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パタンセオリー翻訳プロジェクトの魅力と想いを書いてみた

クラファン70%(あらため80%)を達成!(4/26更新)

4月7日から始まったパタンセオリー翻訳プロジェクトのクラウドファンディングですが、開始2週間で、ようやく70%まできました。応援してくれた皆さんに感謝します!(更新:19日で80%達成!)

パタンセオリーってどんな本?

パタンセオリーは、一言でいうと、建築家・思想家であるクリストファー・アレグザンダー氏の生涯かけて探求してきた「美しい建築」を生み出す理論を元にして、新しい創造の理論、機械論的世界観から生命的世界観へのパラダイムシフトを提案する本です。

アレグザンダー氏の著作で最も知られている『パタン・ランゲージ』だけでなく、 『The Nature of Order』(NOO)シリーズ以降で登場したセンター幾何学的特性全体性という概念を中心として、システムがたとえ人工物であったとしても生命を持つシステムとして捉え、自然物・人工物問わず生命の度合いを高めながら展開・変容していくことによって、世界を生き生きとさせ発展させていくことを実現するのが、パタンセオリーの目指すところです。

本書の2つの魅力

この本の魅力は色々ありますが、大きく分けると2つに集約することができます。

1つ目は、アレグザンダー氏の著作の内容をコンパクトにまとめている点です。特にパタンセオリーの中で物議を醸しだすのは「人工物にも生命の度合いがある」「生命は構造として現れる」「生命の質を自身の感覚・感情を使って計測する」というこの三点でしょう。

これらの点について、アレグザンダーは『ネイチャーオブオーダー』シリーズでこれでもかと情報を提供して説明していますが、その分量に圧倒されてしまいがちです。さらには日本語には全体の1/4しか翻訳されていません。

本書では、膨大なアレグザンダーの理論を、簡潔なサマリーや原理にまとめているのがポイントです。著者が噛み砕いて説明しているので、全体像をざっくりとつかみやすくなっています。

もちろん、これらはアレグザンダー氏ではなく、著者のライトナー氏の解釈ではありますが、そこをスタート地点として膨大な著作の旅に向かうことでより旅がしやすくなるでしょう。あくまでもライトナー氏の解釈なので本書の内容=正解であると捉えなくても構わないのです。

個人的には、「まずはこれ読んでみて」と気軽に進められるトークンができたことがとても大きいです。

アレグザンダーの思考の軌跡を一望できる本として、長坂一郎氏の『クリストファ-・アレグザンダ-の思考の軌跡: デザイン行為の意味を問う』があります。本書もアレグザンダーの初期から最新の著作までの思考の変化の軌跡・背景が丁寧に記述してありますが、どちらかというと思想やデザイン論の変遷を客観的に記述する内容となっています。パタンセオリーは変遷というよりも、アレグザンダーがたどり着いた思想・デザイン論をコンパクトにまとめたのが違いと言えます。両者を読み比べてみると更に理解が進むのではないでしょうか。

2つ目は、様々な分野の応用例や、関係する思想・哲学・学問領域への紹介がされている点です。

『パタンセオリー』は、アレグザンダー氏がたどり着いたパタンセオリーを、一般的なシステム論として他分野に広げたいという著者ライトナー氏の想いがあります。私自身も、ソフトウェア開発の文脈で長年研究・実践してきましたし、健康という分野においてもパタンセオリーの原理原則に従って実践してきました。

4章で取り上げられているパーマカルチャーについては、私自身がパーマカルチャーデザイナーでもあり、以前からアレグザンダーのパタンセオリーとの交流を意図してきました。今回、本書がアレグザンダーの理論の概要を知るスタート地点となり、もっと多くの分野の方々にデザイン論、システム論として認知してもらい、分野を超えた共有や情報交換を進めることができると素晴らしいと思います。

5章で取り上げられている様々な哲学・思想、宗教、学問領域との関係は非常に知的好奇心をくすぐられます。きっとこれらの分野に詳しい方々が、パタンセオリーとの関係をどんどん明らかにしてくれると信じています。

以前から、私と、共翻訳者でありアレグザンダーに師事した中埜博さんの間では、パタンセオリーは学際的に分野を超えてアイデアを交流しあい、より高め合っていけると良いと考えていました。そういった分野を越えた交流のきっかけに本書がなると嬉しいです。特に現代物理学、量子力学の観点から、アレグザンダーの主張が立証されることを期待しています。

ちなみに、私の元々の専門分野であるソフトウェア開発の分野においては、パタンセオリーは部分的にしか応用されていません。デザインパターンにはじまる「パターンマイニング(発見)」や「パターンライティング(記述)」とその再利用、アジャイルソフトウェア開発における各プラクティスや思想は確かにパタンセオリーと重なります。しかしソフトウェア開発においては、パタンの適用プロセスについてはまだ曖昧なままですし、なにより「専門家が専門家の立ち位置を変えず」にここまで来てしまいました。アレグザンダーが見ている世界はもっと先にあります。

パタンセオリーに向き合うために必要なこと

パタンセオリーでは、前述しましたが3つの主張が物議を醸し出すと推測されますので、予め示しておきます。

1つ目は「生命の定義」

生物学的な有機体だけでなく、無生物に対しても生命を見出すというこの視点は、ともすると抵抗や疑問を投げかけるかもしれません。この部分について是非読者の皆さんが読んでみて感じてください。この「生命の定義や度合い」についてが、パタンセオリーを受け入れられるか、そうでないかの最初の分岐点になるかもしれません。

2つ目は「生命の構造=幾何学的特性」

NOOの第一巻に詳細に解説されている15の幾何学的特性ですが、形として生命構造を表現しているとされています。そのため、建築物や自然現象のような目に見えるもので解説されていても、ソフトウェアや組織のような一見目に見えない分野について、どう当てはめていいのかがわかりにくいという点があります。

特に形に関しては、中埜博さんが強調している点でもあります。私と中埜さんの間では、認知意味論のイメージスキーマで説明できるのではないかと考えています。『パタンセオリー』本体では解説しきれていない形についての補足を、中埜さんが別途同人誌によって補足しています。ご興味のある方は、クラウドファンディングのリターンで中埜博さんの同人誌セットを選んで読んでもらえるとよいでしょう。

3つ目は「生命の質の尺度・測定器として、自分の感情を使う」

この部分に多くの人は首をかしげるでしょう。客観的な指標ではなくなぜ感情を尺度とするのか?そもそもこれが尺度になりうるのか?この部分の主張を読者がどう受け取るかが鍵になります。

個人的には、本書やアレグザンダーの著作にも取り上げられてはいませんが、副読本としてジル・ボルト・テイラー氏の『WHOLE BRAIN』をオススメしておきます。この本を読んでおくと、アレグザンダー氏やライトナー氏の主張の理解に役立つかもしれません。

明らかにアレグザンダーの目指すところはWhole Brain(全脳)を使うということであり、人間の「感じる」ことへの信頼を取り戻すということが、これからの時代に重要であるということを意味しているからです。

課題は人間の感情・意識、そして生命へと向かう

私は、特に感覚・感情について、アレグザンダーとは別の角度からこの10年近く探求し続けています。

NVCのような共感型コミュニケーションは他者や自分自身の感情/ニーズを感じ取ろうとします。

『ザ・メンタルモデル』では適合期を通じて自身の感情を抑圧したメンタルモデルを形成し、そのパターンを繰り返す内的世界の構造を紐解きます。ここでも自分の回避しようとする痛みを感じることが不可欠になります。

PCM(プロセス・コミュニケーションモデル)においては、幼少期からの自我形成の結果生まれた個性の扱い方において、自分が隠している真正な感情と、その感情を感じないために覆っているニセの感情を自覚する必要があります。

『「アジャイル式」健康改善ガイド』に至る中で学んだのは、心身の感覚や感情に耳を澄ませて聴き取る(感じ取る)ことで適切な働きかけを行うといことでした。

私は、これらの体験を通じて、人間が持つ「感じる」という機能を、現代社会はいかにないがしろにしてきたか、その結果として起きている様々な問題に多く気付かされてきました。人の争いも、人の心身の健康も、「感じること」を許さなかった・無視してきたがゆえに起きている問題と言い換えることができます。

パタンセオリーを単なる対象を客観的に捉えるシステム論やデザイン論と捉えるだけでは不十分です。アレグザンダーが明らかにしたのは、自分自身も含めたシステムを捉えデザインする新しいレンズであり、「自分自身」とは顕在意識で認知している「自我」だけでなく、潜在意識下の「自己」をふくめたまるごと全体の自分のことを指します。

この点はティール組織も全体性という概念で述べていますが、パタンセオリーはその領域をも含んでいると捉えることができます。実際、筆者がティール組織を中埜博さんに紹介した後に、中埜さんが「ティール組織はパタンセオリーの具体例」と捉えて『イラスト版ティール組織』を翻訳したという事実を見れば明らかでしょう。

システム論・デザイン論は、パタンセオリーが提唱する「生命(いのち)」の問題、そしてそれら扱う人々の感情や意識の問題へと向かっていくのではないかと考えています。最終的にはそのシステムやデザインが、人類を含めた地球全体に生命を強めているか・そうでないかという判断が迫られるはずです。

生命(いのち)を感じて創造する

私は日頃からビオトープや畑などで、植物や動物の様々な生命の成長と死、発展と遷移、移ろいゆく環境に触れています。また、自分の心や肉体という確かなようで不確かな存在と向き合う中で、自分のいのちとはなにか、生きるとはどういうことを日々感じています。常に生命は移ろいゆき、生命は決して止まらず死するときまで精一杯尽くして生を全うします。個体の死すらも循環の流れの中にあり決して終わりではありません。世界は「生を全うしよう」とする存在の相互作用、つまり互いのニーズを満たし合いながら、日々生成されています。

そうやって生きている人々が生み出す様々な人工物・創造物も、自然物と同様に、その生み出す人々の生命と呼応することによって生み出されていきます。作り手の愛がこもっている人工物は、芸術であるかそうでないかにかかわらず、多くの人に愛や感動や喜びを与えます。そうやって人と人工物は不可分であり、その一体となった創造物が今この瞬間も刻々と世界を作り上げています。

もし人工物を生み出す人の意識が、愛や喜びや慈しみから生み出すのでなく、不満や恐れや驕りから生み出しているとするなら、世界はそのような意識による人工物に溢れかえってしまいます。その結果どんな世界になるかは容易に想像できるでしょう。現実の世界はどうでしょうか?

実は、対象物の「生命」を感じ「生命」を作り出すためには、自分自身の「生命(いのち)」を感じなければいけません。つまり、生き生きとした世界を作るには、自分自身が「自分らしく生きて」いない限りは、感じることも創造することもできないということです。

これらの話はまるでスピリチュアルにも聞こえるかもしれませんが、アレグザンダー氏もライトナー氏もそこに科学的視点で真っ向から挑んでいます。科学とスピリチュアルの垣根を超え橋渡しをするという点も本書の大きな魅力の一つです。

AIが進化した今、データに基づく分析や思考はAIに頼る時代が来ました。その時の人間の役割は、AIを自分たちの発展のために主体性を持って使うことと、自身が備えAIが備えていない機能である「感じる」ことを意識して使うことです。AIに頼り切るのではなく、当事者の立場としてAIに支援してもらいつつ、自分の意志・感情をもって物事を進めていく新たな世界が開いています。

だからこそ、パタンセオリーは今の時代にこそふさわしいのです。

終わりでなく、始まり

パタンセオリーの翻訳は終わりでなく始まりです。

いまだ未翻訳のネイチャーオブオーダーシリーズも、パタンセオリーが翻訳され皆さんの手に届くことができれば、きっと次はネイチャーオブオーダーシリーズがより多くの人に必要とされるようになり、翻訳の流れが生み出せると信じています。

アレグザンダーの最後の著作となった『Battle』も翻訳については(恐らく)様々な諸問題がありますが、作品の舞台が、埼玉県にある「盈進学園東野高等学校」の建設プロジェクトであり、日本人として、日本にあるアレグザンダー最大のプロジェクトの経緯を日本語で読めないことは大きな損失だと考えます。こちらもなんとか実現したいところです。

これからのプロジェクトを実現するためにも、まずは是非ともクラウドファンディングの成功にご支援ください。皆で生き生きとした世界を創造しましょう。


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