23歳無職怠惰な完璧主義者の末路とその改善
"完璧主義"と聞くと何に対しても完璧にこなす、その為に努力するというイメージを持った人も多いのでは。
今回はタイトルにもあるように私、人間のクズ23歳無職、完璧主義者だと言われてきた私の人生をダラダラとお話しようと思う。
幼い頃から先生や大人たちから見た私は真面目で完璧主義。
遅刻をしたことがなく、授業中居眠りをしたことが無い、客観的に見れば"真面目"に見えるだろう。
些細な友達とのトラブルはあれど、大きな問題を起こすようなことも無かった。
しかしそれらとは裏腹に忘れ物が多く、宿題の期限を守れなかったり、夏休みの宿題はあとほんの少しなのに終えることが出来ず、早朝に学校に向かい教室で宿題を仕上げる始末。(結局間に合わなかったこともある)
成績も良いとは言えず、勉強が苦手でとにかくギリギリで徹夜して試験に挑んでいた。
結果は明確、順位は下から数えた方が早いぐらいの散々な結果。
この話を見て、どこが真面目なんだ…完璧主義どころか怠惰じゃないか…と思われたことだろう。
実は私自身一番そう思っている。
そこで私なりに何故なのか分析してみようと思う。
忘れ物をする、成績も良くないのになぜ真面目と言われるのか、期限も守れないのになぜ完璧主義だと言われるのか。
結論から言うと、他人の前では真面目で完璧主義だったから。
"真面目"に関して先生や大人の命令には従順、簡単に言うと都合のいい子供だったから。
"完璧主義"に関して何事も完璧にこなそうとしていたから。
例えば、"頭の中で浮かんだ言葉を文脈的に完璧にして相手に伝えなければいけない"だとか"他人の前では失敗をしてはいけない、無様な姿は見せてはいけない"という言葉が呪いのように脳に染み付いていた。強迫にも近いぐらいだ。
結果を出したところで"他人の評価が良くなければ無意味だ"と強く思っていた。
実際、「貴方は他人の前で完璧な自分であろうとしている、そんな気を張らなくてもいいのに」と言われたこともあった。
そして今現在この内容を書くことに対しても完璧にしなければ、文脈や言葉が変じゃないだろうかと頭をフル回転させて書いている。
そんな思考で生きること23年、中学2年の時不登校になり高校に通うも半年で中退、その後通信高校を卒業し大学受験をしようと勉強するもうつやパニック発作が起こったりして続かず失敗、資格を取ろうとするも勉強が嫌で無資格、持病の躁鬱の関係で定職につけず現在進行形で無職。
努力で成功した経験がないので何かをコツコツ積み上げることが億劫になり、無事"人間のクズ・怠惰な完璧主義者"が出来上がった。
皆が思っている完璧主義者とは程遠いことだろう。
私の意見ではあるが、完璧主義でいい事なんて何1つもなかった。というか完璧主義思考のおかげで、完璧に出来ないなら諦めようとか完璧にするのがめんどくさいと思い途中で諦めたり、逆にあきらめ癖がついてしまった。
今でもこの思考から脱することは出来ていない。
ただ少しでも前向きに生きるために私が意識していることは以下の通りだ。
人は何か大きなことを成さなければ意味が無いとか、何者かにならなくてはダメだと思いがちだが、別に何者かになる必要も無い。大きなことをしなくたっていい。
昔の辛かった思い出などを美談にする必要も無い。過去を認められない自分だっていてもいい。
ただそこに生きているだけで、それでいい。
これは私が山田ルイ53世さんの講演を聞いて少し文章は違いますが、引用させて頂きました。
一見諦めに思うが、これを聞いた時私は一気にのしかかっていた重圧が軽くなったように感じた。
「人前では完璧に、他人からみて価値があることをしなければ」
そう思い込んで自分を責めてきたものが一気に軽くなったのだ。
自分のために夢を追うのはいい事だが、他人の目を気にして何かしなきゃと思うことは無駄極まりないことに気づいたんです。
つまり自分軸で楽観的に生きた方が圧倒的に行動に移せるし、目標も達成しやすい。
そうは言ってもまだ他人の目が気になったり完璧にしてからじゃないとダメだという思考はすぐに治ることは無い。
でもそんな自分を受け入れ許すことで少し前に進めるのではないかと思います。
下書きもせずに考えながら書いたので文章めちゃくちゃで結局改善策も曖昧なままですが、どうかお許しください…
ここまでご覧いただきありがとうございます。
最後に私がこの世で一番好きな漫画「ジョジョの奇妙な冒険」から一番好きな名言をご紹介して終わりにしようと思います。
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