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学習塾が人生を変えることもある part.1 - 小中塾遍歴

ほんの触りを 500 字日記の方に書いたところ、続きを読みたいというコメントをいただきました。

そんな人様に役立つ内容でもない気がするのですが、読みたいと言われたら喜んでしまう性分なもので、過去を振り返る意味良いかなと思い、今日は塾の話を書いてみます。


ぼくは小学生の頃から塾に通っていました。兄も通っていたし、まあそういうもんだと思っていたので、塾に通うということ自体に関して疑問を持った記憶はありません。元々通信教育を受けていたこともありましたし、特段勉強が好き、というわけではありませんでしたが、わからないことができるようになるのは楽しかったので、そこまでネガティブでもなかった気がします。

最初に通った塾は、地元で数十年続く老舗塾でした。地域密着型塾、というのでしょうか。そこに入った理由は兄が通っていたからでしかなく、小学生の時分、情報も持っていないぼくに選択権があるわけでもなく、さあそろそろ通いましょうかねと促されるまま、ぼんやり入塾テストを受けに行きました。

この塾、それはそれは酷かった。

いえ、今現在、この塾がどうなっているかは知りません。当時いた指導員がいるのかもしらないし、いたとして、その当時のやり方をそのまましているのかもしりません。微塵ほどの興味もないので。ただいまだに当時のやり方を続けているとしたら、自分の世界とその塾が交わらないように注意深くならねばと、思ってしまうくらいには酷かった。

具体的なことを書くとえぐいのでやめておきますが、簡単に言ってしまえば指導員によるパワハラのオンパレードです。怒鳴り散らす声が毎日聞こえ、塾に入ろうとすると入り口に正座した生徒が泣いているような世界でした。あれは本当に平成だったんだろうか。あそこだけ時空歪んでたんじゃない。指導員を先生と書こうとして、いやそんな高尚なもんじゃなかったなと消したよね。

たまに、勉強の労を労う映画鑑賞会が催されて、そこで甘いソフトクリームが配られるんですよ。いつもは厳しくて意味わからん塾長が「よく頑張ってるな」とかいってアイスを配る。ええ、今思えば不気味です。しかしこの時間がせめてもの救いだった記憶があります。行きたくなさすぎる塾にたまに行ってもいいかなと思える時間。いやはや。

ただ指導方針だけはめちゃくちゃ合っていたので、なんとも難しいものです。その塾はテキストのページを指定され、書かれた問題を解き終わるまで帰れない、という「完全放任」方式の塾でした。そんな方式があるかは知らんが。解き終わったら指導員に答えを見せに行き、合っていれば次のページを指定されるか帰っていいと許可が出る。間違っていればボロクソに言われる。そんな感じ。

行き詰まって誰も答えを見せにこなくなると、たまに放り投げるようにヒントが渡されます。このヒントが絶妙な塩梅で、きっちり解釈しないと使えないが、理解できれば問題が解けるラインにちゃんと落とし込んであるのが、優秀な塾ではあるのだなと認めざるを得ないところ。

じっと人に見られながらあれこれ指導されるのが苦手な、そして自分で勉強することができるぼくのような人間には、指導方針だけ見ればとても良い環境でした。解き切るまで帰してくれないので、飽きっぽい子供に考える力をつけさせることにも貢献していたように思います。あの空間には、二度と足を踏み入れたくないですけどね。

ちなみにこの塾は、最終的に兄が塾長と喧嘩した結果辞めることになりました。帰ってくるなり「やめろと言われた」とあっけらかんと言う兄に仰天した父が塾に行き、教育方針の違いを理由に兄がまず辞めることに。バンドか。

その後、一抜けした兄に忸怩たる思いを抱えていたぼくはお月謝の封筒を塾長から渡されずに「君の家庭はうちとは合わないみたいだから来月から来なくて良い」とのお達しを受けることとなり、小躍りしながらお家に帰ってその旨ご報告、無事兄弟揃って脱出と相成なったのでした。


その後兄は大手塾に通い始めていたので、同じ塾についていく予定だったのですが、通っていたスイミングスクールと曜日がバッティングした結果しばらく別の地域密着塾に半年ほど通うことになりました。

学校の水泳の授業にランク制があって、この距離をこの時間で泳げたらランクA!みたいなのが決まってたんですよね。それでどうしても一番上のランクに行きたくて。大手塾に行くなら塾一本に絞られるから、せめてランクが上がるまではスイミングスクールに通わせてほしいと、お願いしたのでした。習い事の曜日問題、ちゃんと話を聞いてくれたのが嬉しかったですね。

良い塾だったらそのまま通い続けるのもいいかもね、と言って行き始めた次の塾は、とても丁寧につきっきりで教えてくれるタイプの塾でした。フォロー体制は万全。先生方は優しい方ばかりで、成績の向上にも熱心だったと思います。

ただ正直、歯ごたえがなかった。小学生の頃のぼくは、塾で勉強をしているおかげもあってか学校の勉強に特に困ったことがなく、テストも毎回 100 点近くを取るような人間でした。その塾は、どちらかといえば学校の勉強についていけるように指導をするよ、というレベル感だったので、授業内容は大体わかってしまいます。

先生が全てを説明してくれた後に問題を解く、というスタイルも、自学スタイルに慣れきっていたぼくにはなんだか合わず、学校の水泳の授業が終わり、無事一番上のランクにはいけないことが確定した後、すぐ兄と同じ大手塾に転塾することになりました。良い先生だが指導方針が合わないこともある。難しいですね。


さて、今日はこんなところで。全然人生を変えた話にたどり着かなかったですね。ぼくの塾遍歴を普通に語ってしまったよ、ミスった。思い返すといろんな塾通っていたなぁと、つい、もりもりに書いてしまいました。

また次回。

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