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ずっと手放せない本がある。ただ歩くだけ、という魅力。『夜のピクニック』

ずっと、ぼくの本棚に残り続けている本がある。

恩田陸著『夜のピクニック』
角は擦り切れ、赤茶色の紐はもうバサバサ。カバーが剥がれそうになっている平成18年発行のこの文庫本は、ぼくが小学生の頃に買った本だ。

たくさん本を読んできた。特にファンタジー小説と青春小説が好きで、小学生の頃からなけなしのお小遣いやお年玉をはたいて、たくさんたくさん本を買い、読んできた。

その分、人にあげたり、売ったりしてしまった本も多く、当時買った本も今となってはほとんど手元に残っていない。たくさん買って、たくさん手放してきた。何度も何度もかけられるふるいに、ただ一つ、ずっと残り続けてきた本。購入して以来、何度も読み直してきた本。

ぼくにとってそれが、『夜のピクニック』という本だ。


『夜のピクニック』は、全校生徒が夜を徹して 80 km を歩き通す「歩行祭」という行事を描いた本である。

主人公は同じ父親、違う母親を持つ甲田貴子と西脇融のふたり。複雑な関係に囚われ互いへの感情を持て余したまま、まともに話をすることもない。

このまま高校生活を終えていいのか、本当にそれでいいのか。貴子は、高校生活最後の行事である歩行祭で、小さな賭けをすることに決めた。その賭けに勝ったら、融と、自分たちの関係について正面から話し合うのだ。

物語は、貴子と融の関係を中心としながら、一度しかない高校生活最後の行事の中で、揺れ動く登場人物の心情を丁寧に丁寧に追いかけていく。


この本では、24 時間、ひたすらに歩きつづける様子が描かれる。学校行事という日常から外れた時間をベースにしながらも、やっていることは、ただ歩くだけ。

仲間と目標を目指す高揚感や夜中に友人と過ごす特別感といった、青春小説らしいみずみずしい描写もある。しかし多く描かれるのは、酷使された体を引きずり、ぐるぐると巡る思考を持て余しながら前に進んでいく過酷な時間である。

途中、休憩所に着いた生徒が一斉に靴と靴下を脱ぎ、足を乾かすシーンが出てくる。長時間歩きつづける中で、蒸れた足が靴擦れを起こすのを防ぐためだ。各所に散りばめられたこうした細かな描写が、歩行祭という行事の過酷さをよりリアルに伝えてくれる。

そしてこの過酷さは、それぞれの取り繕えない本音を引き出していく。体の疲れに伴って思考はまとまりを失い、過去に未来に、あちこちに飛び巡る。言葉は飾りを失い、気づけば普段は口にしないことや、恥ずかしくて隠していることが口をついて飛び出してくる。こうした状態には、誰しも身に覚えがあるのではないか。

ただ歩きつづける、というシンプルな状況が、嘘くささのない人の心の動きを、濃い輪郭を持って浮かびあがらせる。

その心の動きはきっと誰しもが経験したことのあるものだ。
ぼくの思う『夜のピクニック』最大の魅力はここにある。

だからぼくは、この本を人に薦めようとすると、どうしても「読んでみてほしい」と言うしかなくなってしまう。本全体を読むことで、ぼくが魅了されたものを「体感」してもらいたいと、そう願ってしまうから。

みんなで、夜歩く。たったそれだけのことなのにね。
どうして、それだけのことが、こんなに特別なんだろうね。

恩田陸『夜のピクニック』

帰国子女で、高校最後の歩行祭を前にアメリカにいる両親の元に戻ってしまった杏奈という少女。歩行祭が大好きな、しかし参加することの叶わない彼女がつぶやくこのセリフは、何度読んでも心にじんわりと残る。

みんなで、夜歩く。たったそれだけのことが描かれているからこそ、この作品は特別なのである。


物語は終盤に至り、貴子と融が今までに抱えたわだかまりをほどき、ふたり隣に並んで歩くシーンを迎える。十数年抱えてきた思い、同じ学校の同じ学年という近い場所にいながら、どうしても交わることのできなかった距離が埋まるその瞬間、そこに至る過程を、ぜひみなさんにも「体感」してみてほしい。

24 時間、積み重ねた時間と疲労と思考の果て、パズルのピースがはまるように、あるべきものがあるべきところに収まるように、ふたりが隣り合う瞬間は奇跡的だ。


ぼくはこれからも折に触れ、本を開き、歩行祭に参加することになると思う。
カバーが剥がれ、紐が切れてしまっても、きっとこの本はずっとぼくの手元にある。


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