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ブックレビュー「ジェフ・トゥイーディー自伝 さあ、行こう。ウィルコと音楽の魔法を探しに」~原題"Let's Go (So We Can Get Back)" by Jeff Tweedy

若い頃から変にストイックなところがあって、読みたい本を後回しにする傾向がある。今、手元には読みたいと思って買ったのに「積読」状態の音楽関連本が五冊あって、その内の一冊が4月末に購入したこのWilcoのリーダーであるJeff Tweedyの自伝"Let's Go (So We Can Get Back)" だった。

そして、ついにこの本を読む時が来た。

本書は既に日本でも「ジェフ・トゥイーディー自伝 さあ、行こう。ウィルコと音楽の魔法を探しに」というタイトルで翻訳されているが、今回はコスト削減と英語の勉強がてら原書を読むこととした

タイトルの”Let’s Go (So We Can Get Back)"は、現役ミュージシャンとして単なる回顧録にしたくはなかったのだろう、「前に向かって行こう...そうすれば振り返ることもできる」という感じか。翻訳版のタイトル「さあ、行こう。ウィルコと音楽の魔法を探しに」はファン心をくすぐることを目的にしている意図が丸わかりで、プロモーションのためには容認できる範囲か。

まずWilcoをあまりご存じ無い方に簡単にご紹介すると、Wilcoは90年代から活躍しているいわゆる”Alternative-Country”あるいは ”Americana”ジャンルに分別されることが多い90年代から2000年代を代表するアメリカのバンドだ。

彼等の作る楽曲は評価も高く、Norah Jonesなど多くのミュージシャンにカバーされているし、Jeff TweedyはプロデューサーとしてもMavis Staplesのアルバムでの功績は高い評価を受けた。

Jeff Tweedy本人はWilcoをこのように”Alternative-Country”あるいは ”Americana”にカテゴライズされることを望んでいないようで、本書の中で"Summerteeth"というアルバムについて「ある意味で、Alt-countryRoots Rock、またはNo Depressionというように月替わりで同じ意味だがタグ付けが変わるようなWilcoというバンドの固定した定義付けへの反発」だとも言っている。

さて本書では彼の自伝と言うことで、子供時代の音楽体験など面白いエピソードがたくさん紹介されている。ここではそれらのエピソードを実際の音源を引用して紹介することで、本書を読む読者に補足資料として使ってもらうことを意図してみた。

1. Rich Kelly & FriendshipのYouTubeビデオ

WilcoはシカゴにLoftと呼ばれるスタジオというか溜まり場を持っていて、そこには2015年発表のアルバムStar Warsの猫の絵がキッチンに飾られていて、レコーディング室にはこのRich Kelly & Friendshipのサイン付き写真が飾られているらしい。

問題なのはこのバンドの正体で、Jeffは「もしこのバンドを知らないなら、すぐに近くのデバイスで”I'd Like to Teach the World to Sing"という曲を調べて見て欲しい」、「そして急ぐのであれば1:35辺りに進めてみて」、「まさにMagical Realism(日常的、現実的な表現の中に、自然な形で魔術的な要素を入れる手法)だ」と言っている。

2.  長兄Steveのレコードコレクション

本書にはJeffの家族の話がたくさん出てくる。中心は父母と奥さんのSusie、そして二人の息子であるSpencerとSammyだが、兄弟・姉妹の話も出てくる。そして彼らがいかにJeffの音楽観を育てていったのか、を垣間見ることができる。

母親と当時姉が住んでいたArizonaに行って、そこから日帰りで行ったMexicoで最初に買ったRecord(粗悪なMexico盤でほとんど向こう側が見えるほどVinylが薄いBlondieの”Parallel Lines”)や姉のDebbieと叔母のGailが譲ってくれたThe Beatles、Herman’s Hermits、The Monkees、Sonny and Cher、Motownの名曲などのシングル盤の中ではThe Byrdsの”Turn! Turn! Turn!"がお気に入りだったなどの話も面白い。が、音楽的に最も影響を与えたのが、どうやら兄のSteveが譲ってくれたRecordだったらしい。

まだJeffが9歳か10歳の頃、ある会話を経て、SteveはすべてのRecordを譲ってくれた。それは先に姉や叔母が譲ってくれたような60年代バブルガムヒットのシングル盤とは異なり、70年代の「えせインテリ」大学生が聴くようなアルバム群だった。その中にはHarry Chapin、Kraftwerk、Frank Zappa、Amon Duul、Isao Tomita、Edgar Froese、Atomic Rooster、Hawkwindなどがあったらしい。

特に気にいっていたのがギリシャのプログレバンド、Aphrodite’s Childの”666”というアルバムでこれを一晩中ベッドで聴いていたらしい。少なくとも10歳前後の子どもが聴く曲では無い。

もう一枚面白いのがManfred Mann's Earth Bandの”The Good Earth”というアルバムで、同アルバムには何とスコットランドの田舎の1 Square Foot(0.09㎡)の土地の権利クーポンが付いていたらしい。本アルバムのWikipediaにも書いてあるのでこのアルバムはそれで有名なのだろう。Jeffは「クーポンはレコード会社には送らなかった」と残念そうに言っている。

3. The Clashの音楽評論+アルバム購入までの苦労

Jeff Tweedyは1967年生まれなので私よりも5歳年下だが、先に見たように既に10歳前後辺りからコアな音楽ファンだったこともあって、音楽的に時代ギャップを感じない。とは言え米国のIlinnois州南部にあるBellvilleというSt. Louisから車で30分程度の場所で生まれ育ったJeffがローカルラジオで聴くのは、Bob Seager, Journey, REO Speedwagonといったメインストリームな音楽ばかり。

そんなJeffだが、ある時Rolling Stone誌のTom CarsonがThe Clashのアルバム”London Calling”について書いたレビューに感動して、まだ音源は聴いていないにも関わらず同アルバムの虜になってしまった。何しろ米国の片田舎の10代初めの子どもだ。パンクロックムーブメントはまるで別の国の革命を夢見るようなもので、ドンドン想像を膨らましていった。

その”London Calling"のレコードを、近くのスーパーTargetで目にするが、アルバムジャケットには”Parental Advisory: Explicit Content, Strong Language”の大きなステッカーが貼ってある。これでは母親に買ってもらえないと思ったJeffはステッカーを少しづつ剥がしていくことを決意する。まずはその日に1/3を剥がして、二週間後に再び1/3を剥がし、一か月か二か月後についにすべてのステッカーを剥がすことに成功。お陰で難なく母親に買ってもらうことに成功した。

Jeffはこのアルバムを未だに大切に持っているらしい。苦労の末入手したアルバムだったが、肝心の音の方は長兄のプログレロックに慣れたJeffにとっては保守的なロックアルバムに聴こえたようで、最初は気に入らなかった。しかしながら、苦労して買ったこともあって、何度も何度も繰り返し聴き、自分なりにパンクロックの狙いを咀嚼していくことになる。

その結果パンクロックから学んだ教訓は「過去の伝統はすべて焼き払えというような危険なものではなく、敢えて野心を持とう、ということ」、「虚無主義なのでは無く、いかに誠実に、恥ずかしがらずに皆にもっと関心を持つことを懇願するか」だ、と言っている。

4. Euclid Records

後にUncli Tupiloを結成したJay Farrarとは高校時代に音楽趣味が近いことで接近、一緒にレコード集めに熱中していく。二人は街のレコード屋では飽き足らず、St. Louiseに行くようになる。そこで彼らが行くのが、Euclid RecordsVintage Vinylだ。

本書の話と少しズレるが、コロナ禍にFacebookがお薦めして来たアカウントにNew OrleansにあるEuclid Recordsがあった。最初はコアな音楽ファン向けのレコード屋なのでニューオリンズに行く機会があったら寄ってみたいな、程度の印象だったが、コロナ禍に「予約あるいは店頭受け渡しのみ買い物可能」という入口ドアのサインの横に細野晴臣の昔の写真を使っていた。

これが日本のレコード屋だったら全く驚かないが、場所はアメリカのニューオリンズである。しかも細野さんが狭山に住んでいたころの随分昔の写真で、あまりにも脱力感が溢れている。というか気を吸い取られそうな表情だ。それがあって、すぐにEuclid Records NOLAに友達申請をした。

そのEuclid RecordsのSt. Louiseが本書にも登場して来たので驚いた。しかもJeff TweedyはUncle Tupilo時代にそこでアルバイトをしていたというのだ。場所が違うが、店名は同じだし、何といってもEuclid Recordsのロゴは同じなのでおそらく姉妹店なのだろう。

後にこのEuclid RecordsのマネジャーでJeffの上司になるTony MargheritaはUncle Tupiloのマネジメントを手掛けることになる。最初のレコード契約や中西部から出てツアーを始め、New YorkのCBGBでソールドアウトのショーが出来たのもすべてTonyがマネージャーとなってからだ。

5. The Primatives

Jeffが最初に参加したバンドはJay Farrarの兄弟が結成していたThe Plebesだが、後にThe Primativesに改名した。元々バンド名はThe Primitivesになるはずだったのが、バンドが名刺を注文したところスペリングミスでThe Primativesと印刷されていて、最もコストがかからないのが間違ったスペルで押し通すことだったらしい。

音楽嗜好はJeffとJayが好んだPsychedelic Garage。彼らがHalloweenで演奏しているYouTubeがこれだ。JeffはBassを弾いている。

このバンドは”Twist and Shout”, "Louie, Louie", "Gloria", "Hang on Sloopy"といった定番曲に加えてJeffとJayが好むようなChocolate Watchband, The Sonics, The Electric Prunesなどをカバーしていたらしい。

そしてバンド名をさらにUncle Tupiloに変える頃にはカバー曲に飽き足らず、自分たちの楽曲を作り始める。

6. Jay Farrar脱退の真相

Wilcoというバンドは、Uncle Tupiloが成功を収めつつある中、突如Jay Farrarが脱退することでやむなくUncle Tupiloの残党で結成したバンドだ。彼らの突然の決裂はJeff本人も驚きで、Uncle Tupiloファンにも不可解なものだった。

Jay自身は本書にある通り、Jeffが自分の運転するバンの後部座席で自分の彼女に言い寄っていたのをその理由としている、と雑誌のインタビューで語っていたようだが、真相はわからない。Jeff自身は根本的に二人の性格の違いや音楽性の違いが根底にあるのではないか、と見ているようだ。

JeffがUncle Tupiloで最初に書いた曲がこの”Screen Door"。歌詞は「暑いのでゆったりとした服を着て、学校をさぼって、玄関ポーチで友達と演奏する」という曲だ。そこには社会問題や怒りのようなものは無い。

一方、Jayの書く歌詞は、工場の街、失業、アルコール中毒など彼らが住む街のネガティブな姿だ。JeffはJayに会うまで自分の住む街に対してネガティブな感情を持つことは無かったとまで言っている。同じアルバムに入っているJay作曲による”Before I Break”の歌詞は「死ぬほど飲み過ぎて、明日の希望も無く、道端の溝で飲み潰れる男」についての話だ。

7. Uncle Tupiloのファイナルツアー

既にJayが脱退をし解散を余儀なくされたUncle TupiloはマネージャーのTonyに借金をしていたため、最悪のムードの中、最後のツアーに出かける。

それまでボロボロのVanでツアーに出かけていたバンドだったが、TonyかWarner Brothersだかのアイディアで、最後のツアーは快適なバスを借りよう、ということになった。最悪の心情を抱えたバンドメンバーだったが、快適なバスを借りてツアーをするというのはその雰囲気を和らげることになるし、快適なバスだというのでワクワクしていたが、実際にそのバスを見た時にその気分は吹っ飛ぶことになる。

何とツアーバスは、「嵐の海に漂う海賊船でギブソンレスポールを抱えてカラスの巣に立って叫んでいる骸骨」がエアブラシで書かれたKissの古いツアーバス”Ghost Rider”だったのだ。しかもインテリアはさらに輪をかけて酷いものだった。白いレザーで、天井は鏡、紫のネオンサインのラウンジ付だ。とてもWilcoにふさわしいバスとは思えない。

そしてそのツアーは最悪だった。ある時JayがJeffの曲でのコーラスをしなかったことにJeffは激怒。殴りかかりはしなかったが、激しい言葉を浴びせる。

JayとJeffの関係は前年のある出来事からさらに悪化していた。Conan O’BrienのTV番組の出演の際にレコード会社と番組プロデューサーが演奏して欲しいと指摘してきた曲、”The Long Cut”はJeffの曲で、Jayのものでは無かったのだ。JeffはJayの曲を歌うことを考えるべきだったが、コミュニケーションが上手く行っていなかったし、バンドの曲なので誰の曲、というものでは無いはずだ、と言っている。番組出演の様子がこのYouTubeだ。

8. Jay BennettとJim O'Rourke

1994年にレコーディングされたWilcoの最初のアルバム”A.M”のギタリストはBrian Hennemanだった。素晴らしい演奏であり、JeffはWilcoへの正式加入をオファーしたが、BrianはThe Bottle Rocketsに専念したいということで加入を断った。

そこで白羽の矢が立ったのが、以前からGuitar演奏力が高いことから目をつけていたJay Bennettだった。実際Jayはギター以外にもピアノも弾けるし、彼が持つClassic Pop Rockの知識や才能が当初はうまくWilcoの他のメンバーともマッチした。Jeffは後にJayの才能についてJackson Browne, Elton John, Paul McCartneyとステージを共にしていてもおかしくなかっただろう、とまで言っている。

それが、Wilcoの二枚目のアルバム”Being There”、Billy Braggとの”Marmaid Avenue”を経て、三枚目のアルバム”Summertieth”を制作するにつれてJayとの関係は次第に険悪となっていく。その様子を四枚目のアルバム”Yankee Hotel Foxtrot"の録音風景を収録した映画”I Am Trying to Break Your Heart”にも一部収めているが、実際にはもっと険悪だったらしい。Jayは録画撮りを意識して、「奇妙な博士」役を演じているようだった。

そして空中分解し始めた”Yankee Hotel Foxtrot”の録音を救ったのがJim O’Rourkeだった。Jimが参加してから、すべての曲を一旦裸の状態にして、テープ編集技術を使って新しい曲を作っていった。

JeffとJimはChicagoでのNew Pop Showでの共演を皮切りに息統合し、後にWilcoに加入することになるドラマーのGlenn KotcheLoose Furの録音を行う。

そしてJeffのJimとGlennとの出会いが、WilcoのドラマーであるKen CommerJay Benetteのクビにつながっていく。Glenn KotcheはJeffにとって理想的なドラマーだったし、Jayは薬物中毒がひどくなっていた。Jeff以外のバンドメンバーもJayに矯正施設に入ることを薦めたが、Jayは頑なに自分自身の薬物中毒を認めなかった。Jayは脱退して8年後の2009年に薬物過剰摂取で死去。ファンの中には未だにWilcoはJayが在籍していた頃が全盛期だったとまで残念がる人がいる。

Jim O’Rourkeは2000年前後から日本に在住しており、2016年にJeffがTweedyとして来日した際にはアンコールでLoose Furの曲を演奏していた。

9. SpencerとSammy

本書では先にも述べたようにJeffの家族愛が溢れている。特に子供たち二人の音楽的な成長を語る姿は「親バカ」とも言えるぐらいだ。

Spencerが初めて父親のレコーディングスタジオに招かれて録音に参加したのは8歳の時。The SpongeBob SquarePants Movie向けの曲だった。この曲で”na-na-na-nas"を友達と一緒に歌っているのがSpencerだ。

そしてSpencerはTweedyのドラムスとしてJeffを支えている。

Sammyは最初音楽には興味を示さず、写真や詩を好んでいた。それが次第にSynthesizerに興味を持ち始めたのでJeffはJim O'Rourkeが日本に引っ越すので、といってLoftに置いていった冷蔵庫サイズ(!)のSynthesizerを家に持ち帰ったらしい。

そしてSammyが高校二年生の時に、何とレコード制作プロジェクトを学校で承認される。JeffとSusieはSammyがレコーディングが簡単なものだと思っているのではないか、あるいは学校のアドバイザーもSammyがTweedy家の一員なので楽器ぐらいは弾けるものだと思い込んでいるのではないか、と心配していた。

JeffがSammyに一体どんなレコードを作るのか、と尋ねたところ「John Faheyがシンセを使っているようなものだけど、大半はアメリカントラッドなフィンガーピッキングによるアコースティックサウンド」だと言う。JeffとSusieはさらに心配になった。少なくともSammyがギターを弾いているのを二人は聴いたことが無い。

しかし実際にSammyはそのプロジェクトをやり遂げた。兄のSpencer自身もそのレコードを聴いて、最初はJeffが全面的にギターを弾いているものだと思い込んだらしいが、Sammyはプロジェクトを開始してからギターレッスンに通い始めていたのだ。

10. そして現在のWilco

薬物中毒を克服し、父母の死去とSusieの癌という困難を乗り越えて来たJeffが最後に現在のWilcoについて語っている。

”Yankee  Hotel Foxtrot”のツアーは当初4人で回っていたが、スタジオで録音した複雑な音を再現するにはサンプラーなどの機械を使う必要があった。これに嫌気が差していたJeffは旧知のPat SansoneNels Clineに参加を要請する。

Pat SansoneはJohn StirrattのサイドプロジェクトであるAutumn Defenseのメンバーだった。WilcoよりもPopな音だ。

JeffがNelsを最初に見たのはCarla Bosulichと一緒にGeraldine Fibbersで演奏している時だそうで、それまでの伝統的なギターの役割を覆すようなギター演奏に驚愕。

Nels Clineのギターサウンドは独特だが、このギター雑誌向けのビデオで彼が影響を受けた5つのリフを紹介しているのが参考になる。ちなみに彼の奥方はChibo Mattoの本田ゆかだ。

そしてJeffは今のバンドの共通項として「感謝」がある、全員がバンドをうまく行かせるのがどれほど難しいかをも知っている、そしてバンドがツアーに出て成長すればするほど、絆が強くなっている、と言う。あれだけバンドメンバーの入れ換えがあったにも関わらず、2005年から16年間バンドはメンバーを一切交替していない。

Wilcoは本国アメリカでは8月からついにライブ・ツアーを開始している。早く日本で彼らの姿を見ることができるようになるのが待ち遠しい。

最後に本書がリリースされた際のインタビューがあるので引用したい。





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