6~F7(〜山中湖きらら):楽しい会話と木段地獄

~F7 12.3km

F6忍野までの区間で話しかけたランナーAさんと、忍野エイドから一緒にスタートし、並走して話をしながら進んだ。

名古屋から来たAさんは、UTMFはこれまで何度も完走したりボランティア経験があるそうだ。今回は家族がサポーターをしてくれているそうなので、自分が「サポートなしで走っている」と言うととても驚かれた。確かにサポーターがいたら、一人とくらべてどれほど楽なのだろうか?

そのAさんも、次のF7山中湖きららでリタイヤするつもりだと話していた。Aさんの話によると、その先の杓子山を越えるのは体力的にも時間的にも厳しそうだという話だった。(その後Aさんとは登りパートではぐれてしまったがどうしたのだろう?)

区間後半の大平山の上りと下りは、木段が多く段差も高いためかなり時間がかかった。特に下りの木段は、脇から下りて楽をしたい欲求にかられたが、コース整備の方が土嚢を使って丁寧に木段を修復してくれていたので、きついが丁寧に木段を下ることにした。

(実は、木段がきつかった場所があったのは覚えているがどの区間なのかは記憶になかった。レース後にブリーフィングの動画を見た時に、六花さんが大平山の木段の整備の話をしていたのでおそらくこの区間なのだろう。)

F7 エイドに到着

木段の上り下りに辟易しながらも、ようやく降りることができて、F7 山中湖きららに到着したのは4/22 21時を過ぎていた。

F7~F8(〜二十曲峠):奇跡の復活、緑茶の力

F7~F8 13.5km

F8の二十曲峠はリタイア禁止のエイドなので、実質F7きららを出発すると、難所の杓子山を強制的にアタックすることになり、F9の富士吉田を目指さなければならなくなる。

Aさんから「杓子山を超えるのはきつい」「その手前の石割山までの登りが偽ピークがいくつもあってきつい」と聞いていた。その話を聞いてから、

「先に進むか、諦めるかは、F7エイドで最終的に判断しよう」

ということを頭の片隅にとどめておいた。

F7エイドに到着すると豚汁、塩むすびを配っていた。とっさに「豚汁に塩むすびを入れて食べてみよう」と思いついた。

この温かい豚汁やおにぎりを食べれないなら、この先に進むのは諦めたほうがいいのかもしれない…

温かい豚汁に、冷えた塩むすびを入れ、少し混ぜてから、恐る恐る口にしてみると…なんと、とても美味しく食べることができた

ここまで、胃腸の回復の兆しはあったが、固形物を口にする時には常に不安が拭えなかった。

「すぐに吐いてしまうのではないか」
「後からまた吐き気が襲ってくるのではないか」

しかし難所の手前でようやく、安心して固形物をしっかり食べることができた。食中も、食後も、気持ちも悪くならない。

自分にとってこれは奇跡だと思った。

よくみると「お一人二杯まで」と札が書き換えられていたので、もう一杯豚汁+塩むすびを食べて、久しぶりにお腹が満たされた。(早くきららエイドを通過した人は豚汁は一人一杯に限定されていたらしい)

こんなにしっかり食べたのはスタート前の昼食以来だ。しっかり食べ、心にも余裕が出き、杓子山にアタックするためエイドを出た。

腹巻きと緑茶で難所に向かう

エイドを出て直ぐに、道に迷っているランナーBさんがいたので、2人でルートを見つけて一緒にそのまま走っていった。

Bさんは鹿児島から来ていて、Aさん同様、昨年のUTMFも完走している。昨年はショートコースだったのでフルコースを完走したく再チャレンジしたそうだ。2人で途中話をしながら進んでいたが、登りに入って会話も少なくなりはぐれてしまった。

二十曲峠までは、暗闇の中をひたすら登り続けた。地図上でみるとそれほどきつそうではないが、実際に進んでみると、同じような登り→平坦→登り→平坦がひたすら続く。夜なので周囲の景色が見えないため、余計に同じように感じたのかもしれない。

この区間はkm-effort値では中程度であるが、キロ標高で計算すると全区間中トップ(66.07m/キロ)だった。累積標高が最高区間のF1~F2(55.22m/キロ)と比べても登りの比率が高い。昨年走ったAさんが「キツかった」と言っていたが、数字上でもその通りだった。

F7エイドスタート時点で、夜が冷えることを想定しフル装備(上下ともに保温ウェア+レインウェア+Alpha haramaki)を着込んで進んでいた。しかし思ったよりも気温が低くなく、登りで暑くなったので保温ウェアは途中で脱いだ。お腹の冷えはAlpha haramakiを装着していたので問題なさそうだ。

物は食べれるようにはなったが、気分の悪さはまだ少し残っていた。その時に助かったのは緑茶の清涼感だった。道の駅で買った緑茶は「濃い緑茶」だった。おかげ、飲んで減った分の水を足しても、まだ充分緑茶感が残っていた。緑茶を飲むと口内に爽やかさが広がり、おもわず「うまい」と口に出る。人生でペットボトルの緑茶をこれほど美味しいと感じたことはなかった。

偽ピークを何度も越えて、石割山の山頂横を通りすぎ、ようやく二十曲峠に辿りついた時点で、4/23の2:30を過ぎていた。

F8~F9(富士吉田):リミッターを破る

F8~F9 11.8km

結果はどうあれ行くしかない

F8に辿りついた時点で、最大の難関と呼ばれる杓子山へのアタックは決まった。エイドでレース記録をとっているSUUNTOのGPSウォッチへの充電をしながら食料補給をしていた。

すると、エイドのボランティアから

次のエイドの関門まで4時間を切りました

とアナウンスがあった。

完走ペースでは、F8~F9区間は3時間半で到着することになっている。しかし、今の自分にとって、残り4時間という時間が進むのに妥当な時間なのか、足りないのかの判断がつかない。

今回のレースは、前半で胃腸トラブルによって食べれなくなり、最悪リタイアも覚悟していたが、F7エイドで思いがけず回復した。自分にとってこの復活劇は天からの贈り物だった。このチャンスを貰ったからには「この先の結果はどうあれ、前を向いて進むしかない、進みたい」と思い、急いでエイドを出発した。

後ろに戻る人、前に進む人

杓子山に向う道中もひたすら登りが続く。有名な岩場があとどれくらいなのかもわからない。先行するランナーについていこうとしたが、登りが速くて置いていかれた。仕方なく一人でひたすら反射するコースマーカーを目印に、暗闇の中を進む。

すると、前方から逆にこちらに向って歩いてくるランナーがいた。逆方向に歩いてくる意図がわからないので、不思議に思って声を掛けた。

自分:「どうかしたんですか?」
ランナー:「自分には(杓子山は)これは無理だと思ったので戻ります」

そう、彼は、杓子山のアタックを諦めてエイドに戻ろうとしていたのだ。彼が戻ろうとしているF7 二十曲峠エイドは、事前に何度も「リタイア禁止」ということを知らされている。

彼も当然そのことを知っているはずだが、知っていても「戻るしかない」と判断するほどのものだったのだろう。眼前で見ただけで「これは無理」と圧倒されてしまうほどのものなのだろうか?

実際に見たことのない自分にとっては想像もつかないが、圧倒された人を見たからと言って、自分の心が折れるわけにもいかない。

自分:「そうなんですね。僕はとりあえず行って自分の目で確かめます。」

そう彼に伝え、互いの方向に進んだ。

「諦めること」を判断するのも大切なことだ。「ここまで来たから」というだけで前に進む判断したり、自分の身体が出す危険信号を無視して先に進むのも違う。勇気と無謀は違う。自分はどういう判断をするのだろう?

岩場を越えて

更に進むと、前方に複数人のランナーのライトが照らされ明るくなっているのが見えた。杓子山に向かう岩場だ。

近くに行くと、巨大な岩が前方に切り立っている。テレビでは見たことがあるが、実際に見てみると想像以上だ。(写真を撮る余裕はなかった…)

前方に広がる大きな岩場を、ロープなども使いつつ、ひとりひとり順番に登っていく。これは「トレイルランニング」ではなく「クライミング」に近い。深夜のため周囲が暗くて見えないのが逆によかった。明るいうちに周囲が見えてしまうと、この岩場は恐怖が増すだろう。

自分の番が来たので三点を保持しながら、手を置く場所、足を置く場所を見極めながら少しづつ登っていく。「どこまで岩場が続くのか?」確認しようとしても目の前しか見えないので、目の前に集中しひたすら登る。

確かに、岩場は最初は圧倒されたが、子どもたちとよくいく愛媛県の石鎚山にある鎖場や、天狗岳に向うナイフリッジの恐怖に比べたらまだマシだ、と感じた。

ひたすら目の前の岩場を登り続けた。ようやく登り切ったと思いきや、杓子山山頂はまだまだ先だった。経験者の方に先導してもらい偽ピークを越えて山頂に向かう。

途中、一晩目と同じように鳥のさえずりが聞こえ始め、いつのまにか二回目の夜が明けた。

ようやく杓子山頂に辿りついた。杓子山山頂にある有名な鐘もそこにあった。山頂の鐘を鳴らそうと順番待ちをしようとしたが、他の人が立哨の方に「ここからエイドはどのくらいですか?」と質問していた。思わず聞き耳を立てた。立哨の方はこう答えた。

エイドまであと7kmです」「2時間くらいかかります

下りに2時間かかるの?時間はもうすぐ5時、関門は6時50分だ。自分は果して7kmを何分で下れるのか?関門までは間に合うのか?先導してくれていた年配のランナーの方も「間に合わないかも」などと話している声が聞こえた。

この時、自分の脳裏に浮かんだのはこの一言だった。

考えている暇があったら、全力で下れ

その刹那、その場にいた一人の若いランナーが、猛烈な勢いで下りはじめた。自分もその後に続く。残念だが杓子山の鐘を鳴らすのは次の機会にとっておこう。

ここまで、下りは負荷がかからないように丁寧に降りていたが、この時ばかりは自分の最高速を出した。ロープや木を辿り、急な斜面をうまくすり抜け駆け下りた。先にゆっくり下っている方々に声をかけると、止って道を譲ってくれた。

上から物凄いスピードで降りてくるランナーは、下にいる人からみると危険で迷惑な存在かもしれない。それでも道を譲ってくれる方々に感謝しながら、先導するたランナーと共に駆け下り続けた。

途中、すこしフラットな場所に出ると、休憩のためか、先導ランナーの方が立ち止まってしまった。自分はそのまま先に進み下りを突き進む。ここまで先導して頂いてありがとうございます。

トレイルから林道に入ってもひたすら走り続けた。途中すれ違うランナーの方に「間に合いますかね?」と聞くと「大丈夫じゃないですかね」という答が帰ってきた。少し安心はしたが、それでも足を止めるつもりはなく、駆け下り続けた。

途中、足を痛めて走れず、とぼとぼ歩いているランナーたちを追い越した。思えば、2018年のFTR100の時、自分はこの方と同じようにまったく走れなかった。今は走れていることに感謝しつつ、彼らが関門に間に合うように願い前に進む。

必死に走り、F9富士宮エイドに着いたのは4/23 6時過ぎ。結果的にはIN関門の40分以上前に到着できた。

もし、杓子山山頂から歩いて下ったとして、関門に間に合ったのかどうかはわからない。ただ一つ言えるのは、もし歩いて間に合わなかったら「もっと急げばよかった」と後悔するが、その時全力を出してさえいれば、どんな結果になっても後悔はないということだ。

何も考えずにレインウェア上下を着込んだまま飛ばしたので、汗を大量にかいてしまった。とりあえず上下のレインウェアを脱いでみたが、まだ朝方の気温は低く、身体が冷えてきたので、再び上だけレインウェアを着た。

F9エイドで、スタートのこどもの国以来はじめて、愛媛のOさんにお会いした。Oさんは「ここまで来たら大丈夫でしょう。先に行きますね」と言い残してエイドを出発した。

Oさんを見送った後、うどんを食べたり、時計の充電をしたり、あれやこれやをしていると、あっという間に時間が過ぎてしまった。

F9のうどん美味しく頂きました

結局、F9を出発したのは6時半過ぎ。ゴールの関門は11時半なので、残り5時間を切っている。完走ペースでは5時間かかるらしいが、どこまでペースを上げることができるだろうか?

F9~ゴール(富士急ハイランド):すべてに感謝

F9~ゴール 14.7km

ラスボスを越えて

最後のゴールまでの区間には、ラスボスと呼ばれる霜山(しもやま)が控えていた。登り口まではロード、登山口から一気に600mを登る。傾斜はそうでもないが登りっぱなしの同じような光景がひたすら続く。元気な時ならまだしも、150km走った後なのでなかなかきつい。あまりに同じような登りが続くので、自分はてっきり山を螺旋状にぐるぐる登っているのだと勘違いしていたくらいだ。

今回のレースでは、登りパートは一貫して「左、右」と脳内(もしくはつぶやき)で声をかけて、ひたすら足を動かし続けてきた。「残りは何km? 後、何m登ればよいの?」などと考える暇を与えず、ひたすら目の前に集中して山を登り続ける。この霜山でも同じように「左、右」と繰り返して登り続けた。これまでの数十時間で何万回呟いたのだろうか?

途中で、ザックに「眠いので声をかけてください」と張り紙をつけている女性をみかけた。話かけると、かなり意識が朦朧としているようだった。そんな状態でも、前に進み続けるのは本当に凄い。

自分はここまで、インスタントコーヒーのおかげでなんとか覚醒状態が続いており、一睡もしていないが眠気はなかった。しかし霜山を登りはじめてからは徐々に意識がぼんやりしてきた。逆に身体はまだまだ動く。ここまで来たら最後まで行くしかない。

そうこうしているうちに、ようやく霜山のピークに辿りついた。立哨の方に頭がぼんやりしている様子の写真を撮影してもらった。(ヤラセです)

霜山の頂上で呆けているヤラセ写真

残りゴールまで7kmですよ」と立哨の方に言われた。
「えっ、あとそんな少しなの?」逆に驚いてしまった。
なんだか実感が沸かない。

これまでの登りはランナーが列をなしてきたが、下りは走れる人はどんどん走って下りはじめた。自分も足が残っていたので、下りを軽快に走る女性ランナーの後に続いてひたすら駆け下りた。その方のペースはかなり速く、着いていくのは大変だったが、なんとか振り切られずに着いていったおかげであっと言う間に下ることができた。

平坦地になったので、歩きながらその方(Cさん)と話しをした。Cさんはフルマラソンのためにランニングを始め、3年前からトレランを始めて今回FUJIに初挑戦したそうだ。引き締まった体型でいかにも速そうなので「速い人はさくっと100マイル完走するのだなぁ」と感心した。

しばらくCさんと話しながら進んでいたが、階段は足が痛くて駆け下りられないとのことだったので、別れて自分は先に進んだ。

トレイルを進んでいくと、前方にカメラマンが立っていて「おめでとうございます」と声をかけられつつ撮影された。

ああ、本当にもうすぐ終りなんだ

山を降り、ロードに進んでいくと、前日受付の時に通った富士急ハイランドの横を通った。

思えば、受付はもう三日も前のことだ。その日は富士急ハイランドが定休日だったので静かな遊園地の横を通りすぎたが、今日は営業中なので、ジェットコースターの音や人の歓声が聞こえる。

遊園地で楽しむ人々を横目で見つつ、一人でひたすらゴールとなるコニファーフォレストに向かった。

ゴール直前

富士急ハイランドの横を抜けて、歩道橋を渡り、コニファーフォレストが見えてきた。受付の時、ここから見えた富士山がとても綺麗だったのを思い出す。

荷物を持って帰路につくランナーとすれ違うたびに、声を掛けてもらった。

「ナイスラン」
「おめでとう」
「おつかれさま」

そうか、本当にもうすぐ終るのか。

駐車場を抜け、ゴールに近づくと人が増えてきた。そしてゴールまでのウイニングロードには、多くのボランティアの方が左右に並び待ち受けてくれていた。

その中を両手でハイタッチしながら走った。ああ、もう本当に終りなんだ。

フィニッシュ直前

そして、左に曲りゴールまで一気にダッシュで行こうと思いきや、なんとゴール待ち行列があった。ゴールシーンの写真を取るために、一人づつゴールしているようだ。

そういえば、霜山を下っている時に、Cさんに「どんなポーズでゴールテープを切るか考えてます?」と問われた。正直、その時はゴールポーズのことなど一切考えていなかった。

「どんなゴールにしようか?」と考えて、ふと浮かんできたのは「感謝」だった。

100マイルのコース整備や大会準備は、途方もない手間と時間がかかっている。レース中のエイドや立哨でお世話してくれた人、準備に奔走した人、関わっている人たちすべてに感謝

走っている道中に話したランナーの方々。どれだけ気を紛らわせ、情報をもらい、楽しい時間を提供してくれたか。途中途中で先導してくれたランナーの方々のお陰で、関門にひっかかることなく完走することができた。こちらから質問しておきながら「ありがとうございます」の返事ができなかった方々もいた。レース中に出会ったすべてのランナーへの感謝

そして舞台となった富士山麓の大自然。下りでは木に手をかけて負荷をかけてしまった。きっと多くのランナーの支えとなり弱ってしまう木もあることだろう。火山灰から生まれたスリッピーな土には大いに困らされたが、肥沃な土壌を作り、そこに生息する植物のおかげで、木々や樹海が生まれ、僕らは直射日光にあたらずに山を駈けることができた。ここにあるすべての存在に感謝

そして送りだしてくれた人たち。FUJIの2週間前から、頭の中はこの3日間のことで一杯だった。仕事で迷惑をかけている点も多々あった。それでも「無事に帰ってきてください」と言ってくれた人たちに感謝

そして、愛媛の家族、埼玉の実家の両親、自分の無謀な挑戦を見守り、応援してくれた。感謝で一杯だ。

そんな感謝を表現しようとしたときに思いついたポーズは「合掌」だった。

初めての100マイル完走は、自分でも驚くほど、自分がやり遂げた感はなかった。一人でできたことは何もなく、ただ走らせてもらった、完走させてもらったという意識だけだった。そんな思いをゴールで表現した。

テープをあげて合掌

ゴールテープを切り、合掌した後に、気づくと左に六花さん立っていて、「おめでとう」と手を差し出してくれた。ゴールのことで頭が一杯で六花さんの存在に気づいていなかった!六花さんと握手をし「ありがとうございます」と御礼を述べて、初の100マイルの旅は終った。

レースをふりかえる

実績と完走ペースの比較グラプ

各区間のラップの実績と予定(完走ペース)を比較してみた。

前半は予定よりも遅いペースで進んでいたが、F4以降から完走ペースを上回る区間もでてきた。~F8では再び大幅に遅れてしまったが、最後の区間で1時間以上前倒しのペースでゴールすることができた。

登りが弱いのでトレイルで遅れた分をロードで挽回したようにも見える。意識的に前半の下りを抑えたため、結果的に後半に足の痛みもなく下りを含めて走ることができた。トレンド線を見ても後半に追い上げた傾向が出ている。ゴール前でダッシュできるくらい元気だったので、制限時間をめいっぱい使えばダメージも少なく完走できるということが体験できた。

制限時間を目一杯使うつもりで進んだので、決して速い記録ではないけど、僕にとって0泊3日、42時間32分59秒に渡る初めての100マイルの旅は、様々な発見や学びを得た貴重な体験だった。

グロスタイム(応援naviより)
完走証明書(runnet)

レース後のおまけ

レース後は、既にゴールしていた愛媛勢の皆さんと会って御互いの健闘を讃えあうことができた。走力のある人でも、何らかのトラブルがあり、苦しいレースだったようだ。完走した人は、人それぞれの壁を乗り越えてきたのだろう。

ゆっくりと着替えた後に、会場の売店で軽く食事をして、新宿までのバスに乗った。椅子に座った途端爆睡してしまったので、新宿に着くのがあっという間だった。降りてからも頭がぼーっとしていた。まぁ40時間寝てなかったから仕方ないね。

そのまま埼玉の実家に戻り、その日は夕方まで寝ていた。

レース中あまり食べられてなかったため、食欲は旺盛でいくらでも食べれる気がした。しかし、一番驚いたのは、右手が痺れて動かなかったことだ。

ゴール当日の夕飯の時に、右手が思うように動かすことができず、箸はもてても力が入らずに手がダラーンと下がってしまう状態だった。仕方ないので左手で箸を使って夕飯を食べた。普段から左で箸をもって食べる練習をしていたのでよかった。

翌日以降、右手は動かすことはできるようになったものの、前腕部の皮膚感覚が鈍くなったままなのと指先にも痺れが残っていた。どうも40時間以上ザックを背負いっぱなしだったので神経が圧迫されて痺れてしまったらしい。皮膚感覚と痺れが戻るまで3週間ほどかかってしまった。思ったよりも肩がすれてダメージがあったのだろう。

一方、下半身の筋肉痛は思ったほどなかったが、普段まったく筋肉痛にならない中臀筋(お尻の横あたり)がしばらく痛かった。それだけ登りが多かったという証拠だろう。

レース後1週間は、食欲が増して普段の1.5倍くらい食べていたが体重は全然増えなかった。それだけ身体が修復を必要としていたのだろう。

やはり100マイルは、これまでのレースとはまったく異なる体験だった。

100マイルは心が8割

心が折れずに走るには

UTMB完走経験もある愛媛の山の先輩Nさんは、100マイル完走に大切なのはなんですか?という問いにこう答えてくれた。

100マイルは気持ちで完走する

今回、FUJIを完走してみて感じたのは、Nさんのおっしゃるように、長丁場は身体以上に心が重要だということだった。

思えば、2018年のSTYでは、それまで味わったことのない初めての胃腸トラブルに見舞われ、何も食べらなくなった。身体も弱っていたが、何より心が先に折れてしまった。「食べられないから、走れない」「このままいったら危い」という正当化の理由がどんどん湧いてきて、結果的に出発できずに時間切れになった。

2019年のCCCでも、同じように何も食べられなくなり、残り20kmのアルプス山中で「時間もギリギリだし、生きて帰らないといけないし」というリタイアの理由が湧いてきて始めて自分の意志でDNFを決断した。

もちろん身体の鍛錬は重要であり、トレーニングをしていない状態では完走は望めない。しかし身体的に余裕があるだけではなく、心が身体を最大限生かせるようになっていなければ、ほとんどの場合、身体が止まる前に、心が止めることを決める。

過程を大事にする

今回のFUJIの挑戦は、最終的な結果よりも、その時々で、自分のすべてを受容した上で、行動を選択できているか、今できることをやっているか、という過程に注力した。

山を登る時は、頂上まであと何メートルではなく、一歩一歩踏み出す足のことだけ考えた。走る時は、ゴールまであと何キロではなく、今の区間を制限時間内に走り切ることに注力した。

過去の反省を生かして、前半のペースを徹底的に抑えた。後半にペースを上げて、行くべきときに動くことができた。ゴールを目指しつつも、目の前に注力する。結果を求めながらも、過程に集中する。長期視点と短期視点の両立を目指した。残りのキロ数は考えない。

吐き気、腹痛、不快なことは次から次へと襲ってくる。その都度不快に対応して向き合わないといけない。身体の不快を消しさるだけでなく、不快が身体を通じて教えてくれているメッセージを読み取った。「飛ばし過ぎるな、食べたいものだけ食べろ、お腹を温めろ」、不快は身体と対話するきっかけだった。

事前準備も、過程のひとつだった。「事前にできることをすべて行う」ということは、単にレース進行をうまくいくようにする、という意味だけでない。それよりも、弱い自分が不安に襲われ、諦める理由を生み出す余地をできるかぎり減らすという意味合いも強い。過程に注力することで、無自覚に諦める理由をひとつひとつ潰していけるのだ。

思考がぐるぐる回り始めると、心はどんどん不安や諦める理由を生み出し続ける。過程に注力するとは、心が身体を止める余裕を与えないことであり、いまここに集中させることだ。

弱さを受け入れる

コロナでUTMFの挑戦がなくなった2020年から、自身の内省/内観をひたすら行ってきた。

自分の弱い所、痛みやその回避行動のパターンを徹底的に観てきた。自分がどういう時に無自覚に正当化し、痛みを回避して代償として願いを諦めるのかについても学んできた。自分を内観していくうちに、見つけた自分の無意識の回避行動に次のようなものがある。

全力を出して結果がだせないくらいなら、そもそも全力を出さずに失敗するか、挑戦しないほうがマシだ。

なぜなら「まだ俺は全力を出していない」「やればできる」と言い訳する余地を残せておけるからだ。全力を出して失敗してしまったら、もう言い訳はできない。だからこそ、言い訳できる余地を残して置く無意識の行動が自分の内側に存在することに気づいた。

「食べれない」「足が痛い」「気持ち悪い」色々な理由をつけて、弱い自分は前に進むことをやめさせようとしてきた。「良い結果がでないなら、やらないほうがマシじゃん」と弱い自分は無自覚に前に進むことを諦めさせてきた。これらを「弱いままではダメだ。強くなければならない」とするのではなく

「そうだよね、怖いんだね、不安なんだね。」と弱い自分を受容する。
「それでも、前に進みたいんだよね。」と願う自分も受容する。

逃げたい自分、全力で前に進むことを願う自分、どちらも自分の内側にいることを認める。

弱い自分とは「自分を守ろう」と健気に駆動する働きであり、そこから生まれた不安や恐れは「あるもの」だからあっていい。重要なのは「不安や恐れに乗っ取られている状態」あるいは「弱い自分などさもいないかのように振る舞っている状態」に無自覚なのか、自覚しているのかの違いだ。

どんな選択をしたとしても、すべてを自覚した上で、自分の意志で選択できていれば、結果はどうであれ納得できるだろう。

この4年間で「弱い心を強くする」のではなく「弱い心をそのまま受け入れて扱う」ことを学んだ。結果的にそのことが100マイル完走に大きく貢献した。今回、弱い自分を抱擁しながら最後まで完走できたこと自体が、この4年間の成長の証しなのだと思う。

次へのチャレンジ

久しぶりに長いレースに出てみて、次に生かしたいことを列挙しておく。

  • alpha haramaki は夜になったら必ず着用しておく

  • 緑茶を積極的に飲んでいこう(粉末などがあるとベスト)

  • 保温ウェアは軽量でかさばらないものを用意しておくこと

  • レインウェアは脱ぎ履きしやすいものがいい

  • ドロップバッグに予備の予備のライトをいれておく

  • お湯を携帯する小さなボトルを用意しておく

  • 胃薬は練習の際に試しておく

  • 柑橘類で補給食を自作する

  • 区間プロファイルをより詳細(Km-Effort、キロ累積上昇、キロ累積下降、ペース配分)にしてレース計画を立てる

  • 補給食は甘いものにこだわらず普段から食べたいものを持っていく

この先の話

100マイルの距離感、疲労感は今回充分に体験できた。また、ひたすらゴールを目指すレースだけでなく、ゴールを目指さずに自然と一体となることを求める自分がいることにも気づけた。

今回完走はできたが、自分でやった感がないので、完走がまぐれでないことを自分で確認したい。もし再びFUJIを走るなら、30時間台で完走できるかを試してみたい。

もう何度か100kmクラスや、100マイルを完走できたら、再びUTMBへのチャレンジを再開したい。2019年にシャモニーで味わった悔しさ、情けなさと、対照的に間近で見た歓喜のシーンが鮮かに想起する。

山は逃げない。頂きを目指しつつ、目の前のことを、ひとつひとつ積み重ねていけば、いつか辿りつく。レースも人生も同じだ。



皆様のサポートによって、より新たな知識を得て、知識と知識を結びつけ、実践した結果をアウトプットして還元させて頂きます。